大阪桐蔭も履正社も大阪1位ではなかった
この2校は前年秋の大阪大会準決勝で対戦しており、その時は履正社が大阪桐蔭に7対4で勝利していた。敗れた大阪桐蔭は、それをバネに厳しい練習に励んで、見事に春の選抜優勝校になった。大阪桐蔭の主将・福井章吾は「履正社あっての自分たち。昨秋、負けていなかったら、選抜で優勝できていなかったと思う」話している。一方、選抜大会の決勝戦で敗れて、あと一歩で優勝を逃した履正社の主将・若林将平は「夏に向けてこの試合を忘れないようにしたい」と語った。まさに好敵手同士が競い合う姿が見受けられる。
しかし秋季大阪大会を制したのは、大阪桐蔭でも履正社でもない。優勝したのは、準決勝で大阪桐蔭を下して決勝へと進んだ履正社に、10対3の大差で勝利した上宮太子であった。この秋季大阪大会で3位以内に入れば、選抜甲子園大会への出場に繋がる近畿大会へ進むことができる。準決勝で履正社に敗れた大阪桐蔭は、3位決定戦で勝利しなければ選抜大会への道が断たれてしまうところだった。結果は8回コールドの12対5で、初芝立命館に勝利。こうして上宮太子が大阪1位、履正社が2位、大阪桐蔭が3位として、秋季近畿大会へ臨んだのである。
秋季近畿大会で大阪の3校は、いずれも1回戦に勝利してベスト8へ進出した。最近はこの大会のベスト8のうちの6校が選ばれ、翌春の選抜大会へ出場するのが常となっている。準々決勝で勝利して近畿のベスト4へ入れば、まずは選抜出場が確実となるのだ。この準々決勝で履正社と大阪桐蔭は勝利を収めたが、大阪1位だった上宮太子は神戸国際大付属に敗れて、ベスト4入りを逃してしまった。
この近畿大会で履正社が優勝し、秋の全国大会にあたる明治神宮大会に近畿代表として出場。そこでも履正社が優勝した。明治神宮大会で優勝すると、その学校の地区に選抜大会出場枠が1つ貰えることになっている。近畿は通常、秋季大会のベスト8から6校が選抜されるのだが、これによって7校が選ばれることになった。しかし今の選抜制度では、同一都道府県から3校は同時に選ばれないという内規があるので、枠が増えても上宮太子が選抜されることはなかった。こうして秋季近畿大会ベスト8のうち、大阪1位だった上宮太子以外の7校が選抜甲子園大会に出場。そして大阪桐蔭が優勝し、履正社が準優勝となったのだ。
PLが去っても―—強豪ひしめく大阪府予選
©共同通信 選抜大会で優勝、準優勝したからといって、この両校のうちのどちらかが夏の甲子園大会にも行けるわけではない。大阪には強豪校がたくさんある。
07年から16年までの最近11年間に、夏の大阪府予選で優勝して甲子園大会へ出場した学校は、大阪桐蔭、履正社、金光大阪、近大付属、PL学園、東大阪大柏原、大阪偕星と7校もある。このうちPL学園は、3月29日に大阪府高校野球連盟に脱退届を出して受理され、同日付で高野連からの脱退が決まったのは残念だが、上宮太子をはじめ、過去11年間に夏の甲子園へ出場していない学校も含めて、どの学校も夏こそは甲子園へ行くぞと意気込んでいるはずだ。選抜大会で優勝、準優勝したことは自信にはなるだろうが、大阪桐蔭、履正社ともうかうかとはしていられない。
果たして過去はどうだったのか。大阪から春の選抜大会に複数校出場した年に、その学校のいずれかが夏の府予選を制して甲子園に行った例を見てみることにしよう。
1924年に第1回大会が始まった春の選抜高校野球大会。17年の今春が89回だったので、昨年まで88回もの大会が開催された。これまで大阪の学校が複数選抜大会に出場したのは53大会ある。そのうちの2大会、38年の第15回大会と88年の第60回大会では、大阪から3校が選ばれている。それ以外の51大会は、すべて2校の選抜だ。
では大阪の学校が複数選抜大会に出場した年に、その出場したいずれかの学校が夏の甲子園へ行ったのは何大会あったのか。数えてみると27大会あった。春に53大会あった年の夏の27大会であるから、半分強の年で夏の甲子園へ行っていたことになる。逆に言えば、春に出た複数校のいずれも夏に出場できなかった年が、約半分もあったのである。やはり強豪ひしめく大阪府予選を突破するのは生易しいことではない。
この春の選抜大会で大阪の2校、大阪桐蔭と履正社が優勝と準優勝になったが、果たして夏の大阪大会を制して選手権大会へと進むのは両校のどちらかであろうか。それとも他校となるのか。この夏の大阪府予選を楽しみに待つこととしよう。