22歳の新大関誕生

3月24日。大阪城公園の桜がほんの少しだけほころび始めたこの日に貴景勝は春場所の千秋楽を迎えていた。相手は栃ノ心。角番で7勝7敗と崖っぷちに立つ大関だ。ここまで9勝の貴景勝は勝てば大関昇進を決める相撲。そうなれば自動的に栃ノ心は関脇に陥落する。
これこそ正真正銘の入替戦といっていい大一番だった。結果は、立ち合い一気の突き押しで大関を圧倒した貴景勝の勝ち。在位わずか5場所で大関の座を明け渡した敗者とは対照的に、貴景勝の唇は興奮でわずかに震えていたのが印象的だった。

この場所、貴景勝は阿武咲と並んで幕内最年少の22歳。大相撲界を背負って立つ若きヒーローはいとも簡単に偉業をやってのけた。このとき私の頭にあったのは、先場所(2019年1月)千秋楽の一番。勝てば大関と言われた貴景勝は高校の先輩でもある大関・豪栄道に完膚なきまでにやられた。負けても大関があるんじゃないかといわれていたが、見事な負けっぷりで昇進の話題は一気に吹っ飛んでしまった。なんと表現したらいいのだろう?「痛恨」という言葉でも、「やってしまった」という言葉でも言い表しきれない、貴景勝にとって最悪の瞬間だったに違いない。

それからわずか2か月後に再び巡ってきた、勝てば大関をつかめる千秋楽の大関戦。あと一歩のところでチャンスを逃してきたかつての名関脇たちの顔が何人も頭に浮かんでいた。しかし、貴景勝は見事に打ち克った。それは目の前の栃ノ心にではなく、自分自身という一番難しい相手に。夜のテレビ番組で貴景勝は「先場所の千秋楽に負けてから、この時を待ち望んでいた」と語ったが、すべてが腑に落ちたと素直に感じた。

思い出す1年前の春場所

ちょうど1年前の春場所。貴景勝は、京都の宇治にある貴乃花部屋の宿舎で初日を迎えていた。この場所は貴景勝にとって苦しい場所となった。場所前から騒がれたのはこの場所から復帰する貴ノ岩だった。あの日馬富士から暴行を受け精神的にも苦しんでいた貴ノ岩は九州場所・初場所と全休し、この春場所が復帰の場所。たくさんの報道陣が宿舎に詰めかけ遠巻きに力士の動きを追う毎日だった。場所が始まると師匠の貴乃花親方の無断欠勤が問題となり、挙げ句の果てに貴公俊の暴行事件まで。貴乃花部屋には負の連鎖が起きていた。さらに貴景勝は右足を痛め、人生初の途中休場を余儀なくされてしまった。

貴景勝の本名は佐藤貴信。名前の貴の字は誰あろう後の師匠横綱・貴乃花からつけられたものだった。生まれたときから運命の糸で結ばれていた貴信少年と貴乃花親方は、出会うべくして出会い師弟となった。貴乃花親方の相撲に向き合う姿勢、それはまさに王道だ。四股、すり足、鉄砲。基本を繰り返す稽古は「何よりきつい」と語ってくれた元大関がいたが、貴乃花親方はそれを最も重視した。相撲において一切の妥協を許さない。そのストイックさについて行けない弟子もいたが貴景勝は違った。さらに貴乃花親方は、貴景勝の強みである突き押しを徹底的に伸ばした。何より基本に忠実だったからこそ寄り道せず強くなったといっていいと思う。

しかし、この場所では、師匠の無断欠勤の問題と貴公俊の問題でどんどん追い詰められていく異常事態。貴景勝をはじめとする弟子たちは一様に「自分の相撲をとるだけ」と口にしていたが、平常心でいるのが難しい場所だったことは想像に難くない。そんな中での右足のけが。この時、まさか1年後に大関昇進を決めるとは、恥ずかしながら私は想像できなかった。

師匠の突然の引退、そして移籍

去年の秋場所。貴景勝にとっては三役(小結)で初めて勝ち越した記念すべき場所となった。その直後に急転直下の出来事が貴景勝を襲う。尊敬し信じてついてきた師匠・貴乃花親方の突然の引退表明だ。部屋の弟子たちも、相撲協会の幹部も、私たち記者も、みんな寝耳に水のこの発表で貴景勝の運命は加速度的に動き出すこととなる。師匠という道標がなくなっただけでなく、相撲界のルールで別の師匠のもとに移籍しなければならなくなったのだ。

受け入れたのは元隆三杉の千賀ノ浦親方。ワイドショーなどでは連日、里親に引き取られた捨て犬のような扱いをされていたことを思い出す。しかし、それは正しい表現ではなかった。千賀ノ浦親方は古い相撲ファンならよく知っているだろうが、丸っこい体型を生かした突き押し相撲で活躍した元小結・隆三杉。貴乃花親方の叔父で土俵の鬼と呼ばれた元横綱・初代若乃花の弟子で、その後は貴乃花の父で元大関・貴ノ花が師匠となった。貴乃花親方にとっては大先輩で長く部屋付きの親方として一緒に力士を指導してきた親方だった。
そして、この移籍をきかっけに貴景勝は一気にブレークする。ご存知の通り移籍した直後の九州場所で初優勝、その後、11勝、10勝と白星を積み上げ一気に大関まで階段を上っていったわけだ。

貴景勝を変えたものは?

ここで最初の問いに戻る。貴景勝を変えたものは何だったのか?
貴乃花という重しがとれたからだという人がいる。それは貴景勝の露出を見れば一目瞭然だ。去年の年末から貴景勝がテレビに出演する機会は激増した。先月に放送されたバラエティー番組で、あこがれの人という堀田茜さんと対面し、お姫様だっこしたシーンなどはその象徴だろう。情熱大陸でも取り上げられた。貴乃花部屋時代、師匠は無駄なテレビ出演は一切断っていた。NHKのスポーツニュースでさえ取材を断る徹底ぶりだった。力士の本分は相撲で強くなること。テレビ、ましてやバラエティーなんて必要はまったくないということだったのだろう。まさに貴乃花親方の重しがとれた貴景勝はテレビで素顔を披露しさらに人気を高めた。しかし、考えてみれば露出が増えるから強くなるというのはおかしな話である。逆に稽古時間が減って調子を落とすのではと心配してしまう。

貴景勝は、こうした外野の心配をよそにテレビで露出しながら、人気を高めながら、成績を残し続けている。むしろこういう状況を楽しむように、テレビ出演などを絶好の気分転換の材料にしながら、実力を高めているようにさえ思えてしまう。そういう意味では、古い価値観を越えた力士なのかもしれない。

私は、貴景勝は貴乃花親方が耕した畑でたわわに実ったメロンのような存在に思えて仕方がない。基本があるから伸びる。基本があるから気分転換が効く。基本があるから自分を信じることができる。まさにそういう力士に見える。四つ相撲の師匠とは相撲の取り口は全く違うが相撲の基本というしっかりとした幹を持つという面では師匠を追い続けている貴景勝。いまはすべてをプラスの力に変えている22歳には、これからの相撲界を引っ張っていって欲しい。素直にそう思える大関昇進だった。


羽月知則

スポーツジャーナリスト。取材歴22年。国内だけでなく海外のスポーツシーンも取材。 「結果には必ず原因がある、そこを突き詰めるのがジャーナリズム」という恩師の教えを胸に社会の中のスポーツを取材し続ける。