名前明神智和(ミョウジントモカズ)
生年月日1978年1月24日
日本
出身兵庫県神戸市
プロフィール小学5年のとき千葉県流山市に移住。向小金小、流山東部中時代イーグルス・ユナイテッドFCに所属。

小金高ではレイソルユースでプレー、3年になりサテライト・リーグに出場、1996年トップチームに昇格し、ユース代表にも選ばれる。10月のアジアユース決勝大会では全6試合に出場。

1998年U-21代表、1999年U-22代表。2000年シドニー五輪とアジアカップを経験。柏レイソルでは攻守をつなぐボランチとして、日本代表では豊富な運動量を誇る右アウトサイドとして活躍。2000年Jリーグベストイレブンに選ばれる。

2005年、レイソルのJ2降格に伴い、2006年からはガンバ大阪に移籍。ここでも中盤のキープレイヤーとなり、チームを黄金時代へと導く。2007年から3年連続Jリーグ優秀選手賞を受賞。2012年、J2降格するも1年でJ1へ復帰し、2014年は、リーグ戦、ナビスコカップ、天皇杯をすべて制する国内3冠を達成。

2015年、ガンバからのコーチ就任を蹴って現役続行。2016年名古屋グランパスエイト、2017年からは、AC長野パルセイロ(J3)でプレー中。

国際Aマッチ 26試合 3得点、小金高卒。173センチ、66キロ

千葉小金高校時代、柏レイソルユースチームに所属して腕を磨く

明神智和は、1978年、兵庫県神戸市に生まれます。野球好きな少年でしたが、地元野球チームは小学3年からしか入れなかったため、2年生から兄が所属していた「木津FC」に入りサッカーを始めました。するとすぐさま、選抜チームへ抜擢されるほど才能を開花させます。5年生当時、父親の仕事都合で千葉へ移ると、今度は小学校にサッカーチームがなかったため、「イーグルス・ユナイテッドFC」でサッカーを続けました。県立小金高校へ進学と同時に、柏レイソルユースへ入団します。ここでも守備的MFとして確かな技術を身につけました。

柏レイソルのチームの顔として、Jリーグベストイレブンも受賞

高校卒業後の1996年、柏レイソルトップチームへの昇格を果たしたばかりか、同年のJリーグ開幕戦で、ルーキーながら起用されます。2年目には嬉しい初ゴールを決め、1998年、チームの監督に西野朗が着任してからは中盤のレギュラーとして、当たり前のように試合に出場するようになりました。

チームキャプテンを任されるようにもなり、1999年にはクラブ初タイトルとなるナビスコカップ優勝に貢献します。リーグ戦でも韓国人助っ人の洪明甫らが最強の3バックを形成して安定感のある戦いを続け、1999年から2年連続で総合3位をキープしました。2000年には、チームとして初となるJリーグ ベストイレブンに輝きます。サポーターからの信頼も絶大で、「大明神」というニックネームで親しまれました。

トルシエ監督から絶大の信頼を受け、五輪、W杯と中盤を支える

明神智和の活躍はクラブチームだけに収まらず、日本代表としても大きく輝きます。1997年のFIFAワールドユースでは、中村俊輔や柳沢敦とともにチームの主力としてベスト8入りに貢献しました。また1998年から、日本代表とユース代表をともに牽引したトルシエ監督の絶大な信頼を獲得します。

2000年のシドニー五輪では、予選含めた全試合にMFとして出場しました。中田英寿や柳沢敦などA代表も兼ねるメンバーを多く揃え、32年ぶりに決勝トーナメント進出を果たします。準々決勝でアメリカにPK戦で敗れましたが、黄金世代と称されました。同年のアジアカップでも、全6試合中5試合で先発フル出場を果たし、イラン戦では代表初ゴールも記録します。中国戦でもゴールをあげて、アジアカップ制覇にも大きく貢献しました。

そして、2002年日韓W杯でも主力として活躍します。初戦のベルギー戦のみ出番がありませんでしたが、グループリーグのロシア戦、チュニジア戦、さらには決勝トーナメントのトルコ戦と3試合を守備的MFとしてフル出場し、チームのベスト16入りに貢献しました。

「黄金の中盤」の一角として、ガンバ大阪の黄金時代を牽引

一方、柏レイソルは、2001年途中に西野朗監督が解任されると転がり落ちるように低迷します。明神智和は、キャプテンとして毎年ほぼフル出場を続けましたが、2005年シーズンでJ2降格となりました。

すると、2006年シーズンからは、西野が監督を務めるガンバ大阪への移籍が決まります。前年、攻撃的サッカーを掲げて、初のリーグ優勝を成し遂げたチームでしたが、明神の加入でさらに中盤に厚みが増しました。遠藤保仁、橋本英郎、二川孝広と4人で構成した中盤は「黄金の中盤」と称され、ガンバ大阪を黄金時代へと導きます。リーグ戦では2007年から3年連続Jリーグ優秀選手賞で安定した順位を確保し、ナビスコカップ優勝(2007年)、天皇杯連覇(2008年、2009年)、さらにはAFCチャンピオンズリーグ2008優勝、クラブワールドカップ3位(2008年)と次々とビッグタイトルをもたらしました。

J2降格を経験するも、即J1復帰し翌年には初の国内3冠を達成

2009年からは、柏時代同様チームキャプテンを任されます。そして、負の歴史もレイソルと同じく繰り返しました。西野朗が監督を退くと、一気にチームは低迷し、2012年はまさかのJ2降格となりました。2013年、自身初のJ2でのプレーとなりましたが、圧倒的な攻撃力でJ2優勝し、1年での復帰を果たします。

そして迎えた2014年、明神智和は36歳とベテランとなり出場機会が少なくなりましたがチームは快挙を成し遂げました。7年ぶりに予選からの参加となったナビスコカップを制すると、リーグ戦でも勝ち点1差で浦和レッズを振り切り2度目の優勝を成し遂げます。そして勢いそのままに天皇杯も制覇し、国内3冠を達成しました。2000年の鹿島アントラーズに続く達成でしたが、J1昇格1年目としては当然初の出来事です。また明神にとってはプロ入り19年目にして初のリーグ優勝でもありました。

大ベテランの域に達しても、現役選手にこだわりピッチに立つ

2015年、ガンバ大阪はリーグ戦3位、天皇杯連覇と安定した強さをキープしましたが、明神智和はプロ入り後ワーストの10試合出場に留まります。同年オフ、コーチ就任を打診されましたが、現役続行にこだわり固辞しました。2016年、名古屋グランパスエイトに移籍し、自身も15試合に出場しましたが、クラブ史上初のJ2降格となります。契約延長を勝ち取れませんでしたが、2017年からはJ3のAC長野パルセイロへ完全移籍しました。J1出場歴代8位(2016年末時点)の497試合出場を誇る明神は、40歳を目前に迎えても現役選手としてピッチに立っています。


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