文=菊地高弘

「ミスター完投」斎藤雅樹を彷彿

©共同通信

 2016年のドラフト戦線は、目玉と見られた創価大・田中正義が右肩痛に苦しむなど、有望選手が不安定な状態を露呈するケースが目立った。肉体的にも精神的にも発展途上であるアマチュア選手だけに、それは仕方がない面がある。一方で、年間通して高いレベルで安定したパフォーマンスを見せる選手がいれば、それはプロで即戦力の可能性を秘めた、限りなく「プロに近いアマチュア」ということになる。

 昨年、大学球界で年間通して安定した投球を見せたのは、中日から1位指名された明治大・柳裕也、そしてロッテから1位指名を受けた桜美林大・佐々木千隼だろう。

 昨シーズン途中から桜美林大の正捕手になった大平達樹はこう証言する。

「去年まで僕はレギュラーではなかったのでバッテリーを組んでいなかったんですけど、佐々木さんが試合中に崩れるところも見ていました。でも、今年はほとんどそういうシーンがありません。1点取られても、そこから踏ん張れるのが悪いなりに抑えられる要因なのかなと。ピンチの状況でも崩れないのはすごいです」

 佐々木はサイドスローに近い角度のスリークオーターから最速153キロの快速球を投げ込み、さらにキレのいいスライダー、シンカー、ツーシームといった球種を武器にする投手だ。かつて巨人で「ミスター完投」と呼ばれ活躍した斎藤雅樹(現・巨人二軍監督)を彷彿とさせる投球スタイルを見せる。佐々木は言う。

「スリークオーターなのはずっと前からで、高校時代からですね。ただ、自分では横から投げているイメージはなくて、上から投げているつもりなんです」

 都立日野高時代も有望選手のひとりではあったが、当時は投手というよりも打者として注目されていた感があった。日米親善試合を戦うために編成された東京都選抜のメンバー20名に選ばれた際も、佐々木は内野手の枠で選出されている。ちなみに、当時の東京都選抜には鈴木誠也(広島)、池田隆英(創価大→楽天2位)、石川亮(日本ハム)と後にプロに進んだ選手が多かった。

 佐々木が投手として大きく成長したのは桜美林大に進学後のこと。同大の特別コーチを務めている野村弘樹コーチ(元・横浜)の指導を受けたことが大きかった。佐々木は野村コーチに指導された内容をこう語る。

「下半身の使い方を教えてもらったことで、体重移動の動き方が変わりました。それまでは下半身に柔らかさがなかったのですが、柔軟性を出せるように取り組んで体の開きが抑えられるようになりました。それまで球のスピードは出ていても、開きが早いので打たれていたんです」

 2年春から中心投手として活躍するようになると、4年春はリーグ戦で0.27という驚異的な防御率を記録する。そして6月には、大学日本代表の選考合宿(平塚)に招集されることになった。ここで佐々木は猛烈なアピールを見せる。

相手が強ければ強いほど実力を発揮する

©共同通信

 大学日本代表の選考合宿は、実戦形式の紅白戦で行なわれることがほとんどだ。大学日本代表の監督は、桜美林大と同じく首都大学リーグに所属する東海大の横井人輝監督(当時)だった。横井監督はこの選考合宿で佐々木をとくに注目していたという。

「リーグ戦でいつも手こずる投手なので(笑)。こういう場は初めてでしょうから、どういうボールを投げるか注目していました。でも、ウチのリーグを代表する、ナンバーワンのピッチャーであることを見せてくれたと思います」

 佐々木は合宿初日に2イニング投げ、打者6人をパーフェクトに抑えた。ドラフト候補として注目されていた吉川尚輝(中京学院大→巨人1位)には148キロのストレートで空振り三振。京田陽太(日本大→中日2位)に対してはストレートが152キロを計測した。佐々木は登板後、吉川と京田について「いい選手だということは知っていたので、意識しましたし、力が入りました」と語っている。相手が強くなればなるほど力を発揮できる、佐々木らしい投球だった。

 この選考合宿で佐々木は日本代表入りを勝ち取り、夏場は日米大学野球に出場。その第1戦で先発投手に抜擢されると、7回12奪三振の快投を見せ、日本の優勝に大きく貢献した。

 佐々木の勢いはさらに続き、秋のリーグ戦では年間7度目の完封勝利という離れ業をやってのけ、桜美林大の創部初優勝の原動力になった。そして続く明治神宮大会への出場権をかけて争われる横浜市長杯でも、創価大・田中正義に投げ勝つなど2勝をマークしてチームを明治神宮大会へと導いた。

