文=座間健司

4-0の勝利を信じ続けたロス・コルチョネロス

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 6日に行われたリーガ36節、アトレティコ・マドリーはホームでエイバルに1-0で勝利した。勝者は試合が終わり、ロッカールームに引き上げたが、15分後、またピッチに姿を現した。試合が終わったら、すぐに帰宅するのがスペイン人だが、この日は終了の笛を聞いてからもスタンドから人はいなくならなかった。彼らはマフラーを振り、大声で歌っていた。アトレティコ・マドリーのサポーターは、自分たちの意思をダイレクトに選手たちに伝えたかった。

「逆転を信じている、私たちは信じている」

 4本の指を立て、そしてもう片方の手をグーにして、示すサポーターがテレビカメラに抜かれた。10日に本拠地で行われるチャンピオンズリーグ準決勝セカンドレグ、レアル・マドリー戦に向けてのメッセージだった。

 アトレティコ・マドリーは、ファーストレグを3-0で落としていた。逆転で決勝進出するには4点を決めて、なおかつ無失点で終えるしかない。もしくは90分で少なくとも3点を決めて、延長戦に持ち込むしかなかった。

 逆転勝利を目指す赤と白の縦縞のユニフォームが、試合開始から白の集団を圧倒した。前半16分ですでに2点を決める。スタンドのボルテージは最高潮だ。今シーズン終了後に本拠地の移転が決まっており、ビセンテ・カルデロンで行われる最後の“ダービー”は、まさにラストにふさわしい物語が生まれようとしていた。

 しかし、フランス人が冷や水を浴びせた。ベンゼマが左サイドで3人のディフェンスを抜き去ると、トニ・クロースへパス。ドイツ人のダイレクトシュートのリバンウドをイスコが押し込むとビセンテ・カルデロンにはマドリディスタの絶叫が響いた。ゴールを決めたイスコと肩を組むクリスティアーノ・ロナウドは、人差し指を唇に当て、静まり返ったロス・コルチョネロス(アトレティコ・マドリーのサポーターの総称)を怒り狂わせた。だが、同時にスタンドは、アウェーチームの1点で、逆転という夢が霧散したことも自覚していた。

 2-1。

 試合に勝ったが、決勝進出はならなかった。2013年リスボン、そして2016年ミラノに続き、またもお隣の憎き相手に敗れた。それでもチームの黄金期を築いたアルゼンチン人指揮官は試合後の会見で「私は幸せだ」と口にした。

「私たちはまた争うことができた。5シーズン半前から私たちは、すべての大会で、最高の位置を争っている」

欧州の舞台でも覇権を争うマドリードの両雄

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 ディエゴ・シメオネのコメントどおり、彼が就任してから5シーズン半で、アトレティコ・マドリーはリーガを制するだけでなく、チャンピオンズリーグで決勝進出2回と常に好戦績を残している。それまでのアトレティコ・マドリーといえば、歴史があり、それなりにタレントが揃ったクラブだが大事なゲームでは敗れ、どこか頼りなかった。少なくとも強者の風格はなかった。

 シメオネが就任する前も1996年にリーガ、2010年ヨーロッパリーグを勝ち取るなど実績はあったが、同じ街には20世紀最高のクラブに選出されたレアル・マドリーがいる。ロス・コルチョネロスは肩身が狭かった。子供が父親に「パパ、なんで僕らはアトレティコなの?」と質問し、「それに返答するのは難しい。あまりにも偉大だからだ」というキャッチフレーズが出る有名なCMをクラブ自身がつくったこともある。シャレでもあり、自虐でもある。そんなクラブが今や欧州でも正真正銘の強豪となった。

 準決勝ファーストレグでサンティアゴ・ベルナベウではリスボン、ミラノと続けて決勝で負けているアトレティコ・マドリーを皮肉って「どんな気分か言ってみろ」という文字が躍った。それに対してビセンテ・カルデロンはセカンドレグで「君たちみたいでないことを誇りに思う」と返答した。

 アトレティコ・マドリーは、またもレアル・マドリーを前に欧州王者の道を絶たれた。しかし、逆転を信じて応援していたサポーターは、追い詰めた赤と白の自分たちのクラブを心の底から誇りに思ったはずだ。この日のゲームを見た子供が「なぜ僕らはアトレティコなの?」と聞くこともない。敗れてもなお誇り高き夜だった。


座間健司

1980年7月25日生まれ、東京都出身。2002年、東海大学文学部在学中からバイトとして『フットサルマガジンピヴォ!』の編集を務め、卒業後、そのまま『フットサルマガジンピヴォ!』編集部に入社。2004年夏に渡西し、スペインを中心に世界のフットサルを追っている。2011年『フットサルマガジンピヴォ!』休刊。2012年よりフットサルを中心にフリーライター&フォトグラファーとして活動を始める。