文=松原孝臣

出発点は1996年のアトランタ五輪

 先日、競泳の渡辺一平が200m平泳ぎで世界新記録を出した。早稲田大学2年生、2020年の東京五輪へ向けて、楽しみな選手がまた一人、登場した。

 渡辺に限らず、競泳は有望な選手が途切れず出てくる。オリンピックでもメダル獲得が常に期待される種目になっている。力をつけた選手の多くが、大舞台でも臆せず力を出せることが、好成績につながっている。

 その理由はどこにあるのだろうか。ひもとく鍵の一つは、「チーム力」にある。

 ひと頃から、五輪競技、とりわけ個人競技において、「チーム力」という言葉が口にされるようになってきた。卓球しかり、レスリングしかり。個人競技であるのにチーム力を強調するのは、個人競技であっても、チームとなることで力を出せると考えられているからだ。その原点と言ってもいいのが、他の競技に先んじて意図的にチーム化を図ってきた競泳である。

 出発点は、1996年のアトランタ五輪にある。当時、「日本競泳史上最強」とも言われるほどのメンバーがそろいながら、自己記録に遠く及ばない選手が続出し、メダルなしに終わった。

 思いがけない結果に終わった大会を総括し、課題を洗い出したときに浮かび上がったのが、選手同士の関係、選手とコーチとの関係に壁があり、「選手が個々に、単独でレースに挑まざるを得なくなり、プレッシャーにのまれた」ということだった。4年に一度の大舞台の緊張は、選手個人で乗り越えられるものではないにもかかわらず、支えが足りなかったと見た。

 ではどうするか。建て直すためのヒントは、高校の部活にあった。大会では高校ごとにチームメイトが懸命に選手を応援し、レースで泳ぐ選手の力となっている。それを日本代表にも導入すればよいと考えたのだ。

一人ぼっちでスタート台に立っているのではない

©Getty Images

 まずコーチと選手が自由に話し合える環境を作り、ミーティングを頻繁に開くなどして、まとまりを築いていった。やがて、選手同士が自然にアドバイスするようになっていった。その成果は、計4つのメダルを獲得した2000年のシドニー五輪に表れた。

 以後、チームで戦うという意識は定着していき、選手が音頭をとって選手ミーティングを開いたり、ベテランの選手が若い選手に積極的にアドバイスするのも珍しくなくなっていった。コーチも、ふだんは他の所属先である選手にアドバイスするようになっていった。

 ロンドン五輪で、入江陵介(写真)が口にした、「(日本代表の)27人でリレーしているんです」という言葉は象徴的だが、一人ぼっちでスタート台に立っているのではない、みんなが後押ししてくれているという意識が、緊張に立ち向かう力となったのである。

 互いに支え刺激しあうことは、大会ばかりでなく、ふだんの練習にも好影響をもたらし、切磋琢磨することで選手は成長していった。常にオリンピックでメダルを獲得する競技となった理由である。

 競泳の同種目の代表選手は、ライバル同士の関係にある。それでもオリンピックをはじめ国際大会では、ライバルであると同時に、チームメイトとなる。競泳の萩野公介と瀬戸大也が、張り合いながらも仲間であり、日本代表チームの雰囲気を良くすることはあっても壊すような関係ではないように。

 それは競泳に限った話ではなく、やはりふだんは五輪代表争いを繰り広げる卓球でもそうだし、選手同士がよき関係を築けているように見受けられるフィギュアスケートなどもそうかもしれない。

 そういう意味では、ともに過ごす人たちとの雰囲気の大きさにも気づくことができる。


松原孝臣

1967年、東京都生まれ。大学を卒業後、出版社勤務を経て『Sports Graphic Number』の編集に10年携わりフリーに。スポーツでは五輪競技を中心に取材活動を続け、夏季は2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオ、冬季は2002年ソルトレイクシティ、2006年トリノ、 2010年バンクーバー、2014年ソチと現地で取材にあたる。