構成・文/キビタ キビオ 写真/下田直樹
DeNA監督に就任した当初あった不安要素

──中畑さんは、2012年からDeNAの監督として指揮を執りました。久しぶりの現場で、しかも、監督という大役。就任当初から、自信を持ってサインを出すことはできましたか?
中畑 とんでもない! すべてが戸惑いだし、すべてが不安だったよ(苦笑)。
──ベンチからグラウンドの空気を読み取って指示を出すというのは、やはり難しい?
中畑 言い訳になってしまうけれど、就任したのが2011年の12月8日だったこともあったと思う。秋季キャンプを見ていないから、選手の動く姿を見たのは、実質、2月1日の春季キャンプからなんだ。正直なところ、1年目は選手とのコミュニケーションをとる時間が作れないまま、シーズンに入ってしまったという感覚だったよ。
──開幕までに、実質的な時間としては2カ月ないですものね。
中畑 そういう状況だと、一番、不安がないのは送りバントのサインを出すときだけになるね。送りバントは、手堅いから。でも、試合に競り勝つには、各選手の能力を判断して、積極的にいくべきか、安全策で妥協するかを見極める力が監督には求められる。通常ならバントでいい場面のときに、「いや、この選手ならバスターエンドランでいける」というアイデアが出るくらいに、選手をしっかり把握できてくると面白くなっていくんだ。
──そうなるまでに、どのくらいの月日がかかったのでしょうか。
中畑 監督として、本当の意味で指示を出せたのはシーズンの終わりの方だったよ。日頃の会話とか、行動を観察したりして、付き合いを重ねることでようやく身に付いてくるものだからね。
2年目以降に得た確かな手応え
――2年目以降は、だいぶ慣れてきて地に足がついてきたわけですね。
中畑 そうだね。投手継投や代打のタイミング、ヒットエンドラン、スクイズ……。慣れてくると、状況とそこに絡む選手の能力から瞬時にインスピレーションが湧いてくるようになったよ。特に、攻撃時の判断は比較的早く身に付いた。1球投げるごとに「次はどうする?」ではなく、「次がストライクなら、その次はランエンドヒット、ボールだったらバント」というように、先を見通して早めの指示もできるようになるものなんだ。そうなると、コーチや選手とも意思疎通のキャッチボールができるようになる。
──指示を出すのが楽しくなってきた。
中畑 うまくいったときは最高だよな! ただ、ヒットエンドランはなかなか成功しない……。5回サインを出して、1回成功すればいいところ。だから、ランナーの足の速さや、バッターの巧さ、相手ピッチャーがストライクをとってくるカウントなど、できるだけ良い条件が揃ったところでサインを出したいと流れを読むんだけど、慎重になり過ぎて、「ここぞ」というところでサインを出しそびれたりすることもある。
──「さっきの球で動かしておけば良かったか」となるパターンですね。
中畑 選手には、日頃から「失敗を恐れるな!」と言っているのにさ。監督になると臆病になるんだよ……。「監督とは、そういう職業なんだな」と、つくづく痛感したよ。
──それでも中畑さんは、DeNAで機動力をかなり使っていました。
中畑 かつての巨人のように、“王道の野球”ができる戦力があれば一番だけど、DeNAは正直いうと弱かったから……同じ野球をしていたら到底勝てないと思ったんだ。だから、動かすことによって活気を作るようにした。スピードのある野球を敵味方に感じさせることが大事じゃないかと。それによって、勢いが出てくるだろう? それと、相手に「DeNAは油断ができないぞ」とプレッシャーをかける相乗効果も狙って、機動力を積極的に使うことを常に意識して試合に挑んでいたよ。
データというのは選手への見せ方が重要になる
──中畑さんは、データについてはどの程度活用しましたか?
