文=菊地高弘
ドラフト戦線に名前すらなかった伏兵
「ひと夏で人生を変えた男」といっても過言ではないだろう。
2016年の夏がはじまる前、「今井達也」の名前はドラフト戦線にはなかった。夏の大会展望を論じる高校野球雑誌では、栃木県内の好投手のひとりとして紹介される程度の扱いでしかなかったのだ。
そんな投手がひと夏でバックネット裏のスカウト陣の目を釘付けにし、甲子園出場どころか全国制覇まで成し遂げ、秋にはドラフト1位で指名されるほどの投手になってしまった。ここまでのシンデレラストーリーを演じきった投手はそういないだろう。
2年夏は栃木大会の優勝メンバーだったものの、甲子園のベンチ入り18人からは落選。同年秋も県大会に1試合登板したのみで、3年春は「(2番手格の)入江(大生)に実戦経験を積ませるため」(小針崇宏監督)というチーム事情のため登板なしに終わっている。
だが、今井は人知れずその大きなつぼみをふくらませていた。2年の冬、小針監督は今井に対してこんな「指令」を出している。
「『ピッチャーはマウンドでひとりだ』と、冬の間は孤独を味わわせるようになるべくひとりで練習させました。野球はピッチャーが頑張らないと勝利するのは難しい。ピッチャーにしかできないことがあるわけで、そこをひとりで乗り越えてほしいと。『自分に向き合う時間が長くなれば長くなるほどいい』とも伝えました。春になって、今井は心身ともに中身の詰まったピッチャーになってくれたと思います」(小針監督)
着実に身体と技術が成長していくなか、精神的にもたくましさを増した今井に今度は“勝利”を求める意欲が湧いてきた。今井は言う。
「高校で自分でも驚くほどスピードが上がってきました。でも、いいボールを投げても勝てなければチームの戦力になれない。勝たせられるピッチャーになれるように取り組んできました」
そんな雌伏のときを経て、今井達也はいよいよスターダムにのし上がることになる。
甲子園での衝撃的な投球で世界が変わった
©共同通信 2016年8月12日。甲子園初戦の尽誠学園高戦で今井が見せた投球は衝撃的だった。180センチ、72キロの細身な体をしなやかに使った投球フォーム。低めにも高めにも、伸びてくるような軌道を描く最速151キロのストレート。そして左打者のインコースにカットボールぎみに突き刺さるスライダー。13奪三振をマークして完封勝利を収める頃には、今井を取り巻く世界はすっかり変わっていた。
今井とバッテリーを組む鮎ヶ瀬一也は今井の球質について、こう証言する。
「低めのストレートがボールになるかと思いきや、伸びてきてストライクゾーンに『スパーン!』と決まる。捕っていて気持ちいいですよ」
甲子園での初戦を終えた段階で、あるプロ球団スカウトは言った。「“3人”よりいいじゃない」と。
「3人」とは、大会前に「BIG3」に数えられた寺島成輝(履正社高→ヤクルト1位)、藤平尚真(横浜高→楽天1位)、高橋昂也(花咲徳栄高→広島2位)のこと。前評判の高かった3人の超高校級投手よりも「いい」という評価だった。
この言葉を裏付けるように、ドラフトでは西武から単独1位指名を受けてプロ入りを果たす。背番号は岸孝之が楽天にFA移籍したため空き番号となった「11」になった。もちろん、将来のエースを期待されていることの表れと取るべきだろう。
今春キャンプではA班(一軍)スタートとなるが、キャンプ初日の投球練習で右肩に強い張りを覚えて、すぐさまB班へと回った。だが、焦る必要はまったくない。今度は「ひと夏」ではなく、息の長い大エースへ――。今井は再び助走の時期に入っている。
(著者プロフィール)
菊地高弘
1982年、東京都生まれ。雑誌『野球小僧』『野球太郎』編集部勤務を経てフリーランスに。野球部研究家「菊地選手」としても活動し、著書に『野球部あるある』シリーズ(集英社/既刊3巻)がある。