不謹慎?切り取り?“桜田発言”の奥にある「スポーツ軽視」

桜田義孝大臣の心ない発言が失望と非難の渦を広げた。一方で、発言の一部だけ報じる意図的な報道姿勢にも問題があるなどと擁護する声もある。この騒動を、スポーツライターの立場から指摘したい。

桜田大臣の発言には、「人としてどうか」「公人としての意識が感じられない」という以上に、政府の東京オリンピック・パラリンピックへの取り組み、開催の目的意識が浮かび上がって見える。その軽薄さに呆然とする。

「盛り上がることが何より大切、そのためには日本勢の金メダルラッシュが必然」という思考は、あまりに単純で、日本政府のオリンピックに対する意識の低さ、創造力の乏しさに落胆する。結局、政府は、お祭り騒ぎを盛り上げて、スポーツとは別の目的を粛々と達成したい。国民やメディアの目をくらまし、批判の矛先をかわすために金メダルラッシュや“盛り上がり”が必須だと考えているのではないかと勘ぐってしまうほどだ。

リオ五輪の閉会式に行われた引継ぎのセレモニーでも、目立ったのは次の開催都市・東京都の小池百合子知事でなく、“安倍マリオ”だった。椎名林檎さんらによる才気あふれる演出によって見る者はその斬新なパフォーマンスに感銘を受けた。しかし、そこでクローズアップされたのは日本のスポーツではなく、アニメやITなど、輸出を目論む日本の技術や商材ではなかったか。つまり、オリンピックを道具にして、国際的な経済効果を狙う、これが政府の主要目的なのだとはっきり示されたと感じた。

オリンピックを契機に、スポーツに限らず、あらゆる分野に波及効果がもたらされ、東京や日本を知ってもらう契機になることはもちろん否定しない。だが、あくまでもその中心には、スポーツの未来を創造する哲学や認識が確固としてあるべきであり、それがオリンピック、スポーツへの礼儀ではないだろうか。いまの日本政府には、その責任感も礼儀も感じない。

施政方針演説にはほとんど登場しない「オリンピック」と「スポーツ」

1月28日に行われた安倍首相の施政方針演説を見てもその姿勢は明らかだ。いかにスポーツやオリンピックが軽視されているか。施政方針演説をスポーツの観点から読み直せば、失言問題は単に桜田大臣の資質の問題でないことがよくわかる。

オリンピック・パラリンピック開催を間近に控え、いま日本では何かにつけて『東京2020』が理由や根拠にされている。スポーツ庁をはじめとするスポーツの産業化はもちろん、インバウンドによる外国人観光客の増加作戦、そのほかスポーツと直接関係のないことがらにも『東京2020』が活性化の柱として据えられている。
いま日本社会は、経済も含めて、「来年の東京オリンピック・パラリンピック開催を大きな軸として動いている」という認識を持っている国民は少なくないだろう。ところが、安倍首相の施政方針演説を聞けば、本当はそれほど重要な位置づけだと考えていない、あらゆる分野と連動するハブのような重要な存在だなどとはまったく認めていない意識が空しいほどわかる。施政方針演説の中で、安倍首相がスポーツに言及したのは二回だけ。しかも、次のような言葉だった。

『9月20日からいよいよラグビーワールドカップが始まります。5日後には、強豪フィジーが岩手県釜石のスタジアムに登場します。
 津波で大きな被害を受けた場所に、地元の皆さんの復興への熱意と共に建設されました。世界の一流プレーヤーたちの熱戦に目を輝かせる子どもたちは、必ずや、次の時代の東北を担う大きな力となるに違いありません。』

『福島の復興なくして東北の復興なし。東北の復興なくして日本の再生なし。復興が成し遂げられるその日まで、国が前面に立って、全力を尽くして取り組んでまいります。
 来年、日本にやってくる復興五輪。その聖火リレーは福島からスタートします。最初の競技も福島で行われます。東日本大震災から見事に復興した東北の姿を、皆さん、共に、世界に発信しようではありませんか。』

演説で安倍首相は、急に実現可能かどうかも不明瞭なスローガンを威勢よく謳いあげた。『世界の一流プレーヤーたちの熱戦に目を輝かせる子どもたちは、必ずや、次の時代の東北を担う大きな力となるに違いありません。』って、論理的におかしくないか? スポーツに関しては、こういう飛躍や精神論が許されるとでも思っているのか? そこで語られたのは、飛躍と願望。勝手な想定としか感じられない。

