インタビュー・文=藤江直人 

 インタビュー取材が始まるや、玉木氏はバッグのなかからハードカバーのぶ厚い単行本をおもむろに2冊取り出し、机のうえに置きながら苦笑いした。

「東京オリンピックとパラリンピック、どう考えてもいまのままじゃ上手くいかないんじゃない? こんな馬鹿げた本が出ているくらいだから」

 ひとつは今年4月に発売された『遺書 東京五輪への覚悟』(幻冬舎刊)で、もうひとつは東京オリンピック・パラリンピックの招致が決まってから約3カ月後の2013年12月に発売された『日本政治のウラのウラ 証言・政界50年』(講談社刊)だ。

 後者はジャーナリストの田原総一朗氏との共著となっているが、いずれも東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長の著書だ。玉木氏が「馬鹿げた」と嘆いた理由は何なのか。

ロサンゼルス大会以来、五輪が直面している危機

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玉木 まず『遺書』のなかで、東京オリンピック・パラリンピックのメーン会場となる新国立競技場を管轄する独立行政法人、JSC(日本スポーツ振興センター)の理事長を務めていた方の名前が、「河野一郎さん」とあるべきなのに「河野洋平」さんになっている。この誤植はいかんよね。大問題になった新国立競技場建設の責任者の名前を間違えるなんて、信じられないことですよ。

 あとは文中で「体育の祭典のオリンピック」という記述もある。スポーツの祭典ではなく体育の祭典だという感覚には、さすがに忸怩たる思いを禁じえない。新しい刷ではさすがに名前の誤植は直っていたけど、「体育の祭典」はそのままなんですよね。

 もうひとつの対談本でも東京オリンピック・パラリンピックに触れているけど、「開催を成功させたい」とは書いているものの、何をもって成功とするのかがまったく書かれていない。組織委員会の事務総長を務める武藤敏郎さんは旧大蔵省で事務次官を務めていたけど、残念ながら考え方が官僚のままですよね。つつがなく処理して大会を運営して、終わらせればいいということになっていますから。それをもって成功というのでは、中味がなさ過ぎます。

 オリンピックはいま、開催にお金がかかりすぎるという理由で大いなる危機に直面しています。過去にも危機は何度かあり、最大のそれは1984年大会でした。立候補する都市がゼロで、ようやくアメリカのロサンゼルスだけが手を挙げて、組織委員会のピーター・ユベロス会長の大改革のもとで見事大成功にこぎ着けた。

 ユベロスは「ロサンゼルス市の税金を1セントたりとも使いません」と署名して取り組み、実際にまったく使わずに黒字を出した。選手村と競泳会場はUCLAの学生寮とプールを使い、メーンスタジアムは1932年大会開催時に建てたものを改修するだけで済ませた。

 お金を集めるほうでも、たとえば3000ドル(当時のレートで約69万円)払えば、誰でも聖火リレーを1キロ走れるようにした。決して安くない金額だけれども、走らせてあげたい人がいれば周囲のみんなが寄付をするといった具合に、アメリカに強く脈打つ寄付の文化を上手く利用した。

 何よりも見逃せないのが、メーンスポンサーを1業種1社としたこと。つまりコカ・コーラ社がスポンサーになれば、ペプシコーラ社は弾き出される。だからペプシコーラ社は必死になって値段を吊り上げて、結果としてコカ・コーラ社がより高い入札価格で勝ち取る。同じ図式で電機メーカーはパナソニックが勝ち、 テレビの放映権料も大幅に値上げした。

 それでも、集めたお金の総額は1976年のモントリオール大会や1980年のモスクワ大会よりも少ない。それでも黒字になった理由は、徹底して支出を抑えたから。ユベロスは卓越した手腕を、後にMLBコミッショナーとしても振るって成功していますよね。

 そのロサンゼルス大会以来となる新たな危機がいま、目の前に迫っているわけです。東京オリンピック・パラリンピックの開催経費が、最大3000億円の予備費を除いて1兆3900億円ですよ。こうなってくると、大都市を除いた他の都市では開催できない。実際、2024年大会ではボストンやローマ、ハンブルク、ブダペストが立候補や招致を断念していますよね。冬の大会も、ミュンヘンやストックホルムやオスロが、市民の反対もあって招致を断念しました。

