写真:nakata.net

私が中田さんの取材をするようになったのは、現役の末期のころからだ。マンチェスターで初めて取材したときは、体中から溢れる戦う男の圧倒的なパワーに驚いた。圧倒的あり、しかも繊細。常に全身の神経を使って細かな変化やこちらの心境まで察知しているような雰囲気があった。うかつなことを訊いたら、怒られるか、帰ってしまうか。1時間ほどの取材が終わった後、どっと疲れが出たのをおぼえている。

現役引退後、中田さんは、「サッカー以上に熱中できるもの」を探して、旅に出た。最初は海外を転々とし、そのあとは7年がかりで日本全国を旅した。日本の旅には私も時々同行し、その様子を雑誌などで記事にした。
初期は、大人の修学旅行のようなものだった。中田さん自身がガイドブックを何冊も買い込み、その土地のめぼしいスポットや飲食店、地元名産の農家などを選んで巡る。たくさんの発見があったし、勉強にもなった。ただ今思えば、“楽しさ”以上の収穫は少なかったように思う。

旅のカタチが少しずつ変わってきたのは、2年目、本州最南端の波照間島から北上する旅が本州に差し掛かったころだろうか。大雑把にいえば、旅のスタイルが「どこに行くか」ということより、「誰に会うか」に変わったのだ。寺社仏閣、伝統工芸の職人、農家、酒蔵……。それまでチラッと見て通り過ぎていったような場所でも、中田さんは丁寧に話を聞くようになった。
いちおう私は取材のプロだ。相手の話を聞きながら、「そろそろネタも尽きたかな」ということがわかる。そんなときでも中田さんは、それでも食い下がって質問を続ける。すると、相手から興味深い話が出てくることもあった。中田さんの好奇心が相手の心を動かし、1時間の滞在予定が2時間、3時間とのびたこともある。

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なかでも彼が興味を持ったのは、日本酒と伝統工芸だった。同じ日本酒でも土地土地によって微妙に材料や製法が変わり、味に変化が生まれる。土地の気候風土にあわせて生まれた工芸が今もなお、その土地の文化として残っている。そこに共通するのは、繊細な職人技と頑ななまでのこだわり。そういったことが彼を魅了したのかもしれない。

多くの人間国宝の言葉に耳を傾け、陶芸家のもとを訪ねては土を練り、竹細工の職人とともに竹を削った。それまでワインやシャンパンしか飲まなかった彼が日本酒をのみまくり、酒蔵では真冬に汗だくで仕込みを手伝う。災害被害を受けた蔵に自ら出向き、ボランティアで復旧作業をしたこともある。
訪問前は予習をして、訪問後には復習を欠かさない。日本の旅が後半に差し掛かるころには、もはやその知識はプロ並み。質問の種類も変わっていった。
「この釉薬は何度で焼くとどんな色になるんですか?」
「酵母はどこのものを使っているんですか?」
訪問先の人も驚く。そして喜ぶ。あの中田英寿が自分の仕事に興味を持ってくれているということが彼らに力を与えたことは想像に難くない。訪問先で学び、関連書籍などを読み漁る。頭で考え、体で覚える。そして仲間を増やしていく。そうやって彼は、伝統工芸と日本酒について加速度的に学んでいった。

好奇心を好奇心で終わらせないのが、中田さんの真骨頂だ。気がつけば、利酒師の資格を取り、種類販売の免許も取得。工芸や日本酒に関連した事業を行う会社も立設立した。伝統工芸をテーマにしたガラを開催したり、期間限定の酒バーを海外でオープンさせたり、CRAFT SAKE WEEKというイベントを全国各地で開催したり、どんどんその活動の幅を広げている。

こういった活動は華やかでいかにも中田さんらしい。だが、その裏で彼は地道な努力を続けている。日本を巡る旅が終わってからも全国の蔵元や工芸家のもとを足繁く訪ね、工芸家の個展があれば、小さな画廊にも足を運ぶ。気になった酒があれば取り寄せて、おいしいと思えば、蔵元を訪問。さらに全国すべての酒蔵には毎年年賀状を送っている。「宛名書きだけでも大変ですね」と僕が言うと、彼はこう答えた。
「本当は全部の蔵に行きたいんだけど、なかなか難しい。だから年賀状だけでもと思って送っているんです。1年目は、ほとんど返事もなし。2年目は、半分くらい返事が来るようになって、3年目は多くの蔵元から年賀状だけでなく、新しい酒を送ってくれるようになりました。どんな小さなことでも続けることが大事なんです」

サッカー選手として抜群に足が速いわけではなく、足元の技術は「代表に行ったらいちばん下手だった」。特殊能力や飛び道具はない。彼の武器は、ひたすら走る精神力と、基本のインサイドキック。それを磨き続けて世界のトップレベルにたどり着いた。いま彼は、同じことを工芸と日本酒の世界でやっているのだ。彼は言う。
「サッカーにたとえるなら、まだプロになりたて。ゴールはまだまだ先だけど、ずっと続けられる仕事だから、焦らずやっていきたいと思っています」

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現役時代のような“戦う男”のオーラは、なくなった。よく話し、よく笑う。でも繊細さは相変わらずだ。細かな気遣いや気配りには、頭がさがる。謙虚で努力家。妥協はしない。だからこそ、この新しい道でもきっと成功するのではないかと思っている。

それでも最後にひとつだけ付け加えたい。やはり彼には、いつかサッカーの世界に帰ってほしいと思う。決して特別ではなかった男がどうやって世界と戦っていたのか。その経験は、日本サッカーの財産だ。それを若い世代に伝えてほしいと心から願っている。
彼ほどサッカーを愛している人間は、他にいない。彼がどんなに否定しようともそれは伝わってくる。工芸も日本酒も素晴らしい。彼の新しい道が一段落して落ち着いてからでいいから、本気でサッカーのことも考えてほしい。
中田さん、よろしくお願いします。

川上康介

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