文=フモフモ編集長

昇降格はプロスポーツに必須、ではない

スポーツ界隈でシーズン終盤の名物となっているのが降格・残留争いです。日本でもJリーグやBリーグではこの仕組みを導入しており、1部リーグから2部リーグへの降格では選手・ファンが涙を流して絶望するような悲劇的な場面も見られます。

確かに降格は面白い。泣き叫ぶ選手、うなだれるファンを遠巻きから他人事として見るのは、とても楽しいものです。「うんうん、嘆いておるな」と。他人の不幸は蜜の味。対岸の火事は美しい。映画やドラマにも悲劇の名作は数多くあります。

ただ、本当にそんな悲劇はスポーツに必要なのでしょうか。

確かにJリーグやBリーグのみならず、バレーボールのVリーグやラグビーのトップリーグなど降格・昇格の仕組みを持つ競技は多い。しかし、それがすべてではありません。日本プロ野球ではこういった仕組みはありませんし、NFL・MBL・NBA・NHLといったアメリカのいわゆる四大スポーツには降格・昇格といった仕組みはありません。アメリカのメジャーリーグサッカーも、サッカーですが降格・昇格はありません。降格・昇格があることが必ずしもプロスポーツの運営で必要というわけではなさそうです。

降格チームが負う“痛み”に意味はあるのか?

そもそも何故、降格させたり昇格させたりするのでしょう。単純に考えれば、チーム数の調整という理由が挙げられるでしょう。週に1試合しかできないスポーツなら、一年中シーズンをつづけたとしても50試合程度しかできません。当然、100チーム参加のリーグ戦などはできないわけです。となれば、何らかのルールでチーム数を絞り、10チームから20チーム程度の適切な数にしなければならなくなる。

ただ、そのときに必ず「降格」が必要なわけではないはずです。分け方には、タテに分ける方法もあれば、ヨコに分ける方法もあるのです。タテに分けるのはまさしくJリーグのように、1部リーグ・2部リーグ・3部リーグと上下の関係をつけ、「強さ」などに基づいて適切なチーム数を整えていく方式です。

一方、ヨコに分けるのはアメリカ四大スポーツのカンファレンス制のように、「地区」などのブロックにわけていく方式です。日本プロ野球のセ・リーグとパ・リーグもヨコに分けた例のひとつでしょう。この方式なら、降格や昇格といった仕組みがなくても、チーム数は調整することができます。交流戦を導入すれば、ヨコのリーグ間の試合を作ることもできます。上下関係であるため交わることがはばかられるタテの分け方よりも、むしろ利点がある。チーム数は絶対的な問題ではないのです。

降格したときに一般的に何が起こるかというと、まず選手やスポンサーの士気が下がり、良い環境を求める選手の移籍や、スポンサー離れといった問題が起きます。また、観客動員の面でもマイナスの影響が出ます。いい選手がいなくなれば観戦の魅力は減じますので、当然のことです。さらに選手獲得という未来につながる競争においても遅れをとることになります。いい選手は強いチーム、上位リーグに入りたいものでしょう。

ここに選手を自由に獲得できる仕組みがセットで備わっていると、降格したチームから逃げ出す動き・入団を避ける動きには猛烈に拍車がかかります。だって、下部リーグはイヤじゃないですか。万年最下位は許せても、下部だとそもそも同じ土俵に乗ってないじゃないですか。その時点で眼中にも入らなくなる。

はたして、降格したチームに対して、これほどの痛みを与える意味があるのでしょうか。単にどこかのチームがひどい目に遭うだけなら、それは競技自体にとっても損なこと。「悲劇は面白い」とは言っても、それは負けたほうに大きな痛みを与えることが絶対に必要なわけではなく、勝ったほうに大きな喜びを与えても達成できる話です。むしろ、「負けたくないから必死」よりも「勝ちたいから必死」のほうが健全です。

「欧州サッカー、優勝チームはだいたい同じ」問題

もしかして、降格という仕組みによって全員が損をするわけではなく、それを補う得も別のところに存在するのではないでしょうか。

たとえば降格によって選手の移籍が起きたとき、降格しなかったチームは、降格したチームからいい選手を吸い取れる見込みがあります。これは「得」です。そして翌シーズンに戦う相手チームは、前のシーズンで下部リーグにいたチームが上がってきますので、一般論で言って「弱い」はずです。下部リーグにいる間は、いい選手を獲れていないでしょうし、動員や資金面でも伸び悩んでいるでしょう。急に強くなっているはずがない。これも「得」です。

これはトランプの「大貧民」の、前のゲームで負けたプレイヤーが次のゲームでも不利を負った状態でスタートする仕組みに似ています。しかも、大貧民なら革命を起こすことで最弱のカードが最強のカードに転じますが、現実世界では革命は起きません。