中畑 あくまで参考として使っていたな。選手に安心感を持たせる効果はあると思うけど、データが100%ということはほとんどないからね。
──すべてを否定するわけではない。
中畑 大事なのは、やはり本人の感覚なのよ。たとえば、初めて対戦するピッチャーの対策として、ビデオで先に見せてタイプを把握しておくことは必要だけど、先入観を持たせ過ぎるのも怖いんだ。良いピッチャーだと、「これは打てない……」と思ってしまうから。
──そのあたりは、見せ方を工夫するなどしていくのでしょうか。
中畑 マイナスになることよりも、プラスになるように使っていた。これは選手の心理的なことなんだけど、「この球種は捨てろ」といって、捨てさせるのは難しい。「やめろ」と言われると、かえってやっちゃうんだよ。面白いぞ、人間って(笑)。
──大量に入ってくる情報の取捨選択も必要ですしね。さじ加減が難しいです。
中畑 それも能力なんだけどな。技術があれば、データの意図を理解して行動に移せる。チーム全体でセンター返しとか狙いをつけて指示を出して、そのとおりにやれれば、相手の力が上でも、「簡単にはいかないな」と考え出す。そうなると、状況が変わってくるんだよ。それをやっていたのが、1990年代のヤクルトだった。個人の技量を足し合わせた以上のパフォーマンスを発揮していたよね。オレは、それこそが“チームの力”だと考えているよ。
会心の采配はプロ未勝利だった大田阿斗里のリリーフ投入
──監督をしていたなかで、会心のゲームはありましたか?
中畑 もちろんあるよ。年間で5試合あるかないかだったけどな。継投策がハマスタ(横浜スタジアム)で“ハマった”ときは最高だった!
──(笑)。そのなかでも、記憶に残っている最高の試合は?
中畑 大田阿斗里! 2013年の試合だけど、ハマスタの阪神戦で1点リードしていた5回表2アウト満塁という、周りの誰もが「ここで(大田に)代えてはいけない」という場面で、あえて託して抑えてくれたときは最高だった。
──大田阿斗里は、この試合でプロ初勝利を飾りました。けれど、それまでデビュー以来10連敗していて、5年間勝てていなかったんですよね。
中畑 真っすぐとフォークしかないピッチャーだったけど、球に力はあった。いま考えても、あの頃はちょうどMAXだったんだ。それで、思い切って起用する決断をしたんだけど、デニー(友利/ピッチングコーチ)が「大田ですか!?」って聞き返してきたからな(笑)。
──2015年オフにDeNAから戦力外通告を受けた後、メジャーリーグのトライアウトを受けたりしましたが、最終的にオリックスと育成契約をして2016年のシーズンに挑んでいます。
中畑 うん。まだ若いから、頑張ってほしいけどなあ。
──中畑さんは、三上朋也や山崎康晃など、新人を積極的に抜擢していた印象があります。
中畑 というか、オレは新人の抜擢だらけだったよ。とにかく、「これ」と思った選手はどんどん使った。プロ野球は経験を積ませないと得られない部分が多いから。経験を積むことによって伸びていくことも期待できるしな。
──抜擢するための判断基準はどういうところにあるのでしょう。
中畑 シーズン本番だと、どうしても結果による判断になりがちにはなってしまっていたけど、プレーの中身や姿勢は重要視していたな。やはり、声を出したり、元気があったりする選手がいい。オレはそういう選手が好きだから。
──三浦大輔のようなベテランとの付き合いは。
中畑 大輔とはうまくやっていたよ。若手のいい手本だったし、アイツに「チームのためにいろいろと協力してくれ」と話したら、ふたつ返事で引き受けてくれた。
──逆に難しかった選手はいますか? 以前には久保康友投手とはなかなか話が噛み合わなかったという話も聞きました。
中畑 多村(仁志/現中日育成選手)は、少し難しかった。一度、打順を3番に入れたことがあったんだが、コーチ経由で「3番は一番苦手な打順なんです。勘弁して下さい……」と言われたときは、「ほ、本当か!?」と聞き返してしまったよ。バットマンなら、一番のびのび打てる打順だと思って入れたんだが……。あれだけの実績があって、能力もある素晴らしい選手からそういった言葉が返ってくるとは思わなかったな。「それは“こだわり”とかではなく“わがまま”だろう?」と、このときは、さすがにオレも考えて込んでしまったよ。
──やはり、チームのなかに入っていないとわからないことがあるんですね。