 そうなれば2020年大会で新しいパラダイムシフト、要はロサンゼルス大会のような転換が起こるはずだし、日本が起こさないといけない。それなのにまったく後ろ向きの考え方というか、ちょっとずつ開催経費を安くしようという動きばかりが伝わってくる。残念としか言いようがないし、何よりも都知事と組織委員会の会長が喧嘩ばかりしていたらダメでしょう。

誰も知らない東京五輪の「3つのビジョン」

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――問題点ばかりが目立つなかで、各論を追う前にオリンピックとはどういうものなのか、という総論をしっかりと語っていただき、日本が置かれた現状やこれから出て来るであとう問題へとナビゲートしていただければと思っています。

玉木 近代オリンピックの父と呼ばれる、フランス人のクーベルタン男爵の提唱がきっかけとなり、1896年の第1回大会がギリシャのアテネで開催されたときから、実は問題は山積みなんです。フランスは1871年、ベルリンを首都としていたプロイセン王国(現在のドイツ)との戦争に負けています。国民全体が「次は勝つ」と復讐を誓っていた状況で、教育者でもあったクーベルタンはイギリスに渡ってスポーツと出会いました。

 スポーツのなかで訪れる、勝った、負けたという瞬間の非政治的な素晴らしさに魅せられたクーベルタンは、スポーツを平和的に利用しようと思いついた。戦争に負けた復讐ではなく、平和の祭典で勝敗を競おうと。なので、オリンピックの歴史上で唯一、第1回大会から続いている理念は平和です。

 ただ、平和運動も政治の一部ということを考えれば、オリンピックが政治に利用されるケースがおのずと増えます。たとえば第1回大会は、古代オリンピック発祥の地以外で開催するのはまかりならんという理由で、ギリシャの海運業の大金持ちが資金を出してアテネで開催されました。

 第2回大会のパリ、第3回大会のセントルイスは万博と同じ場所での開催でしたが、後者は本来ならばシカゴでした。ところが時の大統領セオドア・ルーズベルトが、ルイジアナ州獲得100周年記念でセントルイスで万博を開催するからそこでやれと。いわゆる鶴の一声で決まった経緯があります。

 その意味では、オリンピックから政治を排除しようというのはそもそも無理なんです。もっと言えば、良い政治利用にするか、悪い政治利用にするかの問題で、そうなると今度は価値判断が入ってくる。だからこそ、来たる2020年大会を「こんな良い大会にしよう」とみんなで決めなければいけないんですけど。

 ところで、組織委員会の公式ホームページには、3つからなる東京オリンピック・パラリンピックの大会ビジョンが掲げられているんですけど、ご存じですか?

――勉強不足で申し訳ありません。いま聞かれて初めて気がつきました。

玉木 いやいや、日本国民のほとんどが知らないんですよ。どのような大会にするかというのを。他ならぬ組織委員会の会長自身が『遺書』と命名した著書のなかで、成功させましょうと言いながら、どのようにすれば成功なのか、という肝心な点に何も触れていないんですから。

 組織委員会が掲げているビジョンは「すべての人が自己ベストを目指し(全員が自己ベスト)」「一人ひとりが互いを認め合い(多様性と調和)」「そして、未来へつなげよう(未来への継承)」ですけど、特に最後のビジョンで継承を謳いながら国立競技場を壊したらあかんよね。

 未来へ受け継がれていくものをこれから作る、という言い訳はできるかもしれないけど、やっぱり全然違いますよね。この3つのビジョンから、具体的に浮かんでくるものが何もない。決して悪いことを言っているわけではないんだけれども、新しい日本の枠組みや国作りにつながるものも、ましてやオリンピック・パラリンピックのための何かも感じませんよね。

――2020年の開催都市が東京でなくても、掲げられるビジョンのように感じられます。

玉木 どんなオリンピック・パラリンピックにするのか。それだけの問題なのに、残念ながらテロ特措法を制定しないと2020年大会を開催することができないとか、オリンピックまでに憲法を改正するとか、スポーツと関係のない部分ばかりが前面に出てきている。

