今永負傷で緊急登板したパットンの珍記録
1対1で迎えた7回表の巨人の攻撃だった。2死一塁という場面で、打席には8番の小林誠司が入る。ピッチャーはDeNAの今永昇太。先発として1回から投げ続けていた。カウント1ボール2ストライクからの4球目を小林が打ちにいったが、これはファウルとなった。そのときマウンド上の今永が左足を気にするそぶりを見せ、一塁ベンチへ合図を送った。そしてすぐに動けなくなってしまったのだ。今永は左足を痛め、トレーナーとコーチに抱えられてベンチ裏へと下がっていった。
この緊急時にマウンドへ上がったのは、新外国人のパットンだった。パットンは昨年、メジャーリーグのカブスで16試合に登板した投手で、この緊急登板が早くも今季3試合目のマウンドとなった。ここでパットンは143キロの高めのストレートを投げ込み、小林を空振りに仕留めた。小林はこれで三振となり、スリーアウトチェンジとなったのだ。
この奪三振の記録は、4球投げて1ボール2ストライクと追い込んでいた今永ではなく、1球だけ投げて空振りを取ったパットンにつくことになった。というのも公認野球規則9・16に「投手が代わって出場した当時、打者のボールカウントが[2ボール2ストライク、1-2、1-1、1-0、0-2、0-1]の場合には、その打者およびその打者の行為はすべて救援投手の責任とする」とあるからだ。パットンは1球で奪三振1を記録したのである。
(ちなみに前記以外のカウントで交代したときは、四球を出したときのみ前の投手の責任となり、四球以外の結果は救援投手の責任となる)
1球奪三振だが、過去をさかのぼってみると1960年4月10日の国鉄対巨人の試合で記録されていた。8回表の巨人の攻撃で、打者宮本敏雄のボールカウント3ボール2ストライクのときに、国鉄はピッチャーを巽一から森滝義巳に交代させた。すると巨人は宮本の代打として、国松彰を打席に送る。ここで森滝は国松を三振に仕留め、1球での奪三振が記録されたのだ。
さらに2008年8月18日の西武対オリックスの試合でも、1球奪三振が記録されている。9回表のオリックスの攻撃で、打者鈴木郁洋のボールカウント2ボール2ストライクのときに、西武はピッチャーを正津英志から岩崎哲也に交代。ここで岩崎は1球で鈴木を三振に斬って取り、1球での奪三振が記録されたのである。
1球勝利と1球敗戦を両方記録した投手も
©共同通信 さらに1球で起きた記録として、1球勝利投手というのがある。1963年8月21日に近鉄のミケンズが南海相手に記録したのが最初だ。セ・リーグでは、1966年8月26日に中日の板東英二が巨人相手に記録している。この1球勝利というのは、例えば1球でアウトを取ってチェンジした後に味方打線が勝ち越したり逆転したりすれば起こりうることだけに、これまで両リーグ合わせて40回記録されている。その中でただ1人、楽天の金刃憲人だけが2回記録しているのだ。しかも2016年6月11日の広島戦と、25日のソフトバンク戦で記録しており、わずか2週間のあいだに2度も達成したのである。
その一方で、1球敗戦投手というのも存在する。1948年5月29日に巨人の川崎徳次が中日相手に記録したのが最初である。この1球敗戦も、例えば同点で迎えた9回裏のマウンドに上がって、1球目にサヨナラホームランを打たれたりすれば記録されることになるので、こちらもこれまでに26回記録されている。この1球敗戦投手に2度なった投手も、ただ1人だけいる。1984年6月30日に阪急の森浩二がロッテ相手に記録しており、さらにオリックスにチーム名が変わっていた3年後の1987年7月22日に、同じ森がダイエー相手に1球敗戦投手となっているのだ。
ちなみに中日に所属していた落合英二、広島にいた林昌樹、オリックスの投手だった清水章夫の3人は、1球勝利と1球敗戦を1人で両方とも記録している投手である。