文=茂野聡士

早実の練習グラウンドに溢れる笑顔

 先日、知り合いの漫画誌編集者と食事をした際、こんなことを話していた。

「あんな展開書いたら、今どきネットでこう言われますよ。『こんなの、あり得ない展開だろ』って。ズルいですよね、早実」

 説明するまでもなく、4月23日に行われた高校野球春季東京都大会決勝、早稲田実業(早実)対日大三のことである。

 高校野球で異例となるナイター開催など物議をかもした一戦だが、それとともに注目を集めたのは両チームが繰り広げた壮絶な打撃戦だった。「18対17」という野球ではそうそうお目にかかれないようなスコアで、早実が同大会優勝を果たした。

 早実の中継を見ていると、前述の試合に限らず、今年の最注目スラッガーである清宮幸太郎や2年生で4番を任される野村大樹らは、重圧を感じるどころか楽しんでプレーしているのではないか、と感じた。3回戦敗退に終わったとはいえ、選抜高校野球大会でも明徳義塾戦で9回2アウトからの逆転劇、なんてこともあった。

 彼らは普段からどんな厳しい練習に取り組んで、本番に臨んでいるのだろうか――。

 そんな疑問を持つ中で選抜開幕前の1月下旬、早実の練習を取材させてもらう機会があった。しかし、そのトレーニングの様子は想定とは全く違うものだった。

 語弊を恐れずに言えば、なんだかユルいのだ。

 守備練習でノックバットを手にした和泉実監督が「おらー、今のは取れるだろう!」と口にしながら打球を放つが、その表情は鬼の形相と言うよりも朗らかな表情で、野村も苦痛を浮かべるでもなく“次こそ取ってやるよ!”という顔つきだった。また清宮らチームメートも「いける、いける!」と笑顔で声をかけていたのが印象的だった。

下級生から「キヨさん、しっかり!」の声

©共同通信

 もちろん、取材日が選抜までまだ期間がある時期だった、という背景はあるだろう。ただ、筆者は各競技の強豪校を取材した経験があるが、ここまでトレーニング中に明るい表情を浮かべているチームはなかったように思う。

 例えば、ほとんどのサッカー強豪校の場合、トレーニング前後は監督やコーチが部員たちと雑談して笑顔を浮かべていても、トレーニングが始まれば厳しい指導の声が常に飛ぶ。ちなみにこれは高体連だけでなく、一般的に上下関係がないと見られがちなJリーグの下部組織でも然りである。

 一方、早実が常に明るい雰囲気でやっているのは、声掛け一つでも感じた。下級生の選手が「キヨさん、そこしっかり取りましょう!」と清宮に対して声を掛けると、清宮は“分かったよ”とばかりファーストミットをはめた左手を高く上げていた。そのことについて清宮自身に聞いてみると「キヨさんって呼ばれてるかは分からないんですけど(笑)」としつつも「仲は良いと思います。ほかの高校がどうかは知らないんですけど、明るく楽しくやっています」と話していた。

 清宮はこう続ける。

「加藤(雅樹/現早稲田大)さんの時に自分はのびのびとやらせていただいて、それがプレーにもつながったと思いますし、甲子園ベスト4という結果も出た。その経験があったからこそ、後輩たちにも臆することなくやってもらおうと思いました」

 臆することなく。これは早実のトレーニングを語るうえでの一つのキーワードなのではないか。

 アスリートが厳しい練習に励む目的には「勝利」というものがある。その鍛錬が自信の土台となる一方で、得てして「ミスは絶対にできない」という心理的負担に変わり、時として大事な本番で硬さを生むことがある。

 一方で早実は普段から臆せず、エンジョイしてプレーしているからこそ、大舞台で信じられないような展開を生み出してしまうのではないか。普段からの大らかさが、一般的な日本の部活と一線を画すような印象を受けたのだと感じる。

楽しいからこそ、前向きに取り組む

 和泉監督も「1年生の時の彼の経験、その時の自分を許していてくれた加藤のような存在がいたことの影響は、多少あるでしょうね」と清宮が下級生時に受けた影響を認めつつ、チームの方針をこう語る。

「別に今年に限ったことではないんですが、生徒たちが主体的に動きやすい環境を意識していますよ。もしそこで生徒たちの方向性が間違ってきた、と感じることがあれば、アドバイスもするのですが、一生懸命やってまっすぐ進んでいるときは、余計な邪魔をしないようにと僕自身が考えていますので。今年は今年で清宮を中心に上級生のキャラクターは出ていると思いますけどね」

 和泉監督の話を聞いている眼前では、フリー打撃に励む選手たちの姿があった。体幹トレーニングを中心に体を鍛え上げたことで、パワーアップを果たした清宮が軽々とボールをスタンドインさせる。すると見ていたチームメートから「すげー」、「何であんな飛ぶんですか」と呆気にとられながらも、楽しそうな声が挙がっていた。

 その光景を見て、和泉監督はこうつぶやいていた。

「久しぶりにバット振ってるんで……楽しそうじゃないですか。選手たちはバッティングが好きだからね。野球の流れをつかむのは大事だけど、やっぱり、打つってことは楽しいことですから」

 楽しいからこそ、前向きに野球へと取り組む。そして上手くなって勝てるチームになっていく。強くなる正解は一つではないからこそ、そんなプロセスがあってもいい。

 夏の甲子園に向けて、現状では打力に比べて投手力が厳しい、との見立てがあるのも事実だ。それでも早実が大舞台に向けて、今も野球をエンジョイしていることは間違いない。

 この大らかさこそが早実、そして清宮らしい野球への真摯な姿勢なのだろう。


茂野聡士

1982年11月4日、東京は板橋生まれ。スポーツ紙勤務の後、主にサッカー雑誌などの各種媒体に携わる編集者兼ライター。ただ学生時代に大学スポーツを取材していた縁からか、最近は野球や駅伝などの媒体の編集もこなしつつ『月刊少年チャンピオン』など漫画誌でのインタビューも手がけて、“ポリバレント”を売りにしようと目論んでいるらしい。構成担当に『サッカー選手の言葉から学ぶ成功の思考法2014』などがある。