 前回の1964年大会はめちゃくちゃ簡単だった。戦争からの復興だったから。戦争から復興して世界の仲間入りをする、と。東京をはじめとする日本中が空襲を受けて、戦争が終わってからわずか19年しかたっていませんでしたから。特別に口にしなくても、みんなが心のなかに同じビジョンを描いていました。

 翻って2020大会は、東日本大震災からの復興を掲げたところで、東京はいまひとつピンと来ないというか。福島の原発問題といっても、総理大臣が世界へ向けて「アンダー・コントロール」と言ってしまった。いったいどうするつもりなのかと、森さんに聞きたいですよ。以前に機会があったときは、残念ながら違うことを聞いてしまった。いつ辞めるんですか、と。「君に言う必要はない!」と思い切り怒鳴られたけど(苦笑)。

トップダウンの「体育」からボトムアップの「スポーツ」へ

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――どのようなオリンピック・パラリンピックにするのか、というビジョンを描く際にイニシアチブを取るのは東京都なのか、あるいは組織委員会なのでしょうか。

玉木 もちろん組織委員会です。開催都市は東京都ですけど、オリンピック・パラリンピックだけに専念できないほど、東京都知事は多忙なわけです。ならば、組織委員会に運営をまかせようということになりますよね。だからロンドン大会は元陸上の中距離ランナーで、オリンピックで2個の金メダルを獲得したセバスチャン・コーが組織委員会の会長としてすべてを仕切っていました。彼は、招致委員会の会長も務めて、そのまま横滑りしたのです。

 ところが日本は元総理大臣が、要は東京都知事よりも偉いんじゃないかという人が、どさくさに紛れて組織委員会の会長に就任してしまった。さらに残念なのが、どのような大会にするかというビジョンすら打ち出せない人が、組織委の会長になってしまった。

 とにかく、いまからでも決して遅くないので、2020年大会をどのようなオリンピック・パラリンピックにするのか、東京ならではのビジョンを今年中に出しましょう、ということ。僕自身は、ひとつの提案をもっているんだけどね。

――どのようなものなのでしょう。ぜひご紹介願えますか。

玉木 1964年大会はすべて体育の五輪でした。翌1965年に、開会式だった10月10日が「体育の日」に制定されていますからね。体育とスポーツの違いがわからないまま体育だけが広まっていった。折りしも時代は高度成長期で、体育会系の猛烈サラリーマンがバリバリ仕事をして経済がどんどん伸びた時代でした。

 あれから半世紀以上がたったいまは、スポーツの時代なんです。体育とスポーツはどこが違うのかと言えば、学校の先生が指導して、計画を立てて、命令などをしながらやっていくのが体育です。子どもたちの体を育てるためには、体育も重要な身体教育とは言えます。

 一方で、自発的に自分から行うのがスポーツです。自主的に計画を立て、目標を目指し、そのときに自分一人ではできないから、コーチを頼む。コーチの元々の意味は四頭立ての馬車。ブランドの『COACH』も一緒だけど、いまもイギリスではバスなどもコーチと呼んでいる。目的地に乗せていく、という意味でね。

 これからの日本を考えても、上からの命令だけで体育的に、なおかつゴリ押し的にやらされる社会ではなく、もっとスポーツ的な社会、つまり自分たちが考えてやる社会になるんじゃないかと。体育からスポーツへの転換、というひとつのコンセプトを据えられれば、絶対に面白いと僕は思うんだけどね。

 わかりやすい例をあげれば、2015年秋のラグビーのワールドカップで日本が南アフリカに逆転勝ちした瞬間、あれがスポーツですよ。ヘッドコーチのエディ・ジョーンズは3点差で負けていた最後の最後に、相手ゴールの真ん前で相手が反則を犯したときに、ペナルティーゴールで同点を狙うサインを出しました。

