文=手嶋真彦 写真=橋本美花
ベンチマークとなったポートランドのある光景
その先進性を、まずは強調しておきたい。先日公になった池田純の明治大学「学長特任補佐」就任は、日本の有力大学がスポーツビジネスのプロを招聘したという一点だけで画期的な出来事なのだ。
横浜DeNAベイスターズ時代の池田は、2011年の球団社長就任から5年で売上倍増や黒字転換を成し遂げ、優れたその経営ビジョンをプロスポーツの世界で顕著な成果に結び付けている。そんな池田を知恵袋として迎えた明治大学の取り組みは、日本におけるカレッジスポーツの産業化に向けた先駆的な動きと評さねばならない。
池田個人は一つの理想像をすでに持っている。ベンチマーク(指標)となるのは、アメリカで目撃した次の光景だ。
「あれはポートランドの中心街でした。オレゴン州立大学のすごく大きいグッズショップが、立派な建物の1階に広々とした店を構えているわけです。どこかのブランドショップ? くらいの印象ですよ。店舗に並んでいるスポーツ関連グッズは全部、色からロゴや文字のフォントまで統一されていて、つまりブランドが確立されている。学生はそこで買ったグッズを普段使いで着ていますし、地元の人たちも普通に立ち寄るショップになっているんです」
そのオレゴン州立大を含めたアメリカの各大学は、学内の全てのスポーツと各運動部を統括するアスレチック・デパートメント(ここでは「大学体育局」と訳しておこう)を部局として構えており、その部局のトップをアスレチック・ディレクターと呼んでいる。ちなみにオレゴン州立大のアスレチック・ディレクターは、同大学の副学長を兼ねている。
日本の大学にはほぼ存在しない部局と役職であり、池田は今回のオファーを受けるに際し、アメリカのアスレチック・デパートメントとアスレチック・ディレクターが具体的に何に従事しているかを調査し、体系的にまとめる作業から手を付けなければならなかった。日本では前例が皆無に近いその部局とトップが担うべき主な任務は、各運動部の財務、法務、安全管理に加え、要約すると次のようになると言う。
学生スポーツを振興し、その大学の関係者のアイデンティティとしていく。例えばラグビー、サッカー、野球、バスケットボールの対外試合に、現役の学生だけでなく卒業生も押し寄せるほど集客力を高める。スポーツやその感動を通して、当該大学の一員であるというアイデンティティを醸成する。
試合やイベントのチケットセールスを含めた企画・運営や、関連グッズの制作・販売、スタジアムやアリーナ、トレーニング施設といったファシリティ(施設)の整備・管理もアスレチック・デパートメントが取り仕切る。学生スポーツの人気が高まれば、部局専任のスタッフ増員や担当分野の専門化なども進めていく。
大学はアスリート養成機関である前に、社会に貢献できる人材の育成機関であるはずだ。プロスポーツの狭き門をくぐれる運動部員はごく一握りであり、いわゆるデュアルキャリア形成のための環境整備も、これからの大学には不可欠だろう。池田は言う。
「将来の競技引退後までを見据えた準備が、大学時代になされていないのは大きな問題です。日本の学生アスリートがスポーツ以外でもしっかり学べるように、アスレチック・デパートメントで考えていかなければなりません」
「日本はまだスポーツの発展途上国」
©VICTORY それぞれの競技と真摯に向き合い、情熱を注ぎ込む関係者が日本にも大勢いると承知しているからだろう。池田は「申し訳ないんですが」と前置きした上で、あえて客観的な認識を口にする。
「日本はまだスポーツの発展途上国ですからね」
今後の発展の大きなカギを握っているのが、池田によれば大学スポーツだ。学生時代から日常的にスポーツに触れ(とりわけ観戦して)、それを人生の糧や生き甲斐にできる文化が根付けば、たしかにプロを含めたスポーツの産業化はおのずと進んでいくだろう。
大学スポーツのポテンシャルは、実は大きい。
「明治大学の卒業生は50万人以上いるんです。その10パーセントがファンクラブ的なものに登録してくれたら、それだけで5万人。ベイスターズのファンクラブが今7万5000人くらいです。さらに明治大学のファシリティがある地域の人たちにも関心を持ってもらえると、マーケットはもっと大きくなります。そのためには仮設でいいから300人でも500人でも収容できるスタンドを設けて、地元の人が気軽に見学できる施設にしていかないと」
池田は順序をわきまえている。
「ビジネスって最後だと思うんです。ベイスターズがそうでした。まず地域に根付いて、野球が横浜の文化になる。選手たちの意識が高くなり、ファンサービスがちゃんとできるようになる。それでやっとお客さんが入って、収益が上がるようになる。まずビジネスありきじゃない。最後に付いてくるんです」
ここで一つはっきりさせておこう。池田が今回就任したのはパートタイムの学長特任補佐である。あくまで学長の補佐役であり、明治大学内の意思決定プロセスには関与できない。フルタイムの球団社長として決断を下せた横浜DeNAベイスターズ時代とは異なり、権限がない。先進的で画期的な池田の招聘が実を結ぶかどうかは、実は大学次第なのだ。
現状では正課の活動ではなく、任意団体の扱いになっている各運動部を学校法人に組み込むという大きな一歩にしても、明治大学内のコンセンサスが取れなければ踏み出せない。合意形成に手間取り、時間を浪費すれば、どうなるか。いくら希少なスポーツビジネスのプロでも、宝の持ち腐れになりかねない。池田はベイスターズでプロスポーツクラブの経営を立て直し、現在はJリーグの特任理事として機構のリーグビジネスについて継続的に学び、スポーツ先進国のアメリカとも様々なパイプを持っているのだ。
この国のカレッジスポーツを統括する日本版NCAAがいずれ組織化され、その存在価値を高めていくには大学同士の横の繋がりが不可欠だ。
「まずは明治大学にアスレチック・デパートメント的な組織が出来上がり、機能していることですね」
当面のその目標地点に、いつ到達できるのか?
「あと3年で、何とかしなければなりません」
池田の招聘に動き、全面的なバックアップを約束している土屋恵一郎学長の任期は、3年後の2020年3月までで切れる。再任の保証はどこにもない。
少子化が進行する日本の18歳人口のいっそうの減少により、全国におよそ780校という各大学はこれから熾烈な生存競争に晒される。志願者の増加に繋がるスポーツを通したブランディングは、大学自体の生き残りを懸けた施策でもあるのだ。
明治大学が最初に池田に声を掛けてから、今回の学長特任補佐就任発表までおよそ半年。せっかく迎え入れた人材のいわば遊休資産化を避けるためには、意思決定のスピードをもっと上げていかなければなるまい。(文中敬称略)