文=斉藤健仁

トゥーロンは「ラグビー版レアル・マドリード」と呼ばれる強豪

 日本人選手として唯一、欧州のプロリーグであるフランス1部「TOP14」のトゥーロンに挑戦していた元ラグビー日本代表FB五郎丸歩が海外挑戦を終え、7月1日付けでトップリーグのヤマハ発動機ジュビロにプロ契約選手として復帰することが発表された。

 五郎丸の所属するトゥーロンは6月4日にスタッド・ドゥ・フランスで行われた決勝でクレルモンに16-22で競り負け、惜しくも優勝を逃した。五郎丸はこの決勝はもちろんのこと、プレーオフに出場することができず、今年になってからリーグ戦での出場は1試合にとどまっている。

 ここで改めて、五郎丸の1年にわたるフランス挑戦を振り返っていく。

 2015年ワールドカップ(W杯)で日本代表の中軸として、南アフリカ打倒を含む予選プールでの3勝に大きく貢献した五郎丸はW杯直後、ヤマハ発動機の一員としてトップリーグで得点王に輝き、16年の前半はスーパーラグビーのレッズ(オーストラリア)でプレーした。

 指揮官交代の余波などもあって思うような結果を残せずにいると、昨年5月21日のサンウルブズ戦で右肩を脱臼。手術を行ったため、昨年6月の日本代表戦に出場することもなかった。

 そんな状況の中、昨年6月、五郎丸は16-17シーズン、フランスの強豪クラブRCトゥーロンに移籍することが発表された。トゥーロンは「ラグビー版レアル・マドリード」とも呼ばれる強豪で、バンドデシネ(漫画)の出版で財を成したムラド・ブジェラル会長が世界中の一流選手を集め、12-13シーズンから欧州王者に3年連続で輝いたトップクラブである。

 試合出場が保証されるわけではなかったが、それでも五郎丸は「トゥーロンからオファーが来て、断る理由がなかった。このような素晴らしいチームは世界中、どこを探してもない。声を掛けていただいて名誉なことだと思っています。壁はもちろん高いですが、チャレンジするに値するものがある」と意気込んでいた。

たび重なる指揮官の交代と、言葉の壁も

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 しかし、五郎丸の挑戦は前途多難だった。リーグ戦は昨年8月20日に開幕したが、右肩を脱臼してリハビリ中だった五郎丸の名前はメンバーの中になかった。しかもトゥーロンにはウェールズ代表の正FBで、正確なキックが武器のリー・ハーフペニー、元オーストラリア代表で、万能BKのジェームズ・オコナーといった強力なライバルがいたため、9月には練習に復帰したものが、出場の機会は回ってこなかった。

 また、チームメイトには英語圏出身の選手もいたものの、指揮官やスタッフとのコミュニケーションを取るにはフランス語が必須だった。通訳はいたが、当然ながら言葉、文化の壁もあっただろう。

 五郎丸にやっとチャンスが回ってきたのは、リーグが始まって3か月が経とうとしていた昨年11月のことだった。成績不振のため、トゥーロンの指揮官はディエゴ・ドミンゲスからマイク・フォードにすでに交代しており、ウェールズ代表に参加中のハーフペニーが不在だったことも大きかった。

 昨年11月5日には途中出場ながらTOP14デビューを果たし、13日のホームゲームには「15」番として先発出場して勝利に貢献。その試合後、五郎丸は安堵に近い表情を浮かべながら「初めてトゥーロンのファンの目の前で80分間プレーできて、チームメイトに感謝しています。プレー自体には良し悪しはありますが、15番をつけて80分プレーできたことを嬉しく思います。状況判断で、キックを裏に蹴る機会が多かった。判断自体はそんなに間違えてなかったと思いますが、まだまだ精度は上げられると思います。次のシーンにつなげたい」と発言していた。