――実際にはキャプテンのリーチ・マイケルを中心に、スクラムを選択しています。

玉木 選手たちはトライを取りにいって、実際に逆転したわけだよね。もちろんジョーンズも、その選択に対して何も怒らない。後でもしトライを奪えなかったら、と聞かれたジョーンズは、「まったく問題ない。現場でプレーしている選手たちの判断が一番正しいから」と。これが「スポーツ」ですよ。

 これがひと昔前、「体育」だったら監督命令違反となりますよね。だからこそ、日本の世の中すべてが体育的なものからスポーツ的にものに変わる。そのきっかけが2020年大会になればいい、というのが僕の大きな願いと言ってもいいかもしれませんね。

 2011年8月から施行されている「スポーツ基本法」のなかには、体育という言葉が3つだけ出てきます。ひとつが「体育の日」で、もうひとつが「国民体育大会」で最後が「日本体育協会」です。これらをすべて「スポーツ」に置き換えようという動きが、いま進んでいます。

 スポーツ議員連盟は「体育の日」を「スポーツの日」に変えようと動いていて、今年の秋の国会で上程するとも言っていました。そして国体が「国民スポーツ大会」に、体協が「日本スポーツ協会」に変わる。そうなれば、多くの人が「体育とスポーツは違うのか」と思いますよね。そこに2020年のオリンピック・パラリンピックが加われば、日本の社会全体が変わるような、新しい考えが生まれると思っています。

――素晴らしい考え方ですが、組織委員会や日本オリンピック委員会(JOC)を含めて、いま現在の日本スポーツ界を取り巻く体育会的な体質が変わるイメージが、なかなか浮かんでこないのですが。

玉木 まったく体育的ですね。国会議員のなかには大勢いるんだけどね。前のオリンピック担当大臣の遠藤利明さんは、「スポーツの日」の実現に全力で取り組んでいたけど、スポーツ界のなかで後ろ向きなのが武道系ですよ。社会体育を推進したいとか言って、今年度からは文科省が定める中学校学習指導要綱のなかに、柔道や剣道、相撲、空手道、長刀などにまじって銃剣道が明記されましたからね。

 あとは日本体育大学。理事長で元衆議院議員の松浪健四郎さんと以前にテレビ番組で一緒になって、僕が体育からスポーツへ、という持論を話したら「ふざけるんじゃねえ。体育は体育だ」と。日本体育大学も英文表記を1996年に変えて久しいんですけどね。以前は「Nippon college of physical education」だったのが、いまは「Nippon sport science university」ですから。なので、日本スポーツ大学に変えなさいよ、と言ったら「スポーツとしたらセックスまで含まれるからダメだ」と。なんだか訳のわかるような、わからないような(笑)」

――玉木さんご自身としても、体育そのものを否定するつもりはない、と。

玉木 もちろんです。ただ、スポーツとは知育、徳育、そして体育の融合体のわけですから、スポーツをただ単に体育と和訳してしまえば、元来スポーツに含まれている知育と徳育がなくなってしまう。スポーツを体育ととらえるのは義務教育までで、先生に体を鍛えてもらうためと考えればいい、というのが僕の意見です。

 たとえばサッカーの歴史を勉強すれば、イコール、ヨーロッパの歴史を学ぶことになるし、ベースボールの歴史はアメリカのそれになる。柔道や大相撲に代表される武道にも歴史がある。スポーツには知的な要素が多く詰まっているわけですし、徳育とは言うまでもなくスポーツマンシップを学ぶことになりますよね。

組織委員会よ、ふざけるな!

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――現状を見ていると批判的にならざるを得ないと思いますが、そもそもオリンピック・パラリンピックを東京に招致する話が表面化し始めたとき、玉木さんはどのようなスタンスだったのでしょうか。

玉木 大賛成でしたよ。2016年大会の招致から始まったんだけど、そのときは僕もあまり積極的じゃなかった。当時の石原慎太郎都知事に誘われて、TOKYO MXで放映されていた都知事の番組で対談みたいなものに出演したことがありました。そこで「応援してくれよ」と言われて、僕も「わかりました。招致できたらいいですね」と返したんですけどね。

