総選挙、スポーツに真剣な党はどこか? 各政党マニフェストを比較する

第48回衆議院議員総選挙の投開票が10月22日に迫っています。スポーツ庁の発足とともに徐々に語られるようになってきた国民生活とスポーツ、政治主導のスポーツ政策。2020年に東京五輪開催を控えた今回の総選挙で、各政党はどのようなスポーツ政策を掲げているのでしょう? 各政党の選挙公約、マニフェストからスポーツ関連トピックを抜き出しました。

VICTORY ALL SPORTS NEWS

表面的にしか語られないスポーツ

選挙が始まるとスポーツライターはいつも虚しさに襲われる。

普段は日本社会、国民生活の大切な一翼を担っていると自負する「スポーツ」が、実はまったく社会機能の主要分野とみなされていない現実を思い知らされるからだ。

今回は違うかと少し期待していたが、やはり変わらなかった。
期待していたのは、この1、2年、東京五輪のエンブレム問題に端を発し、新国立競技場建設問題、そのオリンピック施設や運営費の問題が連日のようにメディアで報じられ、スポーツが社会問題として遡上に上がっていたからだ。

いざ選挙になれば、スポーツなど「お呼びでない」。各政党のマニフェストに、スポーツに関する政策や公約はほとんど記されていない。過去の選挙ではどの党のマニフェストにも一切、スポーツの文字が見えない方が普通だった。今回はまだ東京五輪があるため、多少活字にはなっている。けれど、その掘り下げ方、言及の質を問えば、あまりに表面的で議論すべき核心とかけ離れている。

見方を変えれば、スポーツが政治の干渉や制約を受けていない、スポーツに自治がある、と言えなくもないが、決してそうではない。政治家は、票稼ぎや経済効果創出、インフラ整備などの国策遂行のための“印籠代わり”にスポーツを使うが、決してスポーツそのものの質的向上や本質的な普及振興を真剣に考えていない姿勢が明らかだ。

有名選手が政治家に転身する例も多いが、彼らの大半が議員になった後、スポーツのエキスパートだからこそできるスポーツ改革に専心し、現場を感動させる施策を次々実現してくれた例はほとんど知らない。市議レベルの選挙で、「ゲートボール場を作ります」と公約して高齢者の票を稼ぎ、実行した先例がある程度だ。

耳心地の良い“スポーツ礼賛“では何も変わらない

VICTORY編集部がまとめてくれた、各党のスポーツに関するマニフェストの一覧がある。まったくスポーツに触れてない政党もある。自民党はいくらか記述があるが、スポーツは社会的に「良いものだ」という前提に立っている。

これが失笑モノだと、私はまず感じる。スポーツを愛し、スポーツに携わる者からすれば、そういう位置づけは「ありがたいこと」かもしれないが、現在のスポーツ界が抱える深刻な問題は、スポーツ界にとどまらず、一般の社会生活にも暗い影を落としている。これは早々にメスを入れ、改善しなければいけない大きな課題だ。ところが、スポーツ界の体質改善は棚上げしたまま、美名のまま持ち上げたスポーツの祭典を彼らの目的遂行に利用する魂胆が見え透いている。その甘さを指摘しないわけにいかない。

いま日常社会で大きな問題となっているパワハラ、イジメ、体罰に限らず言葉の暴力などは、スポーツがその主要な温床になっている。“上から目線”“支配者意識”の変わらないスポーツ指導者や教師たちの啓蒙、意識改革が急務だと思うが、スポーツ界の体質にはっきりとダメ出しをし、メスを入れる動きやメッセージは一切ない。そういう問題意識を本当は持っていない、その程度の分析しかできていないのか。それとも、わかっていても目をつぶり、便宜的にスポーツを利用し続けようと目論んでいるのか。

いずれにせよ、そういう姿勢のために、前時代的な指導者や教育者の誤った意識や体質は放置され続け、イジメ、パワハラはなくならないばかりか、はびこる一方だ。それなのに、国や政治家は手放しでスポーツを賛美し、金メダルを獲るためなら、パワハラ体質の指導者たちを名将と呼び、礼賛する。メディアも同じく、勝った官軍に阿ねり、儲かる方の機嫌を取り続ける。

世の中のリーダーが鋭く指摘し、どう改革するか提言すべきはそういう次元においてだと思うが、現在の政党や政治家、メディアのレベルはそのようにはなっていない。

成果主義、勝利至上主義。金メダルを獲ればその選手や指導者は礼賛される。その背後にどれだけ危険な思想や体質があっても、目をつむる。アスリートの積み重ねた成果には敬意を払うべきだが、その過程ではなく、金メダルを獲ればすべてが美化される茶番はもう終わりにしなければならない。

曖昧なままの開催意義 スポーツの真の役割とは?

