日体大はいち早く大学スポーツの改革に乗り出していた
――日本体育大学は、UNIVAS設立に先駆け、スポーツ庁から「大学横断的かつ競技横断的統括組織(日本版NCAA)創設事業(大学スポーツの振興)」の委託先大学に選定されています。まずは、日体大アスレティックデパートメント(以下、AD)の設立経緯について教えてください。
「いち早く、と言っていいと思いますが、日本体育大学では1998年、ADの前身になる『スポーツ局』を設立しています。これは、日体大が特定の競技スポーツについて、重点的に強化をしていくための組織でした。それ以前は、運動部、文化部、サークルを含めた学生の活動は全て学友会という組織が統轄していました。加えて、強豪運動部などは、自分たちで部費を集めたり、OB 会を中心とした後援会からの費用を基に自主強化をしていたのですが、本学の競技スポーツの競技力向上と、広くスポーツの振興、スポーツ文化の向上に資する目的で組織されたのがスポーツ局です」
――アメリカのNCAA(※)の強化の部分を先鋭化させた組織というわけですね。そこから時間を経て、今度はスポーツ庁も関わって日本版NCAAの話が出てきた。
(※NCAA:National Collegiate Athletic Association/全米大学運動協会。アメリカの大学スポーツ全体を統括する組織で、競技界の開催、大学間・競技間の調整、テレビ放映権の管理などの運営を行う。現在約1200校の加盟数を誇る)
「スポーツ局設立後、オリンピック出場選手の輩出数、メダルの獲得数の増加といった強化の成果は表れていました。そのため、日体大はこのままの強化策を進めていくんだろうとみんな思っていたとき、“大学スポーツの改革を”をスローガンに、日本版NCAAの話が持ち上がりました。強化だけではなく、学業との両立、けがを負った選手への補償も含めた学生の安全安心を守るなどさまざまなところをアメリカのNCAAに習って充実させていこうという理念は、本学としても賛同するところが多かったということですね」
――スポーツ局がADに改組された?
「そうですね。これも日本版NCAAがどうなるか、まだ何も決まっていないときの話で、いち早く取り組んだといえると思うのですが、2017年4月にADを設立しています。競技スポーツの強化を担っていたスポーツ局に、新たにスポーツマネジメント部門やスポーツ施設管理部門を追加し、さらに、ハイパフォーマンスセンター、コーチングエクセレンスセンター、スポーツ・トレーニングセンターの3つの附置機関を統合したのがADです」
――当時は日本に前例のない組織だったと思うのですが、ADを設立するに当たって参考にされたことは?
「当然アメリカのNCAAは、私も含め準備委員会のメンバーもずいぶん視察や調査を行いました。当時のスポーツ局に強化の仕組みはありましたが、アメリカのNCAAには、学業とスポーツの両立を目指した具体的な方法や、選手の安全を守る制度、そしてそのための費用を捻出する仕組みが確立されていました。学生支援のためのスカラーシップ(奨学金制度)、NCAAが定めた成績評価値(GPA)を満たさなければ練習に参加できないというルールは有名ですが、私としては、スポーツ活動によって脊髄損傷、頸椎損傷などの重度障がいを負った選手への手厚い補償が学生アスリートにとっては大きなメリットになると感じました。そしてこうした仕組みを機能させるために、NCAAはテレビの放映権やスポンサーからの収益、ドナーからの寄付金により、独立採算で1000億円を超える収益をあげているといわれています。一方、UNIVASは、発足前、まだどんな仕組みになるのかを協議している段階ですが、すでにAD設立から2年が経過したなかで、可能性と課題は見えてきています」
アスレティックデパートメント設立から2年、見えた可能性と課題
――可能性の部分でいうと?
「本学はスポーツ局の競技スポーツ強化策で成果を出してきているので、その部分は引き続き充実させていくことができると思います。UNIVASが設立され、各大学にADが設置されていくことで、今後、競技の質向上は見込めるでしょう。保険や収益も期待できます。UNIVASでは、各大学の加盟金を10万円と非常に低く設定しています。加盟大学が増えればそこに何十万人という大学生が集まるわけですから、大きなマーケットと捉える企業も増えてくる。結果としてスポンサーが増え、学生にその収益が還元されるという仕組みができれば最高ですよね。事前の説明会ではすでにスポンサーに興味を示す企業が複数出てきているとか。私が学生だったころには考えられないことです」
――では、先行してADを設立したからこそ見えてきた課題とは?
