文=松原孝臣

箱根はあくまでも関東を舞台にした大会

共同通信

 2017年の箱根駅伝は、往路、復路ともに青山学院大学が制して総合優勝を飾り、3連覇を達成した。総合3連覇は80年ぶり、2校目という快挙である。

 今大会もまた、多くの注目を集め、高い視聴率を獲得した。あらためて、箱根駅伝の人気を実感させられるが、その人気の高さゆえに弊害も指摘されてきた。「選手の育成にマイナスである」ということである。

 どういうことかと言えば、その注目、人気のため箱根駅伝がランナーにとって、一大目標となってしまい、そこで燃え尽きてしまう、無理をすることでのちのちの競技人生にマイナスの影響をもたらす、といったところだ。

 怪我を押して出場し、悪化させてしまえば、それは問題であるのはたしかだ。ここではもう1つの「燃え尽きる」というポイントを見てみたい。

 大きな舞台を目標に進んで終えたあとの問題、「燃え尽き症候群」は箱根駅伝に限らない。高校野球がそうだし、かつてはラグビーにおいても大学が最終目標であるかのように捉える選手もいた。

 そこに共通するには、もうこれ以上やりがいのある、向かっていける目標が見つからない、ここが選手としての最終ゴールなんだ、という意識だ。無意識であれ、そう囚われてしまうと競技を続けていくにしても輝きを失ってしまう。

 だから箱根駅伝についても、問題視することは少なくなかった。とりわけ、マラソンランナーの育成にとってマイナスであると言われてきた。

 よくよく考えてみれば、そうは言えないのではないか。むしろ、つながりはないのではないか。そもそも、その箱根とマラソンの両者がリンクされるのは、箱根から世界へ、と宣伝されてきたことが大きいように思える。箱根駅伝を踏み台に世界で活躍する選手を送り出す、それがPRの1つとなってきた。

 だが箱根駅伝は全国大会ではなく、あくまでも関東を舞台にした大会に過ぎない。全国の大学のトップランナーが集うわけではないのに、PRや人気のために、その実質の部分が拡大されているのは否めない。

箱根以上の舞台を提示できないのが問題

共同通信

 実際は、それこそ箱根の舞台を踏むこと自体に必死なランナーは少なからずいる。卒業後の進路として実業団へなんとか進みたい、そう考えるのが現実的な選手たちも少なくはない。箱根を走る選手のレベルはさまざまだ。世界で活躍するマラソンランナーが続々と誕生する――その土台となるだけのレベルというわけではないのだ。

 その上で、もし箱根駅伝で燃え尽きるランナーがいることを問題視するなら、そしてそれが本来は世界を目指せるような能力のある選手に起きているとするなら、そのとき浮かび上がる課題は、箱根にあるわけではない。箱根以上の舞台が競技人生において待っているのを提示することができていないことが問題なのではないか。

 何よりも箱根駅伝にはその人気の高さによって生じるメディアの伝え方、取り上げ方などの問題点もないとは言えないにせよ、ランナーたちの目標として、競技に取り組む上での励みであったり、普及の点での意義もある。

 注目される舞台があることは、決してマイナスにはならない。関心を高めるのに苦労している多くの競技を見回しても、そう言えるのではないだろうか。


松原孝臣

1967年、東京都生まれ。大学を卒業後、出版社勤務を経て『Sports Graphic Number』の編集に10年携わりフリーに。スポーツでは五輪競技を中心に取材活動を続け、夏季は2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオ、冬季は2002年ソルトレイクシティ、2006年トリノ、 2010年バンクーバー、2014年ソチと現地で取材にあたる。