怒りを鎮める「6秒」の意味

 日本オリンピック委員会(JOC)と日本パラリンピック委員会(JPC)は愛知・名古屋アジア大会開幕前日の9月18日、大会に参加するアスリートらをSNSやインターネット上の誹謗中傷から守る法務等支援事業の取り組みに関する発表会を名古屋市内で開催。今回のプロジェクトが発表された。Google、YouTube、LINEヤフー、Meta、TikTok、Xといったプラットフォーム各社やLIVE BOARDなどのメディア、JR東海・名鉄などの交通事業者と連携し、誹謗中傷の事前防止を広報・啓発するべく「#言葉に6秒深呼吸」というメッセージを用いた発信をSNSや特設ページなどで行っていく。

 気になるのは、この「6秒」というワード。実は明確な根拠がこの数字にはある。脳科学や心理学では、人間の脳が強い怒りや興奮を感じてから理性を司る前頭葉が働き出すまでには「約6秒」が必要との研究結果が示されている。「6秒」待つことで理性的な判断がしやすい状態をつくり出せるという、いわゆるアンガーマネジメントの手法がベースとなっており、感情が昂ぶったときに6秒間ゆっくりと深呼吸する習慣を身に付けることで、相手を尊重する言葉にあふれたSNS空間が実現できるというわけだ。

事後対策の“三本柱”も

 同時に事後対策にも力を入れる。この日の発表会では、開設した対策チームの拠点オフィスを報道陣に公開。柔道女子で五輪を連覇し、JOC理事、大会組織委員会アスリート委員長を務める谷本歩実さんが登壇し、近年SNS上の誹謗中傷がアスリートの心身に重大な影響を与えている現状を説明した上で、選手やスタッフが安心して競技に集中できる環境を整えるため「SNSモニタリング・削除申請」「法務支援」「セーフガーディングオフィサー・ウェルフェアオフィサーとの連携」という三本柱でサポートを展開することを報告した。

 8月19日からAIや専門スタッフの目視、弁護士の精査を組み合わせたモニタリングを開始し、悪質な投稿に対しては通報・削除申請を実施。9月17日正午までに1万7872件の投稿を検知し、41件の削除申請を行ったという。大会期間中は弁護士が常時待機し、LINEでの相談窓口も開設する。

 啓発映像にも出演する元サッカー日本代表の柿谷曜一朗氏がゲストで招かれ、谷本理事とのパネルディスカッションも行われた。そこでは、JOC・JPC所属のアスリート300人を対象に実施した「SNS利用に関する意識調査」の結果が初めて公表され、81.3%のアスリートがSNSを通じてファンから「応援や励ましをもらっている」と回答し、60.3%が「競技を続ける力をもらった」と答えた一方で、「少数の否定的な言葉でも、多くの応援より強く残ることがある」と答えたアスリートが59.3%に上るとのデータも公表された。

アスリートの声~谷本理事「1件で全部崩れる」 柿谷氏「甘えていい」

 柿谷氏は「直接届く応援は本当に勇気をもらえます」とSNSのポジティブな効果を示しつつ、「励ましのコメントについては『こう言われたから頑張れた』と言いやすいが、否定的な言葉は『そんなことでモチベーションが下がるならプロをやめろ…』とさらに追撃が来るのが怖くて、つい気にしていないフリをして隠してしまいます」と負の側面があることにも言及。谷本理事も「SNSに応援が届いているのは分かっていても、100件中たった1件でも否定的なコメントがあったら、今まで準備してきたものが全部崩れてしまい、見なくなってしまいます」と実情を明かした。

 さきの調査では、約3人に1人が誹謗中傷を避けるために「投稿を控えた」「当たり障りのない内容に変えた」などの回避行動をとっている実態も明らかになっている。柿谷氏は「自分が誹謗中傷されていると認めることがまず第一歩だと思います。現役時代は人が怖くなる瞬間もあったし、『俺は強い』と無駄なプライドを持っていましたが、一人で抱え込まずもっと誰かに頼っていいと思っています。乗り越えなくていいし、甘えていい。助けてくれる人は必ずいる」と呼び掛け、谷本理事は「ただ誹謗中傷と戦うのではなく、誹謗中傷のない世界を目指してお互いに理解を深めながらSNS空間をつくっていく必要があると思っています。単に言葉を減らすだけでなく、6秒の深呼吸を経て、温かい応援の輪を社会全体に広げていきたいです」と強い思いを口にした。今回の座組の意義が、まさにそこにある。

パネルディスカッションにて誹謗中傷の実態を語る ©JOC/JPC All Rights Reserved.

 アスリートを守る取り組みとしては、日本野球機構(NPB)と日本プロ野球選手会によるAIを活用した「SNS誹謗中傷監視システム」の導入や、産経新聞グループが展開し谷本理事も推進委員に名を連ねる「RESPECTion!」などのプロジェクトもあり、徐々に社会的な気運は高まりつつある。JOCなどによると、今年2月に開催されたミラノ・コルティナ冬季五輪でもAIと目視で誹謗中傷の可能性がある投稿を35万5975件確認し、1913件に削除申請を行って578件が削除されたという。称賛の声とともに批判的なコメントも大会の注目度、選手の影響度に比例して増加するもの。愛知・名古屋アジア・アジアパラ大会の開催を機に、選手へのリスペクトを持った応援の形を社会としてつくりあげていく必要性が改めて問われる今、「6秒の深呼吸」を心に留めることが、その確かな第一歩となる。


VictorySportsNews編集部

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