大谷翔平のピークは、いつなのか
今年、32歳になった。日本が世界に誇るスーパースターが、私たちの暮らしに彩りを添える。同じ時代を生きる、いわば歴史の証人である私たちの日常が、いつまで続くのか。往年の名選手たちのキャリアを紐解くと、そのヒントが見えてきた。大谷がこれから先、どんな形で二刀流を続けていくのか。その答えを探す時間も始まろうとしている。
大谷はこれまで何度も自らの体と向き合ってきた。全力で野球ができない時期を過ごしても、その後には必ず進化があった。2018年には右肘のトミー・ジョン手術。翌年には左膝の手術を受けた。それでも、2022年には投手として15勝、防御率2.33、219奪三振。その翌年、再び右肘にメスを入れたことから、打者に専念した2024年には、54本塁打、59盗塁。MLB史上初の「50-50(50本塁打ー50盗塁)」を成し遂げた。そして昨年、663日ぶりにマウンドへ帰還した。怪我と復帰を繰り返しながら、強くなって帰ってきたのが、大谷のキャリアなのだ。
怪我を乗り越えたレジェンドたち
30代に入ると、身体との付き合い方は少しずつ変わっていく。怪我と向き合いながら、長くキャリアを重ねた3人の名選手を紹介したい。
1人目は、ジョン・スモルツ。1996年、29歳で24勝、276奪三振の活躍で、サイ・ヤング賞を獲得。しかし32歳で右肘の靱帯を再建するトミー・ジョン手術を受け、そのシーズンを全休。復帰後には先発からクローザーへ役割を変え、35歳で55セーブ。さらに38歳で先発に戻り、40歳で通算200勝、3,000奪三振に達し、42歳まで腕を振り続け、野球殿堂に入った。
2人目は、大谷が投手として憧れてきた殿堂入り右腕、ペドロ・マルティネス。2000年に3度目のサイ・ヤング賞を手にするも、翌年に右肩の腱炎を起こし、長期離脱。それでも30歳で迎えた2002年には20勝、防御率2.26、239奪三振でカムバックを果たし、以降も故障と向き合いながら38歳まで先発としてマウンドに上がり続けた。
そして3人目は、松井秀喜。大谷が少年時代から見てきた日本人左打者の先輩は、33歳で右膝を、34歳で左膝を手術した。その後は守備の負担を減らすため、指名打者として打撃に集中。35歳になった2009年のワールドシリーズでは、打率.615、3本塁打、8打点でMVPに輝いた。
大谷を休ませるということ
今回、ドジャースが休養や負傷者リスト(IL)入りの判断が遅れたことも議論を呼んだ。今季、投手としては14試合に先発し、8勝2敗、防御率1.79と圧倒的な内容。左膝と右上腕二頭筋の不調で、野手としての出場に限定されて以降も、日本人選手で最初に30本塁打へ到達するなど打力は健在だった。二刀流選手の場合、負傷者リストに入れば「15日間」出場ができなくなる。3連覇を目指すチームの編成責任者ゴームズGMも、9月初旬に「大谷をラインアップから長期間失うことは避けたい」と頭を悩ませた。
「大谷を休ませる」という決断には、根本的な難しさもある。本人が、試合に出たがる選手だからだ。その姿勢は北海道日本ハムファイターズ時代から変わらない。2016年、優勝争いの中で大谷は「全部出るつもり」と話した。栗山英樹監督はその想いを汲みつつも「ケガをさせないのが絶対条件」と、時に心を鬼にした。大谷の可能性を「青天井」と信じるからこそ「どこまでやれるのか」ではなく「どこまでやらせていいのか」を決断する。今、その役割をデーブ・ロバーツ監督とドジャースが担っている。
真の二刀流へ
一昨年のオフ、大谷は自身の将来について「二刀流を今までやってきて、長く続けたいという思いはある。ただ、どちらかにせざるを得ないタイミングがもし来たとしたら、対応できる準備というのをしっかりしておく必要があるのかな」と語った。
3年ぶりに、真の二刀流としてのシーズンを迎えた今年。5月の登板後、年齢を重ねることで二刀流の負担が大きくなっているかと問われると、「今が一番いいと思っている。まだまだ若いと思っているので」と答えた。
大谷が元気に野球をする姿を見られることのありがたみを感じるからこそ、その先の未来にも想いを馳せてみる。スモルツもペドロも松井さんも、30代で身体と向き合いながら新しい形を見つけた。2本の刀を持つ侍は、どのような道を切り拓くのだろうか。大谷翔平には、まだ誰も見たことがない、夢の向こう側があるはずだ。