#1「ジャマルの身に何が起き日本に来たのか、なぜ日本でプロを目指したいのか」#2「ジャマルが国外避難への経緯を語る」

取材・文・写真=木之下潤 写真提供=ジャマル

シリアと日本のサッカーの違いで感じること

——ストライカーはボールをもらう側です。シリアではスペースにパスが来るかもしれませんが、日本ではパスを回す傾向があり、ボールが来ないこともあると思います。

ジャマル シリアでも同じですが、パスが来るチームであれば前のスペースを積極的に狙って走るし、そうでなければ下がってボールを受けて、再び前でもらうようにしています。それもストライカーの役割だと認識していますし、当然攻撃時のサイドの選手に対するサポートも仕事の一つです。
東京都の2部リーグと3部リーグのそれぞれのチームでプレーしていますが、一方のチームは僕の特徴をわかってくれているからスペースにパスを出してくれます。でも、もう一方はコーチの指示に従って動くから「パスをつなぐように」と言われたら、そうするようにしています。やはりチームプレーだから、お互いどのぐらい特徴や性格を知っているか次第で変わってくると思います。
ただ、一つ感じることは日本の選手たちがチャンスの時に、そのチャンスを生かそうとするあまりショートパスを挟んだり、丁寧にやろうと落ち着きすぎてプレーが遅くなったりすることです。チャンスはその瞬間にしかないから、思い切りや大胆なパスが必要なときもあるはずです。たまに日本人は失敗を恐れているところがあるように感じるし、それはサッカーだけに限らず日々の中でも感じる部分もあります。

——もう一度プロを目指したいと思っているようですが、思い描いているプランはありますか?

ジャマル 日本に来たときにJリーグのチームにいろいろとメールを送ったのですが、なしのつぶてでした。だから、どんなところでもいいから「プロになりたい」と口に出すようにしていました。そこで、健さん(アーセナルサッカースクール市川代表・幸野健一氏)を紹介してもらい、いろんな人を紹介してくれて、少しずつチャンスが広がりつつあります。今後は大学との兼ね合いもありますが、ちょっとでもいいから具体的に話があればと思っています。
今はローカルチームでプレーしているから、Jリーグのレベルがどの程度なのかがわからないけれど、まずはトライアルが受けられたらと考えています。ちょうどケガも回復しているので、完全に治ったらしっかりとプレーで実力を示したいです。でも、いつも良いプレーができるわけではないので、たまに不安に感じることもあります。

©Getty Images

——J3ではサラリーをもらえずにプレーしている選手もいます。それでもプレーしたいと思いますか?

ジャマル 僕は4月から明治大学に通うことになっていて奨学金が入るし、当面は金銭的に困ることはありません。だから、どういう状況だとしてもやっていけます。プロサッカー選手になりたいという思いがあって挑戦したいだけなので、別にお金の話ではありません。
4月に25歳になるのですが、プロを目指すには年齢を重ねすぎていると思いますか?

——ストレートにいえば、そう思うところはあります。なぜならJリーグの選手が引退する平均年齢に当てはまるぐらいの年齢だし、そもそも外国籍の選手は助っ人として結果を求められます。クラブが獲得する段階で実績と経験を重視するから、客観的に見てもハードルが高い挑戦だと思います。ただ、Jリーグで活躍している外国籍の選手たちは突出したスピードやパワーがあり、ジャマルのプレーの特徴から言っても、本来の実力をきちんと発揮し、結果を出して認められたら可能性がないわけではありません。ストライカーは結果が大きなチャンスをもたらすものだから。私もケガをしている状態で本領を発揮できないジャマルしか目にしていないから可能性の話しかできませんが。

ジャマル そうですね。だからこそ、トライアルが受けられるのなら、ぜひ挑戦したい!

シリア人が伝えてくれた内戦の理由とは?

©Getty Images

——少し内戦のことについても教えて欲しいです。

ジャマル フジテレビが放送した「ダマスカスでサッカーをしている後ろの方で爆撃音がしていた」映像(日本でプロを目指すシリア難民の挑戦 #2)も、僕がシリアを出る1カ月前の出来事です。

——シリア人の感覚として内戦は突然起こったことなのか、それとも予感がしていて起こったことなのか。当事者の感覚はどちらなのでしょうか?

ジャマル チュニジアを皮切りに(総称として)「アラブの春」と呼ばれる現政権を倒そうとする民主化運動が起こり、その影響がアフリカや中東で広がりました。シリアでも2011年の春先にデモが起こり、内戦が激化しました。内戦がひどかったエジプトでさえ8カ月で終戦を迎えたから、まさかシリアが6年経っても内戦が終わらないとは夢にも思いませんでした。

——最初に内戦が激化した場所はどこで、何がきっかけだったのですか?

ジャマル はじめに激化したのは、ダマスカスよりも少し南に位置するダラーという街です。ある少年が壁に「自由」などアサド政権に対する抗議行動をとったところ、警察に捕まって爪を剥がされるなどの拷問を受けました。(難民支援協会の田中志穂さんが「子供など若い世代の子たちを殺し出したのがデモのきっかけだったと聞いています」と補足してくれた)その子の親が警察に行って「子どもを返してくれ」と頼んだら「お前の嫁を連れて来い。新しい子どもを作ってやるから」と言われたそうです。それが大きなきっかけの一つです。

©Getty Images

——ダマスカスは内戦がひどいエリアだったのですか?

ジャマル ダマスカスも安全な地域ではありませんでした。僕が住んでいた地域もいつも爆撃されていて、大学も住んでいたマンションも爆撃を受けました。昨日(2017年3月16日)も裁判所が爆撃されたという話が、ニュースで流れていました。今は住むことはできても、何のインフラもありません。僕も大学を卒業するまでにはダマスカスにいたかったけれど、マンションを爆撃されたら住む場所がないからどうしようもありません。

——一般市民はどう身を守っているんですか?

ジャマル 家の構造で地下があればそこに逃げますし、外にいたら死んでしまうでしょう。とにかく飛行機が来たり爆撃されたりすれば音でわかるので、地面に打ち伏して身を潜めます。ただ爆撃が近ければ死ぬだけだし、どうすることもできません。

——マンションが爆撃を受けたとき、妹さんが正気を失ったと言っていましたが。

ジャマル 爆撃音というのは想像ができないぐらいものすごい音です。その音は映像で見ても伝わりませんが、一時耳が聞こえなくなるぐらいの音です。妹が「アウアウアウアウ…」と正気を失ったときは、母が頬をたたき必死に抱きしめ、声をかけ続けました。それでようやく落ち着いて妹が正気を取り戻しました。

最終回となる次回は、難民認定を受けるまでの苦労から再びプロを目指したいと思ったきっかけについて語る
木之下潤

著者プロフィール 木之下潤

1976年生まれ、福岡県出身。編集者兼ライター。福岡大学を卒業後、地元の出版社や編集プロダクションで幅広く雑誌や広告の制作に関わる。2007年に上京後、角川マガジンズ(現株式会社KADOKAWA)に入社し情報誌の編集を行う。2010年にフリーランスとして独立。現在、サッカーの分野では育成年代をテーマに『ジュニアサッカーを応援しよう!』『サカイク』などの媒体を中心に執筆。基本は「出版屋」としてあらゆる分野の書籍や雑誌、WEB媒体の企画から執筆まで制作全般にたずさわっている。