文=平野貴也

過去には自衛隊出身で国際副審になった者も

 陸上自衛隊からJリーグへ。審判という立場で夢を追う者がいる。4月、自衛隊の基地や駐屯地で活動するサッカーチームの日本一決定戦である「第51回全国自衛隊サッカー大会」が都内で開催された。最大の特徴は、大会のすべてを自衛官が行うことにある。防衛大学校サッカー部のOBが運営を行い、3級以上の審判資格を有する自衛官が試合を裁く(実際は、2級審判が多数)。

 3位決定戦で笛を吹いていた坂本隆史さんは、陸上自衛隊北熊本駐屯地に勤務する自衛官であり、休日には九州サッカー協会が主催する社会人のトップリーグや大学リーグ、ほかに天皇杯の熊本県代表チーム決定戦などを裁いているサッカー2級審判員でもある。仕事と並行しながら積み重ねた努力によって推薦を受け、5月に1級審判の1次審査を受験した。最終審査まで突破してライセンスを取得すれば、陸上自衛隊からは初の1級審判員誕生となる。1級審判になれば、日本サッカー協会が主催する大会の笛を吹くことができる。現実的にはJFLからのスタートになるが、Jリーグの審判や国際審判への推薦の対象に入る。

 坂本さんは「1級になってからが本当のスタートになると思います。初めて、全国自衛隊サッカー大会に審判として参加した2012年大会のときにOBの方から『第2の大塚になれ』(※後述)と言われました。そのときに、仲間たちが自分を応援してくれているんだと思って、審判に対する熱い思いを持てました。できるところまで頑張って、仕事との両立を目指す後輩に希望を与えられたら良いと思っています」と将来に向けた意欲を話した。

 自衛隊サッカーには、彼のような審判を生み出す土壌がある。元々、審判は教員など公務員が多い。サッカーの試合が行われる土・日・祝祭日を確実に休める職業でなければ、現場に出られないからだ。自衛官では、過去に海上自衛隊出身の大塚晴弘さん(※)が国際副審となり、イングランドサッカーの聖地ウェンブリースタジアムの地に立っている。女子でも海上自衛隊出身の千葉恵美さんが国際副審となり、U-20女子ワールドカップなどで活躍した。自衛隊サッカーには、審判を養成する土壌がある。第51回全国自衛隊サッカー大会は、24名が審判として参加。中には、前回の全国大会(2015年の第49回大会。第50回大会は熊本の震災のため開催中止)で海上自衛隊下総・館山基地サッカー部を優勝に導いた室田智弘監督の姿もあった。室田さんのように、選手から指導者、あるいは審判へと形を変えながらサッカーに携わる人々が、また後輩や仲間を誘って審判を増やしているのだ。

 審判がいなければ、大会は成立しない。坂本さんも選手として携わるうちに審判になった1人。「選手で全国自衛隊サッカー大会に出場して、選手としては出られなくなっても審判になって携わりたいという思いは、私にもありました。審判の方たちが熱心で『自衛隊から1級審判を輩出してJリーグに送り込もう、そして、その審判が大きな舞台で経験したことを、ほかの仲間に還元して、みんなで成長しよう。そうすれば、もっと良いパフォーマンスを発揮させることができる』と語り合って、毎年この大会で再会しています」と自衛隊のサッカー仲間から大きな刺激を受けていることを明かした。

周囲のサポート抜きに続けられないチャレンジ

©平野貴也

 日本がサッカーの強豪国となるためには、プロや代表のエリート強化だけでなく、育成や普及といったグラスルーツの発展が欠かせない。審判の養成は、その一端を担う。坂本さんは、身近な指導者が審判の資格を有して活動していたこともあり、おぼろげながら、いつかは自分も資格を取ろうと思っていたという。熊本商業高時代の部外コーチは、現在J1で副審を務めている作本貴典さんだ。そして、菊陽中学校時代に指導を仰いだ部外コーチの坂本康弘さんが地元にサッカースクールを立ち上げた際、スタッフとして加わり「子どもたちにサッカーを教えるなら、あらためてルールをしっかりと知らなければいけないし、保護者の方が時間を割いて見に来る試合で、選手たちのベストパフォーマンスを引き出せるように、レフェリーも率先してやらないといけない」と決意。2006年に審判のライセンスを取得した。そして、同時に審判の世界で上級にチャレンジしたいという気持ちが芽生え、自衛隊のサッカー仲間が、向上心に刺激を与えてくれたという。

 ただし、仕事と審判の両立は、簡単ではない。とにかく、勤務調整が難しい。訓練の期間は活動が難しくなり、普段でも当直勤務などは平日にできるだけ複数回入ることで皆が嫌がる祝日勤務を免じてもらわなければならない。坂本さんは「仕事の仲間にも、家庭にも負担をかけてしまうところはある。だから、両立は難しい部分もあって、悩むところはあります。でも、誰もが1級に挑戦できるわけではないのに、いろいろな人の支えがあって、チャレンジできる立場にいる。とりあえず、やれるところまでやってみたい。そういう思いがあるから、難しい試合にも当ててもらうことができた経緯もある」と周囲の理解が必須である実情を語った。

 間違いなく、仕事との両立は大変だ。それでも精力的に活動して来たからこそ、1級審判員への道が見えて来た。実は、私が彼に話を聞いたのも、長崎県で行われたU-14の九州クラブユース新人戦や、J2の試合会場で見かけていたことがきっかけだった。全国自衛隊サッカー大会でも、担当外の審判員同士でしきりに意見交換をしている姿を何度も見かけた。彼らの努力が地域のグラスルーツを支えていることは間違いなく、サッカー界への貢献度は決して小さくない。自衛官の仕事を全うしながら、大人になっても自分の目標を持って挑戦する姿勢は、いずれサッカーの指導者や審判になる子どもたちにとっては、良い模範にもなる。

 坂本さんは、目指す将来像を次のように話した。

「選手が『このレフェリーだったら』と信頼できる審判になりたいです。信頼できれば、選手はフェアに、かつ激しくプレーできます。そうなれば、自衛隊のサッカーのレベルも上がりますし、そういう審判が後進を指導すれば、全体的に向上するのではないかと思っています」

 自衛官と審判員の二足のわらじで憧れの舞台へ。陸自初の1級審判員誕生に期待がかかる。


平野貴也

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト『スポーツナビ』の編集記者を経て2008年からフリーライターへ転身する。主に育成年代のサッカーを取材しながら、バスケットボール、バドミントン、柔道など他競技への取材活動も精力的に行う。