文=日比野恭三

ベイスターズが掲げる「横浜スポーツタウン構想」

 あらためてベイスターズの事業面の動きを見ていて、ふと気づかされたことがある。それは、「スポーツビジネスのカギとは“拡大解釈”である」ということだ。

 野球場ではなく、でっかい居酒屋。スタジアムではなく、ボールパーク。スポーツではなく、スポーツエンターテイメント。試合開催日だけではなく、試合のない日にも賑わいを――。

 時間、空間、あるいは概念を「拡大」することは、そのままビジネスの「拡大」につながる。ベイスターズグッズという縛りを取っ払い、「野球」それ自体をグッズ化した『+B(プラスビー)』のラインアップなどは、非常にわかりやすい例だろう。

 枠をはみ出すのには勇気が要るし、リスクもある。だが、その線を踏み越えた者だけが、新たな市場、新たな顧客をつかまえることができるのだ。そこに果敢に挑んだからこそ、11年(球界参入前年)比で52億円から100億円超へと売上倍増、24億円の赤字を解消して黒字転換という急角度の経営再建は成し遂げられた。

 新球団として歩み始めて6年目となる今年、ベイスターズの“拡大解釈”的な事業発展は新たなフェーズに入る。いや、拡大解釈というよりは、もっと物理的な意味で、文字どおり勢力を拡大しようとしている。

ずばり、「街づくり」の動きが鮮明化しているのだ。

 1月12日、球団が新年一発目の記者会見で発表したのは「横浜スポーツタウン構想」という新たなワードだった。

 正味の要素を切り出せば、「“横浜スタジアムの中”でベイスターズが“野球”の試合をする」のがプロ野球ビジネスのありようだ。それをあえて、「野球→スポーツ」「スタジアム→タウン」と言葉を置き換えているところに、“拡大”の意図がはっきりと感じられる。

「巻貝は自分の痕跡を残しながら大きくなっていく」

©YDB

 象徴的なのは、3月18日にオープンを迎える『THE BAYS(ザ・ベイス)』(写真)の誕生だ。これはベイスターズが指定管理者に選定された歴史的建造物で、横浜スポーツタウン構想の中核施設に位置付けられている。クリエイターのためのシェアオフィス機能をもたせてあり、トライ&エラーを繰り返しながら創造性に富んだプロダクトやアイディアを生みだす発信基地となることが期待されている(ベイスのネーミングは、「基地=BASE」の意味も兼ねている)。スタジアムの外側に、一個の建物として、ベイスターズはついに「はみ出た」のである。

 3月10日には、DeNA(親会社)、ベイスターズ(球団)、横浜スタジアム(球場)の3者合同で「横浜市とスポーツ振興、地域経済活性化等に向けた包括連携協定を締結」と題したリリースを発表した。

 ここからまず言えることは、球団と球場の取り組みにとどまらず、親会社がそこに参画するという“拡大”がなされたことだ。リリースの副題は「『DeNAランニングクラブ』は2017年度より『横浜DeNAランニングクラブ』として活動を開始」というもの。本社に付属していたランニングクラブは事業所をTHE BAYSに移し、「横浜スタジアムを舞台とした、横浜DeNAベイスターズによる試合興行(観戦型スポーツ)による街の盛り上がりや経済活性化に加え」「ランニングやウォーキングなどを始めとする市民参加型スポーツ振興による新たな人の流れの創出、市民の健康に関する活動やイベント開催、野球と陸上の両プロスポーツチームによる子どもたちの体力向上に向けた取り組みなど各種施策を横浜市とともに実施」するという。

 ハコとしての拡大(球場外拠点の確保)に続いて、主体者としての拡大(親会社の参画)がなされ、さらに横浜市との提携領域を拡大して、地域におけるプレゼンスを拡大する――。その先に、ビジネスとしての拡大余地もある。

 官僚出身の岡村信悟球団社長は、横浜スタジアム社長とともに本社スポーツ事業部長も兼ねている。「街づくり」に絡む複数の組織を統括できる立場にあり、自治体との折衝も得意とするところだろう。また、かつて球団と球場が別々の経営だったころとは違い、意思決定に手間取ることもないはずだ。

 岡村氏は以前、こう語っていたことがある。

「既存のプロ野球ビジネスをぐるぐる回していく。そこで事業の効率化とか売上を最大化するというところだけにとどまっていると行き詰まるだろうと思ってるんです」

「同じところでずっとぐるぐる周り続けて疲弊するのではなくて、少しずつ円が大きくなりながら、しかもごろごろごろっと移動していくようなイメージ。たとえるなら“巻貝”で、巻貝って自分の痕跡を残しながらこう大きくなっていくじゃないですか。アンモナイトとか。あのイメージに近いんですよね」

 横浜スポーツタウン構想は今後、どのように具現化されていくのか。“巻貝”の成長プロセスをじっくり見てみたいと思う。


日比野恭三

1981年、宮崎県生まれ。PR代理店勤務などを経て、2010年から6年間『Sports Graphic Number』編集部に所属。現在はフリーランスのライター・編集者として、野球やボクシングを中心とした各種競技、またスポーツビジネスを取材対象に活動中。