ところで、具志堅戴冠の前日(10月9日)、日本ボクシング界にはもう一人のニューヒーローが誕生していた。けた外れの豪打を武器にしたロイヤル小林(本名小林和男)が東京・蔵前国技館でWBC(世界ボクシング評議会)ジュニアフェザー級チャンピオンに輝いたのだ。こちらも王者リゴベルト・リアスコ(パナマ)を3度倒す、派手なKO劇を演じた。

 コールマン髭のロイヤル小林はプロ通算35勝(8敗)のうち27のノックアウト勝ちをマークしたハードヒッターだった。左右のフックで対戦相手をなぎ倒すシンプルなファイトスタイルは豪快そのもの。異名は「KO仕掛人」、これがぴたりとくる男だった。

アマ最高峰から駆け上がった頂

 アマチュア実績の豊富なファイターだった。高校卒業後に自衛隊に入ってボクシングを始め、強打を武器に台頭。アマチュア全日本チャンピオンとなり、1972年のミュンヘン五輪では2勝してベスト8。メダルまであと一歩のところまで迫った。オリンピアンからプロの世界チャンピオンになった初めての日本人選手でもある。

 五輪代表の肩書を手土産にプロに転向したのは翌年のことだ。リングネームは所属ジムのスポンサーで健康食品を扱う会社にちなんで付けられたものだが、プロ入り後の活躍で「ロイヤル」はすっかり小林に定着した。

 ロイヤルはプロデビュー戦(8回戦)こそ判定勝ちだったものの、以降は期待に応えてKO街道をばく進した。当時の最多連続KO記録にあと1つと迫る11連続KOをマーク。世界ランカーのくせ者バート・ナバラタン(フィリピン)に最多タイ記録を阻止されたが、明白な判定で下した小林は再びKO勝ちを続けた。

 18戦全勝16KOで挑んだ初の世界タイトルマッチ(1975年10月)は、相手が悪すぎた。のちに3階級制覇を達成する不世出のスター、アレクシス・アルゲリョ(ニカラグア)に2度ダウンを奪われて5ラウンドで散った。

 フェザー級ではアルゲリョに完敗した小林だが、その翌年にリアスコ挑戦のチャンスが舞い込んだのは幸運だった。ジュニアフェザー(現スーパーバンタム)級は設立されて間もない時期。第2代WBC王者リアスコと対戦する前に小林は苛酷な減量と戦い、およそ10キロを落としてなんとかリングに上がった。

 さすがに減量の影響から豪快さは影を潜めたが、それでも7ラウンドにダウンを奪い、8ラウンドにまた倒してリアスコから世界タイトルをもぎ取った。リアスコの体がロープをたわませて沈む倒しっぷりは「KO仕掛人」の面目躍如だった。

 小林の勝利は翌日甲府の具志堅戦に弾みをつけた。そして連夜の世界タイトル奪取に日本ボクシング界は大いに沸いたのである。

歴史に名を刻む破格の勝者たち

 しかし具志堅が長期王朝を築いたのに比べ、小林はなんと46日後に王座を降りることになる。ソウルで1位廉東均(韓国)の挑戦を受け、接戦の末15回判定負けを喫したのだ。最多連続防衛記録の具志堅とは対照的に、小林の46日天下は日本人世界王者の最短在位記録として残っている。

 その後の小林は2度世界王座に挑んだものの、ウィルフレド・ゴメス(プエルトリコ)、エウセビオ・ペドロサ(パナマ)の壁に拒まれた。世界チャンピオン復活はならなかったが、小林が敗れたアルゲリョ、ゴメス(WBCジュニアフェザー級17連続KO防衛)、ペドロサ(WBAフェザー級V19)はいずれも引退後に国際ボクシング殿堂に選ばれた名王者たち。「小林のおかげでアルゲリョやゴメスを日本で観ることができた」と、ファンは率直に小林に感謝した。敗れはしたが、豪腕小林が真っ向勝負を挑んでの結果だから、ファンも納得し、チャンピオンの強さを心から称えたに違いない。豪快なファイトそのもの、小林は記憶に残るチャンピオンだった。

 小林は1981年の試合を最後に現役を引退。トレーナーを務めたりし、2020年に郷里熊本で71年の生涯を終えた。


VictorySportsNews編集部

著者プロフィール VictorySportsNews編集部