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優勝直後に見られた、ある功労者の涙

「もう(涙は)出し尽くしてきた。あとはもう笑顔ですね」
 
ひとしきりピッチの上で歓喜の涙を出し切ったこともあり、ミックスゾーンを通る選手や関係者の表情は笑顔に溢れていた。川崎一筋、15年目のシーズンで悲願達成を果たした中村憲剛は笑いながらこう口にしており、どの選手も喜びに顔をほころばせながら報道陣の質問に答えていた。
 
そんな中、筆者がある関係者に歩み寄って話かけると、彼の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。大島僚太や小林悠らを獲得してきた、向島建スカウトである。
 
「クラブとして1つ、上にステージに行くことができたよ」
 
JFL、そしてJ2時代に選手として活躍した彼は川崎が一つずつ階段を登っていって少しずつ強さを身に着けていく姿も、あと一歩のところでタイトルを逸してきた歴史も、間近で目にしてきた人物の1人である。だからこそ、創立21年目のこのシーズンにこれまで幾度も自分達の前に立ちはだかってきた鹿島という難敵との競り合いを制して頂点を手にしたという事実に、感極まるものがあったのだろう。
 
何年も“シルバーコレクター”と揶揄され続け、8度の準優勝というともすれば不名誉とも言える記録に悩まされ続けてきたチームが、初戴冠を手にした。2017年、明治安田生命J1リーグの頂点に立った川崎フロンターレが悲願を達成するまでの足跡を、振り返りたい。

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“怖い”チームを作り上げた風間八宏の存在

「もともとうちは攻撃的なサッカーというのを掲げて、ずっとクラブ創設からやってきているのですが、何が攻撃的なサッカーなのかというのはよく見えない部分もあって。風間監督が来てこれだ、ということで、アカデミーを含めてそういう、ボールを繋いで崩すというスタイルを取り組んでいる。これは、監督が残してくれた大きな財産だと思っています」

ちょうど1年前、5年間チームを率いた風間八宏監督(現名古屋グランパス監督)の退任が発表された際、庄子春男GMが口にしていた言葉だ。いまやどの対戦相手や監督にも「川崎が上手いのは承知の上」と言わせしめるだけの個の技術力やゴールをこじ開ける力をチームに植え付けたのは、間違いなく風間監督だった。
 
彼が率いた5年間で飛躍的に成長し、今回のリーグ制覇に貢献したのが小林悠と大島僚太の2人だろう。前者にはストライカーとして必要なゴール前での動きから正確なボールを叩き込むこと、後者にはもともと備わっていた“止める”“運ぶ”の技術を更に研磨させ、自らが志向するスタイルを体現するための外せないピースとして成長させた。
 
「相手を外す動きだったり、ボールを止めることだったり、そこに関しては風間さんに会う前と比べたら自分でもわかるくらいにうまくなった」
 
2015年の中頃、自信をもって小林はこう口にしている。
 
しかし、個々のボールを扱う技術、ゴールへ向かうための術を徹底的に追求する風間監督のスタイルは一朝一夕でチームの血となり肉となるものではなく、熟度を高めていくためには時間を要した。瞬間的にゴールへの道筋を共有する“目”を揃える(これは風間監督がよく口にした言葉である)には、当然ながら選手の質も求められる。そして、指揮官の求める水準を越えていけるクオリティに達することのできる選手が11人揃いきるまでには、どうしても時間がかかってしまうのだ。
 
その中で一部のファン・サポーターからの不満が強かったのも事実である。特に就任初年度から2年目の序盤にかけては、彼の解任を求める声もちらほらと聞こえてくるようになった。
 
しかし、2013年に大久保嘉人という、風間監督の脳内と近い考えをもつストライカーが入ることによって攻撃の破壊力と精度は高まり、リーグが誇るこの点取り屋の存在が、中村や大島、そして小林を引き立たすことになったのである。結果として、敵陣内に押し込んで崩していくサッカーは、川崎の専売特許となり、「フロンターレのサッカーはこれだ!」と言えるものが確立されたのである。
 
一方で、穴もあった。“攻守一体”を唱え、攻撃と守備を分けて考えない風間監督のスタイルには、攻撃の出来の悪さが即失点に直結するリスクも孕んでいた。攻め込む中、一瞬のミスからカウンターを呼びよせてしまいネットを揺らされる。そういったことは幾度も見られた。横からのラフなボールやセットプレーに対する守備の脆さも散見されていた。
 
もちろんこれらが全ての理由ではないが、結果として魅力ある攻撃を形成した一方、風間監督が率いた川崎は無冠の歴史を塗り替えることができぬまま、幕を閉じてしまったのである。

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プラスアルファを加え、戦う集団に仕立てた鬼木監督

5年の長期政権の後、風間八宏というカリスマ性溢れる人物の光景を担ったのは、彼の元で5年間、コーチとして支えてきた鬼木達だった。強烈な個性と異質なサッカーを見せつけてきた前指揮官からバトンを受取り、タイトル奪取に向かわなければいけないという重圧は相当なものであっただろう。おそらく本人もそのプレッシャーは少なからず感じていただろう。
 
そんな中、鬼木監督が植え付けたのは攻守の切り替えや守備時に体を寄せる際の一歩一歩の速さにこだわること、そして闘うという部分。これも、負けないチームづくりのためのアプローチだ。もちろん前指揮官がここに全く言及しなかったわけではないが、風間監督の中では「それはやって当たり前」というものの1つであったため、その点について厳しく指導されることはなかったのも事実である。
 
「より、勝つためのサッカーになったかなと思います。確かに繋ぐところもありますけど、そこに固執しすぎずに。今までやってきたことにプラスアルファ、自分としてもそういうものが足りないと思っていたので。これはどんどんチームに落とし込めていけるんじゃないかなと」
 
大卒2年目で今季24試合5得点の成績を残した長谷川竜也は、鬼木監督の施した変革についてこう語っていた。
 
また、90分間支配するというロマンをある意味“捨て”、相手に持たせて耐えるという選択も取れるようになった。「持たせているという感覚にもなれるような守備の仕方は出来るようになってきたし、そこは我慢をしながら、整えながら時間を作れるようになったと思う」フルタイム出場を果たした副主将であり、守備の要である谷口彰悟はこう言う。
 
チーム発足時に鬼木監督は「俺達は守れるよ、というのも見せたい」と語っていたが、結果的にこれがリーグ最少敗戦を呼び込み、優勝を手繰り寄せた要因であることは間違いない。
 
「攻守に圧倒する」という点を中村、小林ら常に強調していきたが、まさにこれが体現されたことによって得られたタイトルと言えるだろう。
 
「攻守においてバランスが良くなったのはこのチームにとって大きかったですし、失点数も去年より減らせたし、そういうところでの手応えはあった。ただうちは攻撃のチーム。今日も5点とれたように、ああいうゲームを数多くやってきて、自分たちのスタイルで勝ち切るということで自信も持てた。しっかり良い結果がついてきたし、全員が同じ方向を向いて自信を持ってやるということを常にチーム内で作り上げながら戦うことができたのは大きかった」
 
谷口は一年を通じて、チームがこういった成績を得られた要因をこう語った。
 
2018年はこれまでと異なり、川崎は“追われる”立場となる。ディフェンディングチャンピオンとして迎える来シーズン、彼らはまだ感じたことのないプレッシャーと戦わなければならない。そこを乗り切り、連覇を成し遂げるのは簡単ではない。しかし、そこを乗り越えたら、このJリーグを代表する強豪クラブの一員となれることは間違いない。だからこそ、あえて勝負は来季以降だと、言いたい。
 
<了>


VictorySportsNews編集部