文=横井伸幸

スタジアム移転の契機になったオリンピック開催都市への立候補

 今年の夏、アトレティコ・マドリーは新スタジアムに移転する。これだけ聞くと、アトレティコにたいして興味がない人は「良い話」と思うだろう。選手も観客もピカピカで最新式の施設を使えるようになるのだ。

 他方、アトレティコの事情を多少知っている人は「仕方がない」と感じるかもしれない。2006年2月にこの案が発表されたとき、GMにあたるミゲル・アンヘル・ヒル・マリンはクラブが抱える膨大な債務をきれいさっぱりなくすために必要な引っ越しだと語ったからだ。なるほど移転して、現在のホームスタジアムであるビセンテ・カルデロンの土地を売れば借金は返済できるかもしれない。

 中国の大連万達グループを冠に「ワンダ・メトロポリターノ」と名付けられた新スタジアムは、元は「ラ・ペイネタ」と呼ばれた陸上競技場で、引っ越しをもちかけたのは当時のマドリー市長だった。

 2020年のオリンピック開催都市への立候補に際し、ここを整備して主会場にすることを決めたのはいいが、国際オリンピック委員会の承認を得るには事後の使用法も考えねばならない。

 そこで思いついたのがアトレティコの誘致である。改築費用をアトレティコに出してもらい、代わりにスタジアムを譲る。その上、いまビセンテ・カルデロンがある土地を金が生まれる住宅地に用途変更してやればウィン・ウィンのプロジェクトになるではないか。

 しかし実際のところ、アトレティコにとってはそれほどおいしい話ではなかった。ヒル・マリンが前述の移転理由を口にしてから半年後、エル・パイス紙が出した見積もりは次のとおりである。

 ビセンテ・カルデロンと隣接する元ビール工場の跡地計9万2297㎡を計画どおり用途変更し、池のある公園と36階建てのタワー2棟を始めとするマンション計10棟を建設するとして、土地の評価額はおよそ5億2000万ユーロ(現在のレートで約604億円)。アトレティコの懐に収まるのはその半分の2億6000万ユーロ(約302億円)。

 反対に出ていくほうはというと、ラ・ペイネタの改築に少なくとも1億6000万ユーロ(約186億円)必要で、他にはビセンテ・カルデロンの脇を通る環状高速道路の地下化コスト1億4000万ユーロの6割(約98億円)をビール会社と折半しなければならない。

 オリンピック開催が決まったらさらなる改修が必要になるのだがそれは置いておいて、この時点で移転による差益は5800万ユーロ(約67億円)である。債務総額はクラブの発表で1億3000万ユーロ(約150億円)、第三者の計算では4億4000万ユーロ(約511億円)に上っていたので、いずれにせよ、きれいさっぱりなくすどころではない。

 2008年12月、移転を正式決定するにあたり、アトレティコは支出を抑える契約を建設会社FCCと結んだ。改築や高速道路の地下化、ビセンテ・カルデロンの取り壊し等工事いっさいをタダでやってもらう。代わりに用途変更された土地は自由にさせてやる――。 

 実質プラスマイナスゼロ。クラブを救うはずだったスタジアム移転は、ここでただの引っ越しに成り下がった。
 
 が、まだ終わらない。2016年2月、アトレティコとの協議の末、FCCがその契約を解消したのである。スペインの不動産バブルがはじけて久しいところに、"跡地"の建設許可に関する問題――5階以上の建物を禁ずる裁判所命令――が生じたため、マンションを建てて販売したところで工事費用は回収できないと判断したのだ。

1億ユーロの利益のはずが、1億7000万ユーロのマイナスに

©Getty Images

 結果、スタジアムを完成させるために、アトレティコは新たに1億6000万ユーロもの大金を借り入れることになった。また、それ以外にもラ・ペイネタの土地買収やら駐車場を含む周囲の整備やらで支出はかさんでおり、今年2月ラジオ・マルカのインタビューに応じたエンリケ・セレソ会長は膨大な損失の発生を認めている。

「当初、移転は1億ユーロ(約116億円)の利益をクラブもたらしてくれるはずだったが、現在は1億7000万ユーロ(約198億円)のマイナスだ」

 この移転プロジェクトを最初から客観視してきた人はアトレティコの判断ミスを指摘し、クラブを愛するサポーターたちは嘆いている。そもそもオリンピック誘致から派生した話なので、落選が決まったタイミングですべてを反故にする手もあったのに。引っ越しにかけるそのお金を、歴史と思い出が詰まった俺たちのビセンテ・カルデロンの改修に回す手だってあったのに。

 1970年代に生まれたアトレティコのクラブソングには次の一節がある。

俺はマンサナレス川へ、
ビセンテ・カルデロンへ行く
そこへ足を運ぶのは
心を揺さぶるサッカーを好む大勢の人たち

 最後までサポーターの心を揺さぶってきたビセンテ・カルデロンでのアトレティコ最終戦は、5月の第3週末、兄弟クラブであるアスレティック・ビルバオを迎えて行われる。


横井伸幸

1969年愛知県生まれ。大学卒業後たまたま訪れたバルセロナに縁ができ、01年再び渡西。現地の企業で2年を過ごした後フリーランスとなった。現在は東京をベースに活動中。記事執筆の他、スポーツ番組の字幕監修や翻訳も手がける。