文=北條聡
ボランチからリベロに転向。サイドバックも経験済み
世阿弥の「秘すれば花」にひっかけて、転じれば花とでも言ったらいいのか。長くサッカー日本代表のキャプテンを担ってきた長谷部誠のことだ。
目下、ドイツ・ブンデスリーガ(1部)のフランクフルトに在籍。通算出場数は日本人歴代最多の236を数える。今年2月には、1970年代から1980年代にかけて同じブンデスリーガで活躍したパイオニア、奥寺康彦氏の持つ最多記録(234)を更新した。
フランクフルトは、ドイツへ渡って3つ目のクラブになる。本職はボランチだが、今季はニコ・コバチ新監督の意向により、リベロへ転向。ポジションを一つ下げた格好だが、持ち前のすぐれた戦術眼と統率力をもって、ディフェンス陣を束ねてきた。
現地のメディアは、キャプテンも務める長谷部の働きを絶賛。果ては『カイザー』の異名まで頂戴するに至っている。ドイツ語で「皇帝」という意味だ。単にディフェンス・リーダーというだけではなく、味方へ好パスを配る攻撃の始点としても高く評価されている。言わば、最後尾の司令塔というわけだ。
ドイツではリベロ以外にも、サイドバックを経験済みだ。日本代表では、ほぼ一貫してボランチを担ってきたから、それ以外のポジションでプレーする姿は想像しにくい面もある。ともあれ、仕えてきた歴代の指揮官たちに使い勝手のいい駒として重宝されてきた。
奥寺氏も移籍を重ねながらポジションを変えていった
©Getty Images 思えば、奥寺氏も、そうだった。日本人プロ第1号として、ドイツの名門ケルンへ移籍した時のポジョションはフォワードだ。そこから複数のクラブを渡り歩く中で、少しずつポジションを下げていく。そして、最終的に落ち着いたポジションが左サイドバックだった。強豪ブレーメンでレギュラーの座を勝ち取り、その名がドイツ全域に轟く存在となった。
いかに異なる環境(別のポジション)へ適応するか。長谷部と奥寺の息の長い活躍は、そこにヒントがあったのかもしれない。いわゆる「適者生存」だ。
海外に活躍の場を求める日本人フットボーラーの中には案外、この手のタイプが少ない。ピッチ上での「椅子取りゲーム」は、競争相手のレベルが高くになるにつれて脱落のリスクが大きくなる。たった1つの椅子を狙うスペシャリストなら、なおさらだろう。
かつてイタリア・セリエAで活躍した奇才・中田英寿もローマ時代に『王子』ことフランチェスコ・トッティとのポジション争いに敗れ、出場機会を大きく減らしている。また、パルマ時代には右サイドMFとして使われたが、持ち味を存分に発揮できずに終わった。
目下、世界のトップレベルで活躍するフットボーラーの多くは、本職以外のポジョションでも機能する適応力を持っている。そうでなければ、サバイブするのが難しい時代となったからだろうか。
グローバル化により、世界中のタレントがヨーロッパの巨大市場へ集まり、クラブ内における選手間のポジション争いは熾烈を極めるようになった。2014年のブラジル・ワールドカップで得点王に輝いたコロンビアの天才ハメス・ロドリゲスでも所属のレアル・マドリード(スペイン)ではサブに甘んじている。
そもそもレアルのシステムでは、彼が最も力を発揮するトップ下のポジションが用意されていない。同じことが、本田圭佑(ミラン=イタリア)や香川真司(ドルトムント=ドイツ)にも言える。本職以外のポジョションで勝負しなければならないわけだ。
こうしたシビアな競争の中で、いかに生き残っていくか。今後、海外を目指す次世代の日本人フットボーラーにとって、長谷部や奥寺のキャリアに学ぶところは少なくないだろう。
変われる者は、強い。