「アメリカのNCAAには100年以上の歴史があるし、そのやり方が前提になっていますよね。一方日本は全てにおいてこれからという状態。日体大の場合でいえば、先ほど申し上げたように学生のクラブ活動全般においては学友会、大学生活に関しては学生支援センターと、NCAAが統合している機能がすでに別々の組織によって運営されているわけです。これは他大学も事情は同じだと思いますが、学内のさまざまな組織をスポーツの名の下に一気に統合するというのはかなり大変な作業です。大学も教員や事務職員をどんどん増やせるような時代ではないので、兼職で頑張っている。こういった組織形態の問題は今後解決していかなければいけないと思います」
――現時点ではUNIVASも日本の大学の現状に照らしてそれぞれに合ったやり方を模索してほしいというスタンスですよね。
「日体大のAD長補佐、スポーツアドミニストレーターでもある佐野(昌行)准教授がUNIVASの準備委員会で手引書をつくるプロジェクトに参加しているので、日体大のケースは先行事例としてUNIVAS側にも情報がいっているはずです。こうしたことも踏まえて、“どう組織づくりをしていくのか?”が重要だと思っています」
――日体大は、その名の通り、体育大学であるという特殊性もあります。
「うちの場合は、在学生がかなりの割合で運動部に所属しているという事情はありますよね。だからADのような組織、UNIVASができることによって、メリットを受ける学生が他大学に比べても多い。しかし裏を返せば、多くの学生を支援するための原資が足りなくなる可能性がある。NCAAでは競技種目を絞ることで、いろいろな意味での“線引き”を行っていますが、UNIVASでは、現在までのところ学生スポーツ全体という考え方できています。どこまでの競技、種目をカバーするのか、サークル活動との線引きはどうするのかなどは、学生アスリートを多く抱える本学特有の問題になるかもしれません」
不祥事の続く日本スポーツ界で、あらためて考えなければならない問題
――ADという意味では、学生のほとんどが対象ということで機能させやすい面もありますね。さらにいえば、日本のスポーツをリードしてきた日体大だからこそ担わなければいけない役割もあるような気がします。2018年はスポーツにまつわる問題がたくさん起きましたが、多くの指導者、教員を輩出する日体大が、日本のスポーツ環境の未来を左右するという側面もあります。
「スポーツ局の時代は、ある意味競技スポーツの強化に特化してやっていた。ADが設立されて変わったのは、その部分ですよね。まず、暴力や体罰の根絶、コーチングの手法など指導の在り方に関する学内セミナーがものすごく増えたんです。指導者だけでなく、将来指導者を目指す学生も学ぼうと思えば学べる環境ができつつあるのはいい兆しです。クラブ活動を優先してしまい放課後行われるセミナーに出席しづらいといった問題を解決する必要はありますが、大学全体、学生レベルでもこうした問題意識が出てきているのは間違いありません。かつては、“日体大=古い体育指導”というイメージを世間の皆さんが抱いていた。私は指導者として、選手に手をあげたことは一度もありませんが、指導においては『相手がどう感じていたか』が全てなので、全ての指導者があらためて考えなくてはいけない問題だと思います」
――2018年4月に、スポーツ危機管理研究所を設置するなど、「日体大の変化」についても大きな話題になりました。
「スポーツ活動時の重大な事件や事故については、数年前から本格的に取り組んできています。スポーツ危機管理研究所や社会貢献推進機構、すでにお話しした学友会や学生支援センター。アメリカのNCAAを規範とするなら、これら全てを統合した組織がADというのが理想の姿ですが、現時点では、大学全体で問題意識を共有してそれぞれの持ち場でがんばっています」
――今春にUNIVASが始動することで大学スポーツはどう変わるのでしょう?