聖火が福島からスタートし、最初の競技が福島で行われる。安倍首相は“復興五輪”と位置づけているが、本来の開催都市・東京の立場はどうなるのか? 東京五輪関連の施設建設やインフラ整備のため、東北地方の被災地復興に携わる人材が不足し、復興が二の次になっているのではないかという切実な生活問題を「スポーツの感動」でうやむやにしている。安倍首相は、いま急速にスポーツの支持率が下がり、「オリンピックだから」「スポーツだから」という理由で大多数の国民が無条件で賛成し譲歩する時代でなくなっている現実、人々の感情の移ろいさえ見誤っている。

真に目指すべき目標は「金メダル30個」ではない

日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕強化本部長は昨年6月の理事会で、「2020年の東京五輪で金メダル30個獲得を目指す」と表明した。これが日本チームの明確な目標値になっている。

強化を担当する現場が金メダルを目指し、ひとつの指標を設定するのはあってもいいだろう。しかし、これが大会全体の目標のように誤解されるのは違う。東京オリンピックを開催するのは、「金メダル30個獲得」のためではない。

東京大会の招致委員会は、世界に「お・も・て・な・し」を公約した。日本伝統の美徳がオリンピック本来の目的である「世界平和」に通じる、それが東京に開催が託された大きな要因だったと、対外的には理解されている。ロビイストによる票集めが水面下で行われた成果が一方であったにせよだ。
「金メダル30個と“おもてなし”をどう共存させ、実現するのか?」
と、桜田大臣、いや安倍首相に尋ねたい。
「金メダル30個獲得」は、五輪憲章をお読みになったばかりの桜田大臣に合わせて短絡的な言い方をすれば、「日本に来てくれたライバルたちを返り討ちにする」という意味にもなりかねない。

オリンピックの本質的な素晴らしさ、感動はどこに?

NHKテレビの『グッと!スポーツ』に出演したスケートボーダーの瀬尻稜選手が、「東京では当然、金メダルを獲ってくれますよね?」といった嵐の相葉雅紀さんの問いかけに、「出るか、まだ決めていないんですよ」と答え、その理由をこんな風に話した。

「僕らのやっているスケートボードは、ライバルが素晴らしい技を決めたらみんなでハイタッチするような競技だから、僕だけが金メダルを期待されるような雰囲気の中で滑りたくないから」

瀬尻稜の言葉に胸が熱くなった。まさにそれこそが、2020年に東京五輪を開催する意義。これからのスポーツ観を日本中で共有する大きな糸口ではないかと感じた。
サーフィン、スケートボード、スポーツクライミングなどの新種目はとくにこうした勝ち負けだけでは測れないピースフルでハッピーな哲学を競技の発祥と発展の歴史に携えている。

勝利至上主義がはびこり、固定化しがちなスポーツ界に新たな風を吹き込んでくれる、そこにこれら新種目採用の意義があると私は感じている。ところが、新種目を採用したIOCですら、そうした哲学的な意義や背景にはほとんど触れず、メディアは誰が強いか、メダルに近い日本選手はいるのか? といった角度からの関心ばかりを煽っている。

1964東京五輪で金メダルを獲得し、《名花》と謳われた女子体操のベラ・チャスラフスカさんは、その後、母国の政治体制によって厳しい人生を送った。だが、日本に対する深い愛情は一貫して抱き続け、亡くなるまで両国交流の貢献を重ねてくれた。
初めて五輪種目になった柔道の無差別級決勝で日本選手を破り、日本柔道界を悲嘆の底に突き落としたアントン・ヘーシンクは、大会前、日本で修業し、日本に学んだ成果だという感謝と愛情を込めて、「これは日本が獲ったもうひとつの金メダルです」とつぶやいたが、「日本は負けた」という敗北感一色の空気の中で、理解されなかった。それでもヘーシンクは引退後も日本との交流を熱心に続けた。こうした国際交流、生涯忘れることのない日本への思いこそ、オリンピックが産んだ大きな友情と平和の礎ではないか。そのことをまだ日本は理解できないのか。

日本のメダルラッシュがあろうとなかろうと、感動の芽生えを触発できる道はどこにあるのか。スポーツの内面にひそむ可能性をもっと直視し、共有する努力が残り1年半で求められている。それこそが本質的な課題であり、東京2020オリンピック・パラリンピックを開く意義だ。

衆院選、スポーツは各政党マニフェストにほとんど記載されていない。

10月22日、第48回衆議院議員総選挙の投開票が行われる。2020年に東京五輪という一大イベントを控え、候補者がスポーツ関連の政策、施策を話題にする機会も増えた。2015年にはスポーツ庁が発足し、社会生活におけるスポーツが注目を浴びているように見える。実際のところ、政党や政治はスポーツをどう扱おうとしているのか? 各党マニフェストから見える政治とスポーツについて、作家・スポーツライターの小林信也氏に寄稿いただいた。

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各政党マニフェストを比較。総選挙、スポーツに真剣な党はどこか? 

