2025年シーズン、新監督が5人誕生

 新監督は5人。阪神・藤川監督、中日・井上一樹監督、楽天・三木肇監督、オリックス・岸田護監督、西武・西口文也監督だ。指導者経験がないのは藤川監督だけである。

 指導者経験がなくとも、輝かしい実績を残した監督はいる。中日を2度の日本一に導いた落合博満監督、日本ハムで大谷翔平を育て、2016年に日本一に輝いた栗山英樹監督、ソフトバンク在任7年間で日本一5度と常勝時代を築いた工藤公康監督らの名前が挙がる。しかしながら、最近の球界のトレンドは、2軍監督など経験を積んでから1軍の監督に昇格する例がほとんどだ。

主流となる「2軍監督経由」の昇格ルート

 中日・井上監督、西武・西口監督も2軍監督からの昇格組。昨年下克上で日本シリーズを制したDeNA・三浦大輔監督もそうだった。オリックス・岸田監督は投手コーチからの昇格。2軍監督→1軍監督→2軍監督→1軍監督と昇降格を繰り返している楽天・三木監督は球団の事情があってのことだが、現場は熟知しているといえる。

王貞治が語る理想の監督キャリア

 2軍監督を経ての1軍監督昇格が理想と語るのは、ソフトバンクの王貞治球団会長だ。1984年に助監督を経て巨人の1軍監督に就任。5年の在任期間で優勝1度、1988年限りで退任した。5年間の在任期間すべてでAクラスに入ったが、常勝を義務付けられた巨人の指揮官としての評価は芳しくなく、藤田元司監督が再登板することになった。

 雌伏の時を経て、1995年にダイエー(現ソフトバンク)の監督に就任。当時こう語っていた。

「(巨人で)助監督なんてやりたくなかったんだよ。実際に采配をしたかった。だから助監督より2軍監督をやりたかったんだ」

 1980年、長嶋茂雄さんの解任騒動の中、引退を決めた。一度グラウンドの外から球界を見たい気持ちはあったが、巨人から離れることを許されなかった。長嶋茂雄という巨人軍のシンボルを失った球団は、王貞治まで手放すわけにはいかなかった。親会社の読売新聞社からユニホームを着て欲しいと懇願され、藤田元司監督を支える助監督として入閣。牧野茂ヘッドコーチの3人はトロイカ体制と呼ばれた。

 助監督とはいったんなんだろう。ベンチに入りながら、自問自答の日々だった。藤田監督から意見を求められれば考えを述べたが、責任は伴わない。権限もない。空を切るむなしさのようなものも感じていた。責任を持って決断してこそ学べることは多い。いろいろとアイデアを試し、泥にまみれるような経験もできなかった。だからこうも言っていた。

「原はいい監督になると思うよ」

 ONの次の時代を支えたスター選手、原辰徳は1999年シーズンから1軍野手総合コーチとして現場に復帰し、2000年からはヘッドコーチに就任した。長嶋監督のそばで帝王学を学び、実際ベンチの中でかなりの部分の指揮権を託されていた。2軍監督の経験こそないが、満を持して2002年から1軍監督として指揮を執り、通算17年で9度のリーグ優勝と3度の日本一を勝ち取った。

人気球団がゆえの苦労

 ソフトバンクの会長となった王貞治は、秋山幸二、藤本博史、小久保裕紀に2軍監督として経験を積ませてから、1軍監督に引き上げた。会社であれ官僚であれ、下積みを経て経験を積み、組織のトップに座る流れが一般的であり、ある意味常識だが、球界ではそういかないケースがある。特に阪神では後継者と見込んだ人材が評論家に転身し、多くの収入を得て、コーチクラスの年俸(1500万円~2000万円。推定)を受け入れられないケースがある。8000万円から1億5000万円程度が相場(推定)とされる1軍監督ならば引き受けることができる。阪神は関西地区で絶大な人気を誇り、ある程度実績を残したOBたちは、評論家、イベントなどに引っ張りだこである。地上波でのテレビ中継は首都圏ではなかなかお目にかかれないが、関西のテレビ局では依然良質なコンテンツとして価値を持ち続けている。仕事の機会は巨人OBより多いかもしれない。現役時代大した成績を残していない選手であっても、タレントのように活動しているOBもいる。2023年から指揮を執った岡田阪神に後継候補の藤川、鳥谷敬が入閣しなかったのは、こういった事情もあるとみられる。

