文=斉藤健仁

現役時代にはオールブラックスや日本代表でもプレー

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 2015年ラグビーワールドカップイングランド大会において、エディー・ジョーンズHCが率いたラグビー日本代表は24年ぶりの勝利を挙げただけでなく、南アフリカを含む相手から3勝を挙げて世界を驚嘆させ、2019年に日本で開催されるラグビーワールドカップに大きな弾みを付けた。

 ただジョーンズ氏は日本を去り、結局、ラグビーの「母国」イングランドの指揮官に就任した。2019年に向けて、新たに日本代表の指揮を執る人物は誰になるのか――。ラグビーやスポーツファンの耳目が集まる中、結局、2016年1月に内定し、9月になってやっと就任したのが、ジョーンズ氏同様に「世界も日本も知る指揮官」として白羽の矢が立ったのがジェイミー・ジョセフ氏だった。2015年のスーパーラグビー優勝に導いた指揮官で、しかも選手としても日本代表経験がある。まさしく2019年ワールドカップに向けてはうってつけの人物だった。

 ラグビー「王国」ニュージーランドの出身のジョセフ氏は、身長196cm、体重100kgを超える体躯を活かし、選手としてはLO、FL、No.8といったFWのポジションで、オールブラックスとして20試合に出場1995年W杯の準優勝に貢献した。

 さらに、その年にサニックス(現・宗像サニックスブルース)でプレーするため来日し、桜のジャージーを纏って日本代表としても9試合に出場、1999年ワールドカップには日本代表としても出場した(当時、ラグビーでは2つ、3つの国の代表になることができ、それは名誉なこととも考えられていた。だが2000年以降は2カ国間にまたがって代表になることは禁止されている)。

 その頃のことをジョセフHCは「1995年のワールドカップ後、ラグビーがプロ化してニュージーランドでも混乱が生じていました。またオールブラックスで4年間プレーしていたし、一度、大分の湯布院に合宿に来てサニックスの人たちとも良い関係が築けていたので、直感で日本に来ることを決めました。コーチも兼任していたことはチャレンジだったし、楽しかった」と振り返った。特に1月に亡くなった、ラグビーを含めスポーツ振興に力を注いだサニックスの社長だった故・宗政伸一氏とは、日本滞在中だけでなく、2002年にジョセフHCが日本を去った後も家族ぐるみの付き合いを続けており、ジョセフHCもサニックスのアドバイザーや臨時コーチも務めるなど、その関係性は続いた。

 当時、西日本リーグの2部チームだったサニックスのために「できることは何でもやろう」と思ったジョセフHCは、日本でもその突破力でラグビーファンを魅了。さらに、「日本に来たときは日本代表でプレーするとは思っていなかったが、ラグビーでサニックスや日本に恩返しがしたいと思うようになった」と故・平尾誠二監督が率いた日本代表でもプレーすることを決めた。同じくサニックスでプレーしていた元ニュージーランド代表SHグレアム・バショップらと外国人として日本代表の中でプレーしていいたが、壁のようなものは感じた記憶はないという。

「当時の日本代表のチームメイトは合宿などですぐに親しくなりました。当時は外国人選手が日本代表としてプレーするのが珍しかったかもしれないが、今では当たり前になっているのは素晴らしい。スポーツは国境を越えるし、それはサッカーのように全世界で親しまれているラグビーの特性だと思います」(ジョセフHC)

 サニックスを西日本Aリーグに昇格や全国社会人大会に出場するなど、現在のチームの礎を築いた後は日本で選手として引退し、ジョセフHCはニュージーランドに戻り、本格的にコーチとしてのキャリアをスタートさせた。

将来のオールブラックス監督候補は、なぜ日本代表監督になったのか

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 ウェリントン代表やマオリ・オールブラックスの指揮官などの指揮官を歴任し、2011年にはスーパーラグビーのハイランダーズのヘッドコーチに就任する。そして、現在は日本代表でともに戦うSH田中史朗、さらに日本代表でもBKコーチを務めるトニー・ブラウンコーチらとともに2015年、チームを初のスーパーラグビー優勝に導き、コーチとして世界的な名声を得た。

 そんなジョセフHCに、日本代表の指揮官にならないかと内々に打診があったのは、2015年、スーパーラグビーのシーズンが終了した後、鹿児島から九州を家族で旅行していた最中だったという。この時期は、ジョーンズHCが2015年ワールドカップを最後に日本代表の指揮官を辞めることが決まったことが報道された時期とも重なる。つまり、日本ラグビー協会はジョセフHCを、当初から有力候補の一人として見ていたことがうかがえる。