こうして引き起こされるのが「階級の固定化」です。強い者はよりその立場を強固なものとし、弱い者はジワジワ弱くなっていく。サッカーの例を見ればわかりますが、欧州の主要リーグで優勝しているのはいつも大体同じ顔ぶれです。階級が固定化され、「勝ちそうな4チーム程度のどこか」が大体いつも勝っている。弱小チームが優勝する事態は「奇跡」レベルの起きにくさです。

より強い者が、よりいい選手を集め、その効果でより多くの観衆を集め、より多くの金を集めたとき、突発的に強いチームが出てきても簡単に対処ができます。金にモノを言わせて相手のカギとなる選手を買ってしまえばいいのです。そうやって階級が固定化されていくと、強者の発言力・政治力も同時に高まっていき、弱小チームの言うことを聞かなくなります。あんまりうるさいチームがあれば、カギとなる選手を買って、弱くして、下部リーグに落としてやればいいのですから。

降格=現在の強豪をさらに強くする制度ではないか?

こうして考えると、リーグをタテに分けていくことは究極のところで縦の序列を生み出し、固定化する仕組みと言えそうです。「今強いヤツが、自分たちの立場を強固なものとして、永続的に優位に立つ」ための仕組みこそが、「降格」なのではないか。一見すると公明正大な仕組みのようですが、まるで身分制度のような不平等さを生む仕組みでもあります。

一方でヨコに分けたほうはどうしているかというと、アメリカ四大スポーツのような「降格」のないスポーツでは、ドラフト制度やサラリーキャップといった「戦力均衡」を意図した仕組みが多数導入されています。強者が永遠に強者でいることを許さない、横一線の競争を目指す意志がある。

これは決して偶然ではなく、根底から思想が異なっているからこそ、実際の施策にも差が生まれているのでしょう。降格のあるリーグはあらかじめ序列のある競争を意図しており、序列を生み出すためにタテの関係を作っている。横一線の競争を目指すリーグはあらかじめ戦力均衡の仕組みを整え、ヨコの関係を保っている。どちらが面白いかと言えば、それは横一線に決まっています。あらかじめ序列があったら、「スポーツ」以外の部分……有り体に言って「金」で決着がついてしまうじゃないですか。

金が多いヤツが勝つなんて世知辛い現実を見るために僕らはスタジアムに行くのではない。何がジャイアント・キリングだ。身分制度をしいておいて「たまーに一揆が起きるから面白い」と言っているようなものじゃないですか。実際には一揆を起こすチカラすら毎年毎年奪っていくというのに。

こうして考えたとき、僕は「降格」という仕組みはスポーツに不要だという結論に至りました。この仕組みを許すことは、いつも同じヤツが金にモノを言わせて勝っているつまらん戦いを許すということにつながるからです。そんな状況を喜ぶのは強者とその周辺にいる「勝ち誇りたい」人々だけ。いろいろなチームが勝つ、新鮮な戦いを見たい人たちにとっては百害あって一利ナシです。

横一線の条件でやってもなお強い者こそが、真の強者

とりわけ、JリーグやBリーグといった地域密着を標榜するリーグでは、「降格」という仕組みを避けるべきでしょう。固定化された階級をひっくり返すには、誰かが大資本を投下して「選手を買う側」にまわることがひとつの策ですが、「地域」は急に変われないのです。身売りによって親会社を変えるように、地域を変えることはできないのです。ただでさえ人口の多い大都市と田舎の町とでは環境に差があるのですから、「階級の固定化」の二重縛りのようなものです。

「降格」があるのは当たり前ではないのです。

スポーツの優劣はスポーツで決めるべき。横一線の条件でやってもなお強い者こそが、真の強者のはずです。やる前から有利不利があるような勝負は面白くない。今勝っている連中が、明日は転がり落ちるような戦いでこそ、より多くのファンが嬉しい日に巡り合えるはずです。

Jリーグが発足した1993年以降、J1リーグで年間優勝したクラブは全部で9クラブ。一方で、日本プロ野球の1993年以降の戦いを見れば、12球団(※実際には近鉄の消滅と楽天の参入があるので13球団)すべてがリーグ優勝を経験し、10球団が日本一を経験しています。1年だけ間違って絶好調な年があれば優勝できるのも、「降格」がないからこそ。「降格」の仕組みがあったら、横浜DeNAベイスターズなんか今頃3部リーグくらいにいるでしょうからね。いや、4部リーグですかね!

開幕直後だけでも優勝の夢が見たい、僕は弱いチームに萌える性分のスポーツファンとして、そう思うのです。

弱くても、みんなと同じく、大きな夢が見たいのです。

<了>


フモフモ編集長

サッカー、野球、大相撲、バレーボール、フィギュアスケートなど日本のスポーツ界を広く生温かく見守るぬいぐるみ。 2005年3月にライブドアブログにて「スポーツ見るもの語る者~フモフモコラム」を開設、人気サイトに。 著書に『自由すぎるオリンピック観戦術』(ぱる出版)がある。