 翌週も五郎丸は先発したが、ハーフペニーが復帰すると、やはり簡単に出場はかなわない。4度目のチャンスは、ハーフペニーが休養のため出場しなかった昨年12月23日のモンペリエ戦だった。「15」番で先発したが、この試合ではキックをミスしたり、コミュニケーション不足でトライを許したり、キックパスを取れずにトライをあげられなかったりと、インターナショナルレベルには程遠いパフォーマンスで、ひいき目に見ても敗因を作ってしまったと言わざるを得なかった。

 本来、スーパーラグビーと比較すると、FWのサイズやフィジカルを中心にゆっくりボールを動かすフランスのラグビーと、ロングキックが武器である五郎丸のプレースタイルは合っているはずだった。しかし、この試合で指揮官の評価を大きく下げた五郎丸に、次の機会はなかなか回ってこなかった。

公式戦36試合中5試合に出場して0得点

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 今年2月になってハーフペニーがウェールズ代表に招集され、オコナーがコカイン所持で逮捕されるという不祥事が起こっても、スターティングメンバーに五郎丸の名前はなかった。3月19日のグルノーブル戦でやっと先発の機会が回ってきたが、プレースキックはもちろん、キックを蹴ることすらなかった。「15」番だったが、ディフェンスのときはWTBの位置に入ることが多く、ボールを持ったら前に出るプレーに専念していた。

 この試合の五郎丸は可もなく不可もなく、チームプレーに徹していたが、4月に入ると、再びトゥーロンは指揮官を交代。フォードからリチャード・コカレルに替わり、新ヘッドコーチの信頼を得られなかった五郎丸はプレーオフ出場もかなわず、公式戦36試合(リーグ戦26試合、プレーオフ3試合、欧州カップ戦7試合)のうち5試合279分に出場(うち先発出場は4試合)、0得点という成績に終わった。

 五郎丸はトゥーロンと1年契約プラス1年のオプション契約を結んでいたが、トゥーロン側は延長を望まなかったため、五郎丸のフランス挑戦は1年で終了し、帰国することになった。

 ブジェラル会長は現地メディアに対して「彼を獲得したものの活躍していないので、期待していたアジアや日本のスポンサーは一つも獲得できなかったと」と落胆し、最近も別のメディアに「彼の試合数を見れば、獲得が失敗だったことは明白だ。コーチたちは彼を信頼していなかったし、彼自身も徐々に自信を失っていった。残念だ。このチャレンジは、特に言語の壁が大きく影響した。とても大きなハードルだったのだろう」とコメントしている。

 五郎丸は17-18シーズン、古巣のトップリーグ・ヤマハ発動機に復帰する。今シーズンはヤマハ発動機とアドバイザリー契約を結んでいたため、規定路線だったと言えるだろう。

 TOP14には5試合しか出場できなかったが、世界のトップ選手とプレーして学んだことも多かったはずだ。日本開催となる19年のW杯に向けて強化を進める日本代表や、ロングキッカー不在のサンウルブズに、五郎丸のロングキックや正確なプレースキック、そして経験値が必要なときが来るのではないか。

 自身のオフィシャルサイトで「気分一新、海外での経験を活かし、新たな気持ちでシーズンに臨みたいと思います」とコメントした五郎丸。トップリーグで復調し、再び桜のジャージーの「15」番に袖を通して世界と戦う日は来るのか――。多くのラグビーファン、スポーツファンが待っていることはもちろん、彼自身の奮起に期待したい。

斉藤健仁

著者プロフィール 斉藤健仁

1975年生まれ。千葉県柏市育ちのスポーツライター。ラグビーと欧州サッカーを中心に取材・執筆。エディー・ジャパンの全57試合を現地で取材した。ラグビー専門WEBマガジン『Rugby Japan 365 』『高校生スポーツ』で記者を務める。学生時代に水泳、サッカー、テニス、ラグビー、スカッシュを経験。『エディー・ジョーンズ 4年間の軌跡』(ベースボール・マガジン社)『ラグビー日本代表1301日間の回顧録』(カンゼン)など著書多数。Twitterのアカウントは@saitoh_k