第48回衆議院議員総選挙の投開票が10月22日に迫っています。スポーツ庁の発足とともに徐々に語られるようになってきた国民生活とスポーツ、政治主導のスポーツ政策。2020年に東京五輪開催を控えた今回の総選挙で、各政党はどのようなスポーツ政策を掲げているのでしょう? 各政党の選挙公約、マニフェストからスポーツ関連トピックを抜き出しました。

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内田前監督無罪放免、山根前会長はタレント化 スポーツ不祥事の幕引きまだ遠く

2018年のスポーツ界は、平昌五輪の昂奮に始まり、卓球、フィギュア、バドミントンなど多くの種目で若い選手の台頭があり、明るい話題が絶えなかった。一方、各競技でパワハラなどの告発が続き、スポーツ界の悪しき体質が世間で議論された年でもあった。スポーツ界にとって大きな転換期となった2018年をさまざまな問題の取材に取り組んできた作家・スポーツライターの小林信也氏が振り返る。(文・小林信也)

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至学館・谷岡学長は手のひら返しなのか? 知られざる解任の経緯を直接訊いた

レスリング日本代表にして金メダリスト、伊調馨選手に対するパワハラ告発に端を発した問題は、14日に開幕した全日本選抜選手権大会を境に大きく動き出しました。大会初日、現場復帰を果たし、謝罪会見を行った栄和人氏でしたが、大会終了後の17日、至学館大学の谷岡郁子学長が解任を発表。監督復帰からわずか3日での解任となりました。これまで栄氏をかばうような発言をしていた谷岡学長の決断の是非、解任理由をめぐる報道が激化しています。この問題で連日テレビ出演をしているのが、作家・スポーツライターの小林信也氏。レスリングパワハラ問題追求の急先鋒だった小林氏が、谷岡学長と会うに至った経緯とは? ファーストコンタクトからそこで交わされた会話が明かされます。(取材・文=小林信也)

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悪質タックル問題から何を学ぶべきか? “日大のスキャンダル”で終わらせてはいけない理由

内田正人前監督が日本大学事業部取締役辞任するなど、その“暗部”が、大学全体、組織にまで及ぶなど大きな広がりを見せる日大アメフト部による悪質タックル問題。いち早くこの問題を「経営体制」や「組織」の問題と指摘していた作家・スポーツライターの小林信也氏は、内田前監督、井上前コーチを“絶対悪”として断罪し、この問題を勧善懲悪の物語に落とし込んでしまうことの危険性を指摘します。テレビなどでタックル問題の裏にあるスポーツ界のパワハラ体質、体制の不備などを糾弾してきた小林氏が、「日大のスキャンダルに終わらせてはいけない」と危機感を抱く理由とは? (文=小林信也)

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貴乃花親方退職で失われるもの 相撲協会の組織的なパワハラを許していいのか?

日本相撲協会が元横綱、貴乃花親方の退職と、貴乃花部屋の力士の千賀ノ浦部屋への移籍を承認しました。これにより貴乃花部屋は消滅、幕内優勝22回を誇る“平成の大横綱”貴乃花が日本相撲協会を離れるという事態になりました。貴乃花親方はなぜ、相撲協会を“追われ”なければいけなかったのか? 作家・スポーツライターの小林信也氏は、今回の一連の騒動とそれをめぐる協会の対応は、組織的なパワーハラスメントだと指摘します。(文=小林信也)

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貴乃花は“政治”に走らなかった 問われる相撲協会執行部と評議員会の資質

日本相撲協会の理事候補選が2日に行われ、注目を集めた貴乃花親方は獲得票数2票で落選という結果に終わりました。「大差の落選」「現体制の信任」など貴乃花親方の“惨敗”が報じられていますが、一方で、数々の不祥事が報じられる春日野親方に処分がないことなど、相撲協会と評議員への不信も高まっています。作家・スポーツライター、小林信也氏は、今回の理事選をどう見たのでしょう?(文:小林信也)

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小林信也

1956年生まれ。作家・スポーツライター。人間の物語を中心に、新しいスポーツの未来を提唱し創造し続ける。雑誌ポパイ、ナンバーのスタッフを経て独立。選手やトレーナーのサポート、イベント・プロデュース、スポーツ用具の開発等を行い、実践的にスポーツ改革に一石を投じ続ける。テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍。主な著書に『野球の真髄 なぜこのゲームに魅せられるのか』『長島茂雄語録』『越後の雪だるま ヨネックス創業者・米山稔物語』『YOSHIKI 蒼い血の微笑』『カツラ-の秘密》など多数。