ゴールデンワトルとオーストラリア国歌
オーストラリア代表のユニフォームは黄色だ。差し色として緑が使われる。五輪でもラグビーでも選手たちは黄色のユニフォームを着ている。実は、黄色と緑はオーストラリアのナショナルカラーなのだ。1984年に正式に法律で定められている。便宜上黄色が用いられているが、正確には「金色」が正しい。金と緑は国花である“ゴールデンワトル”の花と葉の色に由来している。ネムノキ科アカシア属の常緑樹で、冬から初春にかけて房状にたくさんの黄色い花をつける。
「ワトル」とはもともと建築用語である。木の枝を編み合わせて壁を作る工法のことを言った。18世紀後半、大陸南東部に入植した人々が現地に大量に生えていた木を建築資材に使っているうちに、その植物自体を「ワトル」と呼ぶようになったという。ワトルは現在のオーストラリアを築き上げた、言わば礎とも言えるのだ。
オーストラリア国歌『アドヴァンス・オーストラリア・フェア(Advance Australia Fair)』は、1984年に正式採用された国歌だ。それまでは、『ゴッド・セーヴ・ザ・クィーン』を歌っていた。新国歌制定の動きが出たのは1970年代。政府は曲を公募するなどしたが決定打が出ず、既存の曲から国民投票で選定することになった。
候補として挙がったのは4曲。ちなみに結果は以下の通りだった。『アドヴァンス・オーストラリア・フェア』43%、『ワルツィング・マチルダ』28%、『ゴッド・セーヴ・ザ・クィーン』19%、『ソング・オブ・オーストラリア』10%。
『アドヴァンス・オーストラリア・フェア』が作られたのは、1878年のこと。作詞・作曲はピーター・ドッズ・マコーミック。スコットランドからオーストラリアへ渡ってきた教師だった。教会の合唱団を指導するうちに、作曲を手掛けるようになり、他にも30曲ほど発表している。
『アドヴァンス・オーストラリア・フェア』
全てのオーストラリア人よ 歓喜せよ
我らは 若くして自由なり
我ら黄金の土地と 労苦に見合いし富を持てり
我らが故郷は 海に囲まれ
我らが大地は 自然の恵みに溢れり
豊穣にして稀有な 美しき自然
歴史のページの あらゆる舞台で
進め 麗しのオーストラリア!
歓喜の調べを みなで歌おう
進め 麗しのオーストラリア!
サポーターが歌う、第二の国歌『ワルツィング・マチルダ』
投票で惜しくも2位になった『ワルツィング・マチルダ(Waltzing Matilda)』は、試合中や町中でも自然発生的に大合唱になる。オーストラリアの国民歌として人気が高く、“第二の国歌”と呼んでよい。戦時中には歩兵部隊が行進しながら歌っていた。落選理由の一つはその歌詞にあった。内容はというと、ざっとこんな感じだ。
『陽気な放浪者(スワッグマン)が、池のほとりで野宿をした。そこへ羊がやってきて、彼は羊を捕まえて、袋に詰め込んだ。牧場主と警官がやってきて、男を問い詰めた。男は捕まってたまるかと、池に飛び込んで逃げた(あるいは、溺れて死んだ)』
荘厳さが必要な国歌としては相応しくないかもしれない。それにもかかわらず、投票ではワルツィング・マチルダはかなり健闘した。いかに人気の高い国民歌かということがわかる。それとともに、この曲を国歌の候補としたオーストラリア政府の心意気に拍手を贈りたい。
歌詞に登場するスワッグマンは、流れ者のカウボーイといった方が適切である。彼らは、大きなズダ袋を持ち歩いていた。この袋がスワッグ(swag)である。スワッグは鞄であると共に、寝る時は枕やクッション、簡易ベッドの代わりにもなった。そのスワッグを、男たちはマチルダ(Matilda)と呼び慣わしていたのである。
なぜマチルダと呼んだのかは定かでない。一説によると、スワッグを女性に喩えたのではないかという。スワッグマンたちはたまに集まって集会をする。男たちが集まれば、歌と酒と踊りというのは世界共通だ。だが、そこに女性が居ることは稀である。そこで、男たちは自分のスワッグを相手にダンスをしたのだという。スワッグに女性の名前を付けた男たちの気持ちはよくわかる。
ちなみにマチルダは、ドイツ語系の女性の名前である。ワルツィングの語源がドイツ語だったことと、よく符合している。ちなみに、オーストラリアの女子代表の愛称は、マチルダズである。
スワッグマンの末裔たちは、今も世界中を駆け巡ってサッカールーズを応援する。そして、ここぞという時に声を合わせて、国歌をそして『ワルツィング・マチルダ』を大合唱する。さまよえる男たちの荒ぶる魂の叫びは、今も続いているのだ。