「もちろんいい方向に変わってほしいと思いますし、変えていかなければいけないと思っています。たとえば、UNIVASが具体的な活動として挙げている学生アスリートの表彰制度は、学生にプライドを持ってもらうために一つ重要なんじゃないかと思っています。例えば、本学の白井健三選手が体操競技で表彰されるのは当たり前です。しかし、競技の枠を超えてUNIVASで表彰されることは、学業との両立も含め、人間的な魅力を評価されたということになります。本人の自信にもなりますし、大学のブランディングという意味でも大きい。学生に普段から『見られているんだから日体大生として恥ずかしくない行動をしろ』と口頭で言うよりも、『日体大生はどうあるべきか』ということにプライドを持っていれば行動が変わるはずです。学生一人ひとりのプライドが大学のブランドをつくっていく。ADは学生のプライド、大学のブランディングに寄与していく存在であるべきだと思っています」
<了>
取材協力:CHICHICAFE(東京都世田谷区玉川1-2-8)
[PROFILE]
山本博(やまもと・ひろし)
1962年生まれ、横浜市出身。1984年ロサンゼルス大会でオリンピック初出場、銅メダルを獲得。20年後となる2004年アテネ大会で銀メダルを獲得し、“中年の星”として注目を浴びる。2006年、世界ランキングで日本人初となる1位を獲得。オリンピック5大会出場など国内外の大会で好成績を収める。現役選手として57歳での東京2020オリンピック出場を目指す。日本体育大学教授 博士(医学)、同大学アスレティックデパートメント長。東京都体育協会会長。東京オリンピック・パラリンピック競技委員会顧問会議顧問。
「中年の星」山本博が56歳で東京五輪を諦めない理由とは?夢を叶えるために大切なこと
2004年、アテネオリンピックのアーチェリー競技で、41歳にして自身にとって20年ぶりのメダルとなる銀メダルを獲得し、“中年の星”として一躍時の人になった山本博選手。その山本選手は、56歳になった今も東京2020オリンピックを目指し、第一線で戦っている。年齢を重ねても失われない競技へのモチベーションはどこから湧いてくるのか? 教育者でもある山本選手に、夢の源泉、あきらめない心の持ち方について聞いた。(取材・構成=大塚一樹)
なぜ大学のアメフト部が60億も“稼げる”のか? 河田剛氏に聞く米国カレッジスポーツ驚異の構造
すべてが桁違いのアメリカンスポーツ産業のダイナミズムは、アマチュアの大学スポーツにおいても際立っている。スタンフォード大学アメリカンフットボールチームでオフェンシブ・アシスタントを務める河田剛氏に、米国のカレッジスポーツの儲かり続ける「夢のビジネスモデル」についてお話をうかがった。
なぜ筑波大はアスレチックデパートメント設立へ動くのか 永田恭介学長が語るスポーツの重要性
8月1日、筑波大学はアスレチックデパートメント設置準備室の立ち上げを発表した。過去にはトップアスリートの走り方の改善も行った実績もある同大学の永田恭介学長に、大学にスポーツが必要な理由を伺った。
スポーツと勉強の両立なんて、普通のこと。サッカー大国ドイツの場合
日本では、未だに「スポーツと勉強の両立」がとても難しいこと、「どちらかに集中していないこと」と捉える声があります。しかし、サッカー大国ドイツではプロ契約を結ぶ選手の3分の2が大学入学資格を持っています。どういう理由なのでしょうか? ベルリン在住の鈴木達朗さんに解説を依頼しました。
なぜ日本は、子どもを練習漬けにしてしまうのか? 燃え尽きる高校生が出る理由
前橋育英高の初優勝で幕を閉じた、第96回全国高校サッカー選手権。優秀な選手だけでなく、テーピングでガチガチに固めた選手たちも目立ちました。スエルテ横浜の久保田大介さんによると、「練習漬け」の環境は小学生の頃にある模様です。現場の声として、記事の執筆をお願いしました。(文:久保田大介[スエルテ横浜])
日本はいつまで「質より量」の練習を続けるのか? 坪井健太郎インタビュー
「長時間の練習、絶え間ない努力が結果に結びつく」。日本では長らく、スポーツのトレーニングに質より量を求める風潮があり、その傾向は現在も続いています。結果として、猛暑の中での練習による事故、罰走を課せられた選手が重体になる事件など、痛ましいニュースが後を絶ちません。 海外に目を移せば、十分な休養、最適な負荷がトレーニングに必要な要素という認識がスポーツ界でもスタンダードになっています。サッカー大国・スペインで育成年代のコーチを務める坪井健太郎氏にお話を伺いました。(取材・文:大塚一樹)
「日本一、パラを語れる女子アナ」久下真以子さん 人生を変えられたアスリートとの出会いを語る
「日本一、パラを語れるアナウンサー」を目標に掲げ、精力的にパラスポーツの取材を続けている、フリーアナウンサーの久下真以子さん(セント・フォース所属)。1月から放送が開始する『PARA SPORTS NEWS アスリートプライド』(BSスカパー!)のキャスター・リポーターに抜擢されるなど、その活躍の場を広げています。なぜ彼女はパラスポーツに魅了されたのでしょうか? そこには彼女の人生を変えた恩人ともいえるアスリートとの出会いがありました――。(文=野口学)