三浦皇成、奇跡の復帰へ(後編)「ケガをする前より進化した自分に」

昨年の8月14日。札幌競馬場で落馬し大怪我を負って以来、ターフから姿を消した騎手の三浦皇成。彼は現在、どこで何をしているのか。これまでの騎手人生を簡単におさらいした上で、あの忌まわしい事故から現在までを本人の弁もまじえ、前後編の2回に分けて紹介していこう。(取材・文:平松さとし  撮影:松岡健三郎)

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■若くして世界レベルの活躍が期待された

1989年12月29日、東京都練馬区で皇成は生を受けた。小さい頃は剣道や水泳、器械体操らにも精を出したが、全ては「将来ジョッキーになるためだった」と本人は言う。

「5歳の時に初めてポニーに乗り、それを機にジョッキーになりたいと思いました。だからその後に興じたスポーツや習い事は全てジョッキーになるためにやっていました」

そんな強い思いを叶え、2005年にJRA競馬学校に合格すると、3年後の08年、無事に騎手デビューを果たした。

それから全国区に名を知らしめるのに時間は要さなかった。デビュー3戦目で早くも初勝利。それもいきなり特別レースで飾ると8月には早くも重賞初制覇。大型新人ジョッキー出現と騒がれた彼がさらに名を轟かせたのは10月。それまで最多とか最速、最年少といったありとあらゆるジョッキーの記録を保持していた天才・武豊が作った新人最多勝記録の69を更新する70勝目を挙げたのだ。

結局1年目はその記録を91まで更新。もちろんそれは未だに破られていない大記録で、2年目の2月には史上最速となる通算100勝目もマークしてみせた。

さらにデビュー2年目、3年目と連続でイギリスへ飛んで武者修行。かの地でも初騎乗で初勝利をマークするなど、早くも世界レベルでの活躍が期待された。

ところが勝負の世界は甘くなかった。若手騎手に与えられる負担重量減量の恩恵が無くなると「以前と同じ競馬では残れなくなった」(本人)。当然、勝ち鞍は激減した。デビュー直後のスタートダッシュが凄まじく、皆が彼の将来に大きな期待を懸けたことも知らぬうちにプレッシャーとなったのだろう。勝てないからもがく。もがくから勝てないという負のサイクルが徐々に皇成の身体と精神にからみついていった。

©松岡健三郎

■16年、思いもしない悪夢に襲われる

とくに16年は苦しんだ。年頭から思ったような競馬ができず、当然、勝ち数も伸びない。成績はデビュー以来初めてといってよいくらい低迷。2月を終えた時点でまだ4勝しかできないでいた。

しかし、そこまで落ち込んだことで逆に吹っ切れる部分もあった。

「乗り方については常に模索していたけど、成績が落ち込んだことで考え方も含め思い切って変えていこうと思えるようになりました」

これが奏功した。徐々に復調の兆しを見せ、勝ち星が増えはじめた。6、7月にはそれぞれ8勝。2カ月で16勝を挙げたが、数だけでなくその中身も濃く、7月24日には重賞(函館2歳S)も久しぶりに優勝することができた。
そんな矢先のことだった。
8月14日の札幌競馬場。
この日のメインレース・エルムSで皇成は1番人気のモンドクラッセに騎乗する予定でいた。

「何度もパートナーを組んだ馬だったし、相当、自信がありました」

そしてその4つ前のレースで騎乗したのがモンドクラッセの全弟モンドクラフトだった。

「こちらは子供っぽい面のある馬だったけど、休み明けにしては状態が良かったし、返し馬の感触も良かったので勝てると思って臨みました」
約5カ月半ぶりの実戦ではあったが、皇成の感じた通り、メンバー構成的にもチャンスは十二分。単勝は1・9倍の圧倒的1番人気に支持されていた。そして、実際、レースでは最終コーナーで持ったまま先頭に立ち、誰もが楽勝だと思った。