 阪神は2016年、指導者経験のないOBの金本知憲氏を1軍監督に招いた。改革を託された鉄人は特徴ある選手の獲得を強く進言し、ドラフトで大山、青柳らの獲得に成功、2023年の優勝の土台を築いたが、就任3年目に最下位に沈み、契約を2年残しながら。退任に追い込まれた。厳しさを打ち出す方針が今どきの若い選手との距離を招いたともいわれた。事実上の解任とも言われた去り方はあまりにもさみしく、いきなりの1軍監督就任の難しさを改めて露呈した形にもなった。この時、球団側が強く求めて平田勝男(現2軍監督)をチーフ野手コーチとして入閣させていた。新米指揮官を補佐するために、現場経験が豊富な年長コーチがヘッド格として支えるケースは多いが、藤川阪神には同世代のコーチが多く、サポートする熟練指導者は見当たらない。

藤川監督の強みと不安要素

 藤川監督は引退直後から球団本部付スペシャルアシスタントとして球団と関わりをもっている。昨年は外国人調査にも関わっている。現場経験はないが、組織の内部に入っており、球団事情には精通しているといえる。現役時代一緒にプレーした選手も多い。選手との距離は近い。

 解説者としては、試合状況を解き明かし、選手の心理を見事に言語化し、多くの視聴者から好評を得た。就任後の様子をみていると、指導はコーチに任せ、年代的にも選手に近い選手の話をしっかり聞いているように見える。対話を通じて目標にすり合わせ、組織をまとめるモチベーターのような素養も見え隠れする。

 強いチームを引き継いだ監督は大変だ。低迷しているチームを引き受けた方が、自分の色を出しやすく、思い切ったことにトライしやすい。岡田彰布前監督が教育し、十分優勝を狙える戦力が整っている現状の阪神を任され、どう舵を取っていくかは難しいところでもある。

 阪神の投手力がリーグ屈指といっていい陣容であることは、先の大リーグ、カブス、ドジャースとのプレシーズンゲームで連勝したことで証明されている。阪神が優勝するにはどう得点を取るかに尽きる。ある有力OBは「守護神は1点を守りに行く野球。監督になって、窮屈な野球にならないか」と心配もする。

 色を出すという意味では、キャンプで成長を感じ取った高寺望夢という5年目の内野手を使っていく手もあるが、開幕からレギュラーを奪い取るところまではいきそうにない。投手陣は3年目の門別啓人と富田蓮を先発に、ドラフト1位新人の伊原陵人(NTT西日本)、育成枠からブレークした工藤泰成らを1軍戦力に組み込んで使っていきそうだが、野手は昨年のラインナップが濃厚だ。年始に発表した3番佐藤輝、4番森下、5番大山のクリーンアップの組み替えが、藤川阪神の唯一の旗印になる。

 三振の多い佐藤輝を重圧が少なく思い切っていける3番に置き、昨年の侍ジャパンで4番を任されるほど勝負強い森下を真ん中に据え、責任感の強い大山を回収役の5番に任じたこの並びは、選手の特性をよくよく知っている藤川監督ならではのアイデア。岡田野球を継承しつつ、そこに藤川流のスパイスを味付けする形で船出することになりそうだ。

結果がすべての世界

 2度目の登板となった岡田前監督は1年目優勝(日本一)、2年目2位だった。戦力的に優勝を狙えるチームだけに、2位以上が成功か否かの一つの目安になる。何から何まで注目され、どんな些細なことでもメディアに報じられるのが阪神の宿命だ。勝負の世界は結果がすべて。勝てば指導者経験なんて関係ないと言い切れるし、負ければやはり…と言われてしまう。コーチ経験がない藤川監督ならではの采配を駆使して、新しいタイガースの野球を見せてほしい。そうなれば、球団創設90年のシーズンが、見ごたえのある一年になる。


大澤謙一郎

サンケイスポーツ文化報道部長(大阪)。1972年、京都市生まれ。アマチュア野球、ダイエー(現ソフトバンク)、阪神担当キャップなどを務め、1999年ダイエー日本一、2002年サッカー日韓W杯、2006年ワールド・ベースボール・クラシック(日本初優勝)、阪神タイガースなどを取材。2019−2021年まで運動部長。2021年10月から文化報道部長。趣味マラソン、サッカー、登山。ラジオ大阪「藤川貴央のニュースでござる」出演。