文=座間健司

代表キャップ数ゼロ、唯一無二のカリスマ

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「カリスマ」が引退した。

 フットサルの全国リーグ『Fリーグ』に属するペスカドーラ町田の前身であるカスカヴェウの創設者、甲斐修侍が2016-2017シーズンを最後に現役を辞めた。5月7日には引退試合が行われ、フットサルワールドカップで2度MVPに輝いた元ブラジル代表ファルカンがゲストとして参加する。“プレーするスポーツ”としてはすっかり世間に定着したフットサルだが、観戦するコンテンツとしては全国区の人気を得ているとは依然として言い難い。ゆえに「甲斐修侍」と耳にしても、地元のFリーグのチームを応援するサポーターや熱心なファン以外の人はピンと来ないだろう。実際、甲斐修侍は日本代表のユニフォームに1度も袖を通さなかった。選手としての経歴、実績だけを見れば、彼よりも輝かしい選手は数多くいる。一方でフットサル愛好家、ファン、Fリーガーにとって、もしくは日本のフットサル史において、甲斐は唯一無二の存在として認知されている。2000年頃からは「カリスマ」という枕詞がつくようになった。

 なぜ甲斐は「カリスマ」と呼ばれるのか。

 甲斐は少年時代、大阪で名の知れた選手だった。高槻松原FCで第7回全日本少年サッカー大会3位で優秀選手となり、中学時代にはU-15日本代表としてプレー。高校卒業後に社会人サッカークラブでプレーし、プロを目指したが、叶わなかった。

 甲斐がプロフェッショナルとなったのは、フットサルに転向してからだ。1996年に当時職場だった山中湖スポーツセンターのバックアップを受け、フットサルクラブ・アズーを結成し、1998年1月に行われた第3回全日本フットサル選手権大会に山梨県代表で出場し、準優勝した。大会後にアズーのチームメイトといっしょに神奈川県にエスポルチ藤沢を創設した。そして1999年にエスポルチ藤沢を離れ、カスカヴェウを創設した。カスカヴェウの由来は、甲斐がブラジルへのフットサル短期留学で過ごした町の名前だ。2001年1月にはブラジルのかのクラブに入団し、同年6月には地域リーグで公式戦でプレーした。東京に創設したカスカヴェウは、2001年全日本選手権優勝など各大会で好戦績を残し、2007年に開幕したFリーグにペスカドーラ町田として参戦した。ペスカドーラ町田は2016年に全日本選手権を制覇し、2017年にはクラブ史上初めてFリーグ・プレーオフファイナリストとなった。甲斐は代表者兼選手として、Fリーグで10年プレーした。

ピッチ内外で見せた圧倒的な存在感

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 甲斐は1本のパスで観衆の腰を浮かせる稀有な選手だ。

 視野が広く、利き足の左から放たれるパスは正確で、スピードは戦況や受け手に応じ、ほどよく調節されている。とはいえ、それだけではスタンドはざわつかない。彼のパスには意外性が添付されている。ゲームを俯瞰できているはずの観衆が思わず「あぁ、そんなところにパスコースあったんだ!」「よくあそこが見えるな!」と唸るようなところにボールを通す。まるで神話で海が割れたようにきれいにパスが通るので、当時所属していたフットサル専門誌の編集部では甲斐のパスを勝手に「モーゼ」と呼んでいた。

「カリスマ」の由縁はプレーだけではない。

 Fリーグが開幕する7年前に、甲斐は1選手でありながらも、発起人となり、スーパーリーグを設立した。関東を拠点にしていた当時の強豪6チームが参戦した自主リーグ戦だ。当時トーナメント戦が主だったプレー環境の中で、定期的にゲームを開催することで競技力を高めた。さらには2,400人の観衆を集めるなどフットサルを「観るスポーツ」として普及させた。2年半で閉幕したが、その後のFリーグ誕生の動きを加速させたスーパーリーグは、間違いなく日本フットサルの進化を早めた。

 甲斐は言葉でも丁寧にフットサルを伝えた。彼ほどプレー解説や技術指南など伝達能力が高い選手はいない。メディアが彼をよく取り上げたのは、説明が抜群に分かりやすいからだった。当時は指導者がおらず、強豪チームの選手たちはブラジルやスペインといった先進国のビデオを観て、独自に研究していた。練習メニューも全て選手が考えていた。そんな時代にあって、ブラジルの経験がある甲斐は戦術、戦略をそっくりそのままコピーするのではなく、日本人に合う部分をピックアップし、自分たちのフットサルとして整理していた。かつ彼の説明は明瞭かつ明快で、同僚にすぐ伝わるものだった。さらにそこに彼のプレーが加わるのだ。この説得力も甲斐が「カリスマ」と呼ばれる要因の1つだった。

 現役を引退した甲斐は今後、指導者となっても「カリスマ」でいられるか。

 戦術、戦略に明確なアイデアがあり、伝達能力が高い人はすばらしい監督となる。例えば、昨シーズン、シュライカー大阪をFリーグ王者に導いた木暮賢一郎はその典型だ。彼も現役時代から自分の言葉で「フットサル」を的確に伝えていた。

 甲斐が監督として、スタンドにいる僕らの腰を浮かしてくれる日を楽しみに待ちたい。


座間健司

1980年7月25日生まれ、東京都出身。2002年、東海大学文学部在学中からバイトとして『フットサルマガジンピヴォ!』の編集を務め、卒業後、そのまま『フットサルマガジンピヴォ!』編集部に入社。2004年夏に渡西し、スペインを中心に世界のフットサルを追っている。2011年『フットサルマガジンピヴォ!』休刊。2012年よりフットサルを中心にフリーライター&フォトグラファーとして活動を始める。