文=小林信也
歴代7位、1322勝を積み上げ一時代を築いた名将
阪急の監督として一時代を築いた上田利治さんが亡くなった。享年80歳。心よりご冥福をお祈りします。
上田監督の通算勝利数は歴代7位の1322勝。上田監督より勝利数が多いのは、歴代1位の鶴岡一人、2位三原脩、3位藤本定義、以下、水原茂、野村克也、西本幸雄。いずれも誰もが名監督と認める大物ばかり。8位の王貞治1315勝、9位別当薫1237勝、10位星野仙一1182勝を凌いでいる。さらに書けば、11位川上哲治、12位長嶋茂雄1034勝の上に上田利治が位置する事実は、改めて特筆されていい。
上田監督といえば、日本シリーズのヤクルト戦、大杉勝男のホームランの判定に激怒し、1時間19分も抗議し続けた逸話が有名だが、それは後に書くとして、何より、「選手としての実績があまりない人が監督になって成功した」という意味で日本のプロ野球界に大きな変革を起こした人物だ。
すでに名前を挙げた名監督たちは、いずれも現役時代に看板選手として活躍した有名選手ばかり。藤本定義はプロ野球発足時から監督の職に就いた年代だが、アマチュア時代には松山商、早稲田大を通して投手として活躍した花形選手だった。13位以下に並ぶのも、原辰徳、古葉竹識、森祇晶、中西太、大沢啓二、梨田昌孝、山本浩二、落合博満……。どこまで行っても現役時代の勇姿がすぐ浮かぶ人たちだ。
選手としての経歴はほとんどなし!常識を変えた異色の球歴
上田利治はそのなかで異色だ。関西大時代に村山実とバッテリーを組み、女房役を務めた。それが目を引く、数少ない球歴。広島カープに入団後は、通算121試合に出場。打率2割1分8厘、2本塁打、17打点の数字を残しているにすぎない。肩を傷めたこともあり、24歳の若さで引退している。
才能を発揮したのは、コーチに就任してからだ。1974年に阪急ブレーブスの監督に就任。2年目から日本シリーズ3連覇を果たして、名監督の仲間入りを果たした。
当時の阪急には、福本、蓑田という快足選手がいたこともあり、上田野球といえば機動力を駆使する打撃のチームの印象がある。もちろん一方で、投手陣にもタレントが揃っていた。足立、山田というアンダースロー投手、完全試合を達成した今井雄太郎、快速球投手の山口高志。こうした人材をうまく活かし、チーム力につなげる才能を上田監督は持っていた。
その後も、上田監督ほど現役時代の成績が乏しい人物の監督起用は決して多くないが、「名選手、必ずしも名監督にあらず」、ひるがえって、「名選手でなくても名監督になれる」ことを実証し、後進に道を拓いた功績は永遠に語り継がれる。
現在の監督の中でいえば、実働7年でホームラン7本しか打っていない日本ハム・栗山英樹監督もその系譜につながるかもしれない。昨年は日本一に輝き、大谷翔平選手の二刀流も演出し、いまや名監督とも呼ばれる実績を挙げている栗山監督に「日本ハム監督」という白羽の矢が立ったとき、実績のなさを心配する声に対しては上田監督の先例がそれを制する根拠になった可能性もある。
伝説の猛抗議の真相 監督に必要な資質とは?
最後に、大杉勝男選手のホームランについて、印象深い話を書こう。
私は数年後、雑誌ナンバーの編集者として、あの伝説を再発掘した経験がある。ノンフィクションライターの木村幸治さんに取材を頼むと、木村さんが知られざるエピソードを聞き出してきてくれた。
3勝3敗で迎えた日本シリーズ第7戦。6回裏。大杉の左翼ポール際への打球がホームランと判定された。これに激しく抗議し、上田は線審につめよった。審判に抗議する間、上田監督は手を出すことはしなかった。審判をこづけば、退場処分になる。顔と顔を突き合わせ、激しく抗議する姿はテレビにも映し出され、多くの人の記憶にある。
たしかに手は出さなかった。
しかし、上田監督は抗議中、自分の足先で審判の足を踏んづけていた……。
足を踏まれ続けた主審が一切その行為を黙殺したのはどういう理由だったのか?主審がある程度、上田監督の主張の正しさをそういう形で伝えたかったのか、それとも、異常とも言える執念で勝利に執着する監督の迫力に圧され、敬意と驚嘆、半ば呆れる思いでその行為を受け入れたのか。いずれにしても、男と男のそんなドラマが成立する時代だった。
近年は観客動員数や営業収支を重視する傾向から、いっそうスター選手を監督に起用することが基本になっている。しかし、お客さんを呼べるスリリングで魅力的な野球を創出できるのが元スター選手とは限らない。
例えば昨年、ベイスターズを初のクライマックスシリーズに導いたラミレス監督は確かに人気者だが、現役時代のパフォーマンスを封印し、監督としての機能に徹して成果を導いた。やはり重要なのは選手としての実績以上に監督としての器量だ。
監督、コーチを抜擢するGMたちが、実績はなくても監督の才覚を感じる人材にコーチとして輝く機会を与え、いずれ上田利治を凌ぐ名将に育てる方向性も、常に模索してほしい。それがプロ野球をさらに深く豊かに発展させる重要な要素だと思う。