 これほどまでに年間通して活躍を続けてきた佐々木だったが、さすがにこの頃になると明らかに疲れが目立つようになってきた。明治神宮大会ではストレートが走らず、シンカーを多用してのしのぐ投球に。佐々木の試合後のコメントも「調子は悪かったんですけど、悪いなりに抑えられました」という内容が増えた。

 それでも佐々木の好投もあって、桜美林大は決勝戦に進出。相手はやはり年間通して快投を続けてきた柳を擁する明治大だった。

 この晴れの試合に佐々木、柳の両者とも先発登板したが、もはや彼らに力は残っていなかった。柳は4回2失点で降板。佐々木も4回まで無失点と粘ったが、5回には大量4失点を許してこの回限りで降板した。明治大の左打者の多くが「ストレートはあまりなくて、シンカー中心だった」と証言したように、ボールの抑えが効かず、変化球でかわす投球に終始した。

 準優勝で最後の大会を終えた佐々木は試合後、涙を流しながらこうコメントしている。

「今日、まだまだ自分に実力が足りないと感じたゲームでした。プロでやるべきことはいっぱいあります。またイチからやっていきたいです」

 年間通して好不調の波を最小限に抑えていた男が、最後の最後に見せた大崩れ。その宿題を片付けるべく、佐々木はプロの世界でさらなる進化を遂げようとしている。
大学日本代表の選考合宿は、実戦形式の紅白戦で行なわれることがほとんどだ。大学日本代表の監督は、桜美林大と同じく首都大学リーグに所属する東海大の横井人輝監督(当時)だった。横井監督はこの選考合宿で佐々木をとくに注目していたという。

「リーグ戦でいつも手こずる投手なので(笑)。こういう場は初めてでしょうから、どういうボールを投げるか注目していました。でも、ウチのリーグを代表する、ナンバーワンのピッチャーであることを見せてくれたと思います」

 佐々木は合宿初日に2イニング投げ、打者6人をパーフェクトに抑えた。ドラフト候補として注目されていた吉川尚輝(中京学院大→巨人1位)には148キロのストレートで空振り三振。京田陽太(日本大→中日2位)に対してはストレートが152キロを計測した。佐々木は登板後、吉川と京田について「いい選手だということは知っていたので、意識しましたし、力が入りました」と語っている。相手が強くなればなるほど力を発揮できる、佐々木らしい投球だった。

 この選考合宿で佐々木は日本代表入りを勝ち取り、夏場は日米大学野球に出場。その第1戦で先発投手に抜擢されると、7回12奪三振の快投を見せ、日本の優勝に大きく貢献した。

 佐々木の勢いはさらに続き、秋のリーグ戦では年間7度目の完封勝利という離れ業をやってのけ、桜美林大の創部初優勝の原動力になった。そして続く明治神宮大会への出場権をかけて争われる横浜市長杯でも、創価大・田中正義に投げ勝つなど2勝をマークしてチームを明治神宮大会へと導いた。

 これほどまでに年間通して活躍を続けてきた佐々木だったが、さすがにこの頃になると明らかに疲れが目立つようになってきた。明治神宮大会ではストレートが走らず、シンカーを多用してのしのぐ投球に。佐々木の試合後のコメントも「調子は悪かったんですけど、悪いなりに抑えられました」という内容が増えた。

 それでも佐々木の好投もあって、桜美林大は決勝戦に進出。相手はやはり年間通して快投を続けてきた柳を擁する明治大だった。

 この晴れの試合に佐々木、柳の両者とも先発登板したが、もはや彼らに力は残っていなかった。柳は4回2失点で降板。佐々木も4回まで無失点と粘ったが、5回には大量4失点を許してこの回限りで降板した。明治大の左打者の多くが「ストレートはあまりなくて、シンカー中心だった」と証言したように、ボールの抑えが効かず、変化球でかわす投球に終始した。

 準優勝で最後の大会を終えた佐々木は試合後、涙を流しながらこうコメントしている。

「今日、まだまだ自分に実力が足りないと感じたゲームでした。プロでやるべきことはいっぱいあります。またイチからやっていきたいです」

 年間通して好不調の波を最小限に抑えていた男が、最後の最後に見せた大崩れ。その宿題を片付けるべく、佐々木はプロの世界でさらなる進化を遂げようとしている。

(著者プロフィール)
菊地高弘
1982年、東京都生まれ。雑誌『野球小僧』『野球太郎』編集部勤務を経てフリーランスに。野球部研究家「菊地選手」としても活動し、著書に『野球部あるある』シリーズ(集英社/既刊3巻)がある。

BBCrix編集部

著者プロフィール BBCrix編集部