 収録が終わってから石原さんとスポーツの話をしたけど、彼はボクシングの話しかしない。それもファイティング原田がどうだったとか、大場政夫がどうだったとか、もう古くて、古くて(笑)。そういうようなこともあって、心の底では「何だ、こりゃあ」と思っていたのも事実です。

 ただ、マドリード、シカゴとともに招致合戦でリオデジャネイロに負けて、その後の2011年3月11日に東日本大震災が起こった。あれを境に日本全体がかなり暗くなりましたよね。だからこそ、元気を出そう、復興オリンピック・パラリンピックにしよう、というのが賛成した一番の理由でした。

――2011年は7月に女子サッカーのなでしこジャパンがワールドカップで初めて優勝するなど、スポーツが与える力の大きさがあらためて示されました。

玉木 決勝戦で日本がアメリカに勝った瞬間の被災地の方々の喜びようを見ると、何とかできないものかと思いましたよね。それで実際に招致が決まったら、直後に猪瀬直樹知事があんなことで辞めて、その騒動の渦中で森さんが組織委員会の会長に就任して、次の舛添要一知事もゴタゴタになって辞めて。次に当選した小池百合子知事は森さんと仲が悪くてと、ちょっとうんざりですよ。

――いまではうやむやになりましたけど、猪瀬元都知事がプレゼンテーションしたコンパクトなオリンピック・パラリンピックは、過去の大会に対するアンチテーゼ的な意味合いもあって斬新でした。

玉木 計画としては全然悪くなかったと思いますよ。それを推し進めないといけないけど、実際に推し進めるなかで、そっちのほうがお金がかかるということがわかった。だから、だんだんと広域に展開したわけですよ。ところが広域的に展開した結果、本当に安くなったのか、というのはまだわからない。

 というのは警備費や運営費、輸送費といったものをすべて考えたら、結局は小さな範囲に全部作ったほうが安くなったんじゃないの、となるかもしれない。開催経費が東京の試算で1兆3900億円に膨れ上がり、さらに3000億円の予備費も必要になるけど、まだそれだけでは足らないでしょう。

 開催経費は東京都と組織委員会が6000億円ずつ、国が1500億円で三者が合意して、残る400億円は関係自治体が受け入れるとされているけど、国が負担するお金のほとんどは新国立競技場に回されるからね。要はオリンピック・パラリンピックを開催しなくても必要なお金だし、ならば国ももうちょっと、他の面でも負担しなさい、と言いたいよね。

 本来ならば予算は、組織委員会がすべて負担しなければいけない。足りなかったら東京都が出すし、それでも足りなかったら国が出すという保証になっているのに、組織委員会がまず何とかしようという姿勢が見えてこない。2015年3月から事務局が入った、虎ノ門ヒルズの家賃が月額4000万円を超えると聞くに至っては、もう愚かとしか思えないよね。

――都庁舎内をはじめとして、すでに3つのオフィスを都心に構えているんですけどね。

玉木 国際オリンピック委員会(IOC)の要人を歓迎するためには、ある程度立派な場所がなければダメというのが理由だけど。1年で5億円を超えるし、もう借りて2年になるから、体育館のいいものが2つくらい建てられる計算になる。ふざけるな、と言いたいよね。

<後編へ続く>

後編はこちら

東京五輪のボランティア批判は妥当か? 改めて考えたいボランティアの意義と在り方

9月26日から募集を開始した、東京2020大会ボランティア。ちまたでは「やりがい搾取」、「ブラックボランティア」との批判を受けている今回のボランティア募集だが、その批判は本当に妥当だろうか? 米国で子どものスポーツからプロスポーツに至るまで取材を続ける谷口輝世子さんに、この問題を多面的な角度から考察していただいた。(文=谷口輝世子)

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藤江直人

1964年生まれ。サンケイスポーツの記者として、日本リーグ時代からサッカーを取材。1993年10月28日の「ドーハの悲劇」を、現地で目の当たりにする。角川書店との共同編集『SPORTS Yeah!』を経て2007年に独立。フリーランスのノンフィクションライターとして、サッカーを中心に幅広くスポーツを追う。