「手応えも良かったし、僕も『楽に勝てるな』って思いました」

しかし、次の刹那、思いもしない悪夢が皇成を襲った。

「ガクッとなったと思ったらボキッという音が聞こえ、完全にバランスを崩すのがわかりました」

©松岡健三郎

■折れた肋骨が、肺に突き刺さり……

投げ出されることを覚悟し、咄嗟に対処した。判断が早かったこともあり、転がるように“上手に"落ちることができた。

「馬の故障なので落とされたことは仕方ありませんでした。そんな中で対処としてはうまく出来たと思いました。あとは走ってくる後続の馬たちに巻き込まれないように願うだけでした」

しかし、結論から言うとその願いは叶えられなかった。コースに転がる皇成に後続の馬がぶつかって来たことを皇成は身体に感じる衝撃で知った。

ところが不思議なことに痛みはなかったと言う。

「アドレナリンが出ているせいか痛みは感じませんでした。だから横で立っている馬(モンドクラフト)の脚(が故障しているの)をみて、『可哀想に……』と思っていました」

痛みを感じていなかったことで、自らの怪我に対する自覚もなかったと続ける。

「『メインのモンドクラッセには乗れるかなぁ……』なんて思っていました」

ただ、痛みはないものの、苦しさは感じていた。後に皇成はその苦しさは折れた肋骨が肺に刺さっていたことから来ていたことを知った。

「駆け付けたJRAの職員に『苦しい』と繰り返していたのは何となく記憶にあります。息ができず、ずっと『死ぬ~』『死ぬ~』と言っていたのも覚えています」

救急車に乗る頃には徐々に痛みを強く感じるようになった。すると、車のちょっとした振動でも痛覚が刺激された。

「『モンドクラッセに乗れなくなっちゃうから救急車には乗せないで欲しい』と思っていたけど、今までに経験したことのない痛みで、それどころではないことに気付きました」

病院につくとすぐに脇からチューブを入れられた。

「気を失うことはなかったのでそういったことも全て覚えています。チューブを入れて肺を膨らませたら呼吸ができるようになり、いくらか楽になりました」

刹那的に「生き返った」と安堵した。しかし、次の瞬間には違う恐怖に襲われた。

「下半身の感覚が全くないことに気付きました」

©松岡健三郎

■「これから歩けるように手術していきましょう」

そして、医者から骨盤が折れていることを知らされると「2週間くらいは乗れないかな……」と感じた。しかし、そんな皇成には信じがたい言葉が続けざまに医者の口から告げられた。

「『命があって良かった。これから歩けるように手術していきましょう』って言われ、事の重大さを思い知らされた感じがしました」

集中治療室・ICUに入れられ精密検査をすると、骨盤の他に肋骨は実に9本が折れていることが判明。その9本のうちの3本が肺に刺さっていたことも分かった。

「とにかく骨盤の痛みがひどく、強い麻酔をしました。全身のあらゆるところから管が入れられ、ひとまずは絶対安静の状態が続きました」
落馬から3日後の8月17日、最初の手術が施された。さらに9日後の26日に2度目の手術。

「2度目の術後、骨盤の痛みが耐えられないほど強烈でした。『こんなに痛むなら殺してくれ!』ってずっと叫んでいたほどで、結局、強い麻酔を打って眠らせてもらいました」

目が覚めると医者から思わぬ報告をされた。

「『2度目の手術から3日が経過し、3度目の手術が終わった』と告げられたんです」

きつねにつままれたような感覚を受け、カレンダーに目をやるとその日付は29日になっていた。驚く皇成に、しかし、医者は続く言葉で希望の光を照らしてくれた。

「『手術は成功したのでリハビリをすれば馬に乗れるようになるかも……』と言われました」

もっともその後も痛みはなかなかひかなかった。左の足首の感覚もない状態が続いた。戦いはまだ始まったばかりだったのだ。

三浦皇成、奇跡の復帰へ(後編)「ケガをする前より進化した自分に」

昨年の8月14日。札幌競馬場で落馬し大怪我を負って以来、ターフから姿を消した騎手の三浦皇成。彼は現在、どこで何をしているのか。これまでの騎手人生を簡単におさらいした上で、あの忌まわしい事故から現在までを本人の弁もまじえ、前後編の2回に分けて紹介していこう。(取材・文:平松さとし  撮影:松岡健三郎)

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VictorySportsNews編集部