満足度高い画期的コラボ

 6月14日水曜日、JR両国駅のお隣にある錦糸町駅からほど近い東京都墨田区のすみだトリフォニーホール。人気狂言師の野村萬斎さんによる「野村萬斎~狂言への誘い~」が午後7時に開演した。ぎっしり埋まった客席には大関貴景勝の姿もあった。冒頭、萬斎さんはこう挨拶した。「〝相撲の街〟で、今日は相撲三昧です。私は狂言を50数年やっていますが、お相撲と一緒にやっていただくのは初めてだと思います」。狂言と大相撲がタッグを組んだ舞台に興奮気味だった。

 日本相撲協会員たちは国技の深みを見せつけた。まずは春日山親方(元関脇勢)によって相撲甚句が披露され、勇輝(陸奥部屋)と北大地(立浪部屋)が合いの手を入れた。甚句は、この日のために幕内格呼出し、利樹之丞(高砂部屋)が書き下ろした「すみだと大相撲」。音響のいい大ホールだったこともあり、春日山親方はマイクを使わずにアカペラで歌い上げ、広い会場全体に甚句を届けた。その後は利樹之丞による呼び上げに、本場所の初日前日に響く触れ太鼓、当日朝の寄せ太鼓、打ち出し後のはね太鼓のたたき分け。大きな拍手を浴びながら、萬斎さんらによる「文相撲」という狂言に雰囲気をつなげていった。

 観客の反応も上々。例えば、若い男性2人組は「特に太鼓の満足度は高い。一回相撲を見に行きたくなりました」や「甚句の歌声が半端なかったです。これまでテレビでは見たことがありましたが、実際もすごいですね」と感激の面持ちだった。

 折しも新型コロナウイルス禍の影響で、日本相撲協会はここ3年で約100億円の赤字を計上した。計画では2027年までの5カ年プランを策定して早期の赤字脱却を図るとしている。柱となる本場所の入場料収入の他にも、近年立ち上げた商品開発の部署などでグッズを開発したり、交流イベントを催したり。ファンを楽しませながら少しでも利益を上げるべく奮闘している。この状況下で、狂言との画期的なコラボは大相撲に欠かせない重要な軸をぶらさずに国技の魅力をPRし、良質な形で普及やファン層開拓にも一役買った。

目に見えない財産

 最近、物議を醸している試みも相次いだ。例えば夏場所に実施された大入袋の販売。大入袋は元来、満員御礼の日にご祝儀として相撲関係者に配られてきた。中には10円玉。原則的に一般では手に入らないという貴重さもあり、贈呈されたものが額縁にまとめられ店舗などに飾ってある風景は全国津々浦々で見られる。いわば千客万来の縁起物だが、夏場所では連日、両国国技館内の売店で一つ100円の値段で売り出された。SNS上などで「ありがたみがなくなる」「そもそも売りに出してはいけないものなのでは」といったリアクションが散見された。さらには満員御礼の垂れ幕が下がるのは通常、横綱土俵入り終了後の夕方。それだけに懸念する協会関係者もいる。「興行の売りである幕内取組にかかりそうな時間帯に、お客さんに売店へ行ってもらう流れをこちらからつくるのは考えものだ」。

 6月11日には「腹タッチ会!」と称されたイベントが福岡市内で催された。参加料は5500円。11月の九州場所を見据えた企画で、関取衆の歌を聞けたり福袋をもらえたりした上、力士のお腹に着物越しに触れられる内容だった。鍛え上げられた力士の腹はどんな硬さなのか、興味を持つファンがいるのはもっともだろう。イベントには大勢の来場者が詰めかけて盛況だったのは自然で、大相撲への興味を増す人がいることも想定される。

 これまでも巡業や花相撲で、力士の許可を得るなどしてお腹にタッチする光景を目にすることがある。ただ今回は方向性が異なるだけに批判も渦巻いた。協会員からは次のような指摘が出てきた。「個人的に断ってお腹をタッチするのは分かるけど、協会の方から『お金を払えばお腹に触れますよ』という感覚はちょっと違う」「力士を商品として扱っているのと一緒」。握手などと違って他人の腹部に触れるのは非日常的行為という点も、違和感を増幅させているのかもしれない。

 大入袋のように角界が誇る「粋」に関わる領域や、現代でも連綿と続く力士の存在意義は金銭に換えることのできない「プライスレス」だとするならば、それらは守っていくべきものとの論が当てはまる。何でもお金を支払えば可能といって目に見えない財産を〝安売り〟しないことは、長期的観点から大相撲の価値を保つ上でも重要だ。

トライアンドエラー

 「キャズム」「カニバリゼーション」「タッチポイント」―。約10年前、相撲協会の事務所には聞き慣れない言葉が飛び交っていた。これらはすべてマーケティング用語。2007年の力士暴行死亡事件を皮切りに大麻問題、2010年の野球賭博問題、翌年の八百長問題と国技を揺るがす不祥事が続き、客足は大きく遠のいた。前代未聞の苦境の中、協会を支える職員たちはマーケティングからのアプローチで人気回復策を研究。大相撲には長い間培われてきた有形無形の資産がある。世界に二つとない魅力を生かすべく、SNSの積極的な活用や新規のファンサービスなどを親方衆とともに考案し、情報発信を増やしながら活性化につなげた。コロナ禍前には、2017年から3年連続で年6場所全90日間大入りをマークするほどで、ブームの様相を呈していた。

 江戸時代に定期的に興行として実施されるようになって人気を博し、令和の現在でも日本社会に歴然として受け継がれている。その裏には角界独自の強みがあるとの分析がある。「大相撲のマネジメント」の著書を持ち、スポーツマネジメントなどが専門の武藤泰明・早稲田大教授はかつて、大相撲運営の長所について次のように言及した。「外国人力士の受け入れや制限など、相撲協会は試行錯誤を繰り返してきた。リスクが高いことをするより、駄目ならやめて、良いものを残す方法は大きな失敗がない」と協会の戦略を評価した。

 名古屋場所は霧島の新大関デビュー、豊昇龍や大栄翔、若元春が異例の3人の大関とり、幕内上位に戻った大関経験者の朝乃山、昭和以降最速に並ぶ幕下付け出しデビューから所要3場所で新入幕の落合改め伯桜鵬などなど、見どころが多い。国技の中心はいつの時代も力士たちであり、力士による白熱した取組がファンを魅了してやまない。土俵以外でのイベントやグッズ販売などは、盛り上げを周囲からサポートする役割を担う。財務的に苦しい昨今ではあっても、大相撲の伝統にふさわしくないものがあれば見直す判断も下しながら、前へ進むことが望まれる。ビジネスシーンでもよく使われる「トライアンドエラー」の言葉。協会スタッフがよく口にしていた用語でもある。試行錯誤しながら、大相撲が包含する価値を高めていくマネタイズが強化されれば、ポストコロナ時代の新たな角界像が形作られることになる。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事