 スーパーラグビーで優勝したコーチと言えば、当然、ニュージーランドでキャリアを積んでいけば将来のオールブラックスの指揮官になる可能性も十分あった。ニュージーランド、そしてオールブラックスにとって、スーパーラグビーは選手だけでなくコーチを育成する場でもある。さらにジョセフHCには欧州のプロクラブからもオファーがあったという。そんなジョセフHCは、なぜ日本代表の指揮官になることを選んだのか――。

「オールブラックスの指揮官やコーチになることは名誉なことですが候補者が多く、子どもの教育環境を考慮するとヨーロッパは選択肢にありませんでしたが。また(日本代表から)オファーをもらって日本に恩返しをしたいという気持ちとナショナルチームのヘッドコーチになりたいという気持ちと両方ありましたね」

「また7年続けたスーパーラグビーでの仕事は移動も多く、スタッフや選手のマネージメントやメディア対応など非常にタフな仕事でした。日本の指揮官になることもプレッシャーや文化の違いもあり大変だと思いましたが、ラグビーや日本に対する思いは変わることはなかったので、引き受けました」

ジョセフHCが目指す、新たな日本代表のスタイル

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 新たに日本代表を率いることになったジョセフHCが目指すラグビーは、もちろんスーパーラグビーを制した「ハイランダーズ」流で、ボールポゼッションを重視したエディー時代とは異なる。

「私はエディー・ジョーンズではないので、彼がやってきたことはそのままやらない。自分の思ったこと、自分のゲームプランをやっていく。過去を踏まえたうえで、勝つために、アドバンテージを創出できるように考えていきたい」

 こう話しているようにジョセフHCが目指すラグビーは、キックを多用して激しく前に出るディフェンスを仕掛けながらも、コンタクトを減らすことで後半まで体力を温存しつつ、あまり手数をかけずにトライを取る「スマートなラグビー」である。「昨年と比べるとタフな練習を経て理解度が高くなっている。数年で選手の理解や役割がまっとうできると考えています」(ジョセフHC)

 日本代表は5月に行われたワールドカップの組み合わせ抽選会で、2019年本番ではアイルランド、スコットランドと同組となり、さらにルーマニアやサモアもしくはトンガあたりとも対戦することが濃厚になった。日本で、そしてアジアで初めて開かれるワールドカップで開催国の日本を率いるという大役を引き受けてジョセフHCにプレッシャーはないのか。その答えは否だった。時折、大きな笑顔を見せつつ質問に答えていた大柄な指揮官はこのときばかりは真剣な表情を見せて言い切った。

「2019年、ワールドカップを迎える時は状態をピークに持って行って、ベストパフォーマンスをすることができると思います。家族や日本国民が見ている中でプレーするのは楽しみでしかない」

 そんな中でこの6月、ラグビー日本代表は、ワールドカップで対戦する可能性が高いルーマニア、さらにワールドカップで同じ組になったアイルランドと2試合の計3試合の国際試合(テストマッチ)を行う。日本代表の中心選手はサンウルブズでスーパーラグビーを経験し、前キャプテンであるFLリーチ マイケル、類い稀な突破力で世界でも活躍するNo.8アマナキ・レレィ・マフィら海外組も合流、まさしくベストメンバーに近い布陣となった。

 いわばワールドカップの〝前哨戦〟となった対戦で、「ジェイミージャパン」ことラグビー日本代表は、日本を愛し、桜のジャージーに袖を通した経験を持つラグビー「王国」出身のジョセフHCの標榜するラグビーで勝つことができるか。2019年ワールドカップの大きな試金石の一つとなる。


斉藤健仁

1975年生まれ。千葉県柏市育ちのスポーツライター。ラグビーと欧州サッカーを中心に取材・執筆。エディー・ジャパンの全57試合を現地で取材した。ラグビー専門WEBマガジン『Rugby Japan 365 』『高校生スポーツ』で記者を務める。学生時代に水泳、サッカー、テニス、ラグビー、スカッシュを経験。『エディー・ジョーンズ 4年間の軌跡』(ベースボール・マガジン社)『ラグビー日本代表1301日間の回顧録』(カンゼン)など著書多数。Twitterのアカウントは@saitoh_k