今回のマニフェストを読んでいると、スポーツ関係の公約は少ないながら、突っ込みどころは満載だ。

『テロ対策を』というが、現在の世界状況で最も懸念されるテロの危険をわざわざ日本に招き入れ、国民に重大なリスクを背負わせてまでオリンピックを招致する意義は何なのか、本来は説明する必要がある。招致委員会は、それを正面から言及せず、お祭り騒ぎ、「感動をもう一度!」という表向きの華やかさだけで押し切ってきた。

皮肉なのは、オリンピックを開催するのが、東京なのか、日本なのか。自民党のマニフェストを見るとよくわからない。というより「日本」が開催するかの位置付けになっている。オリンピックは都市が開催するものであって、国はあくまでサポートする立場。それなのに、国政に関わる者が勝手に自治体から主役の座を奪うような公約をするのは、オリンピックの趣旨からすれば筋違いだ。

「復興五輪」と位置付けているのはさらに滑稽で、東京五輪の施設建設やインフラ整備のために、建設業者のエネルギーを東京に奪われ、被災地の復興が後回しになっている現実は本当にないのか? 耳障りのいいキャッチコピーとして「復興五輪」と看板を揚げるのはフェアだと言えるのか? 本来の開催地である「東京」の立場はどうなるのか? 皮肉と書いたのは、東京五輪で主役であるはずの東京都知事が、リオ五輪閉会式ではマリオに扮した安倍首相に主役の座を奪われる格好になった。が、今回の衆院選では、都知事が首相に逆襲を仕掛ける形になっているからだ。

最後に、オリンピックは「平和の祭典」だ。日本オリンピック委員会(JOC)のホームページにも、「オリンピック憲章 根本原則」と題して次のように記されている。

『オリンピック・ムーブメントの目的は、(中略)平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある。』

テロの頻発、北朝鮮の脅威など、不穏な動きが渦巻く世界情勢の中で、2020年にオリンピックを迎える日本は、オリンピックを通じて、世界平和にどのような役割を果たして行くか。真剣に向き合い、訴えるべき責務を持っている。だが、そのことにまったく言及していない。おそらく、その意識、責任感はないのだろう。そんな曖昧な姿勢で、本当に国際社会の重要な一員として信頼を受け、期待に応えられるだろうか?

2020年にオリンピックを迎えるホスト国が大前提としてすべきことは、「私たちは平和への貢献のため、絶対に戦争をしない、戦争を想定しない」という、本来日本が世界に誇るべき姿勢を世界に発信し、平和実現の覚悟を示すことではないだろうか。それこそが、どんな経緯であれ、日本が2020年に平和の祭典を開催することになった、運命の糸ではないかと思う。マニフェストからは、そのような覚悟はまだ見ることができない。

総選挙、スポーツに真剣な党はどこか? 各政党マニフェストを比較する

第48回衆議院議員総選挙の投開票が10月22日に迫っています。スポーツ庁の発足とともに徐々に語られるようになってきた国民生活とスポーツ、政治主導のスポーツ政策。2020年に東京五輪開催を控えた今回の総選挙で、各政党はどのようなスポーツ政策を掲げているのでしょう? 各政党の選挙公約、マニフェストからスポーツ関連トピックを抜き出しました。

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小林信也

著者プロフィール 小林信也

1956年生まれ。作家・スポーツライター。人間の物語を中心に、新しいスポーツの未来を提唱し創造し続ける。雑誌ポパイ、ナンバーのスタッフを経て独立。選手やトレーナーのサポート、イベント・プロデュース、スポーツ用具の開発等を行い、実践的にスポーツ改革に一石を投じ続ける。テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍。主な著書に『野球の真髄 なぜこのゲームに魅せられるのか』『長島茂雄語録』『越後の雪だるま ヨネックス創業者・米山稔物語』『YOSHIKI 蒼い血の微笑』『カツラ-の秘密》など多数。