ビレイハウス訪問
2013年12月、千葉の里山で田舎暮らしをしていた山本に、本間館長から国際電話が入った。
「山本さん、来年2月にネパールとタイに出張に行くんだけど、一緒に行かないかい?」
山本はふたつ返事でOKした。本間館長に同行しての海外行脚は初めてである。彼の「無刃取りの旅」の実態を知る絶好のチャンスであった。
最初のネパールでは、レンジャー部隊のカトマンズ訓練キャンプ場に新設された大合気道道場の開所式に出席し、その後タイのビレイハウスを訪問するというスケジュールだった。
ネパールでの行事を終えた本間一行はタイへ向かった。バンコクで一泊し、翌朝亜範タイ事務所スタッフの運転するトラックで、タイ西部ミャンマー国境近くのタコラン村までの未舗装の悪路を、4時間程揺られながら行った。
当時、ビレイハウスには男女小中学生14人の子供たちが生活していた。彼らの大歓迎を受けた後、ビレイ牧師の案内で森の中に出来上がった寄宿舎やチャペル、そして伝統工芸継承センターなどを見学した。
伝統工芸継承センターとは、カレン族の伝統工芸の織物や竹細工などを製作する作業場である。カレン族の伝統工芸を若い世代に継承させるためであり、更にはその織物はいずれ“カレン族伝統工芸”として観光客の目に留まることになるとの、本間館長のアドバイスで作られた工房だ。ビレイ牧師の奥さんが子供たちに教えていた。
アメイジング・グレイス
夕刻、寄宿舎ホールの接客スペースで、山本は本間館長とお茶を飲みながら談笑していた。すると、どこからか素敵な歌声が聞こえてきた。
「夕食前に、ビレイ牧師が食事当番でない子供達に英語の歌を教えているんですよ」
館長がそう教えてくれた。その歌はとても素敵な曲だった。どこで歌っているのか、と思いながら歌声のする方に行ってみた。そこは前庭に面する広い回廊(テラス)で、十人程の子供達が車座になって、ビレイ牧師が奏でるギターに合わせて歌っていた。「アメイジング・グレイス」という曲だった。優しく疲れを癒すかのような歌声だ。子供達の妖精のような澄んだ歌声が、暮れなずむタコランの森に響き渡って行く。
「ここは南国の楽園か……」
思わず、山本は呟いていた。やがて、キッチンの方から美味しそうな料理の匂いが漂ってきた。当番の12、13歳前後の女生徒達が作った夕食の準備が出来たようだ。
「ホンマセンセイ、夕食の用意ができました。どうぞこちらに」と、ビレイ牧師が案内してくれた。テラスに置かれた長いテーブルには、カレン族の伝統的な家庭料理と思われる野菜料理が大皿にいくつも盛られて置かれていた。ビレイ牧師のお祈りが済むと、14人の子供たちとの楽しい夕食会が始まった。
この子供たちは、親のない孤児たちなのだ。このビレイハウスがなければ、難民キャンプで希望の無い悲惨な生活をしていたことだろう。ここにいれば安心して学校に通える。本間館長は高校卒業まで彼らの面倒を見ると言っていた。やはりここは彼らにとって天国なのだ。
夕食後、本間館長から生徒たちに、ひとりずつプレゼントが渡された。それは大きなバスタオルだった。
バンコクで一泊した夕方、我々はバンコク郊外にある賑やかな屋台市場に行った。そこの屋台で夕食を摂ったのだが、その市場の中の衣料品屋で本間館長はきれいなバスタオルをたくさん買っていた。
「ビレイハウスは、まだ物が不足していてね。こんなものでも子供達は大喜びしてくれるんだ」
そう言いながら、本間館長はあれこれと品定めしていた。その横顔は慈父のようであった。