明確な目標

福岡は快足のウイングとして今年のワールドカップ(W杯)日本大会でも活躍が期待される。福岡高―筑波大出身の26歳。7人制で実施される来年の東京五輪を最後に、現役を退いて医学部への挑戦を明言している。医者の家系に育ち、さらには高校時代に膝の靱帯を切る大けがを負ったときに出会った医師の存在が、第二の人生を考える要因になったという。日本が誇るトライゲッターは「悔いがないようにしたい」と、しっかりと集大成を見据えている。

22歳の朝比奈は最重量級の78㌔超級で活躍している。こちらも父が麻酔医、母は歯科医という家庭に生まれた。中学3年で講道館杯全日本体重別選手権の準決勝に進むなど早くから才能が開花。体重無差別で争う全日本女子選手権も制し、昨年には世界選手権を初制覇した。その傍らで医学部受験に向けて予備校に通いながら稽古を重ねるなど、明確な目標を持って両方で奮闘。「覚悟を決めて五輪まで勝っていきたい」と気合を入れている。

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海外の先例

日本とは異なり、特に欧米では先例が多くある。日本に関係のある事例では、プロ野球で1975年に広島の初優勝に貢献したゲイル・ホプキンス(米国)が挙がる。山本浩二、衣笠祥雄らとともに強力打線を組み「赤ヘル旋風」を巻き起こす一方で、将来的に医師になる目標に向かっての努力も怠らなかった。医学書を持ち歩き、シーズンオフには学校にも通った。現役引退後、母国で晴れて整形外科医になった。

スピードスケート男子のエリク・ハイデン(米国)は母国開催だった1980年レークプラシッド冬季五輪で完全制覇となる全5種目で金メダルを獲得した。500㍍から、一番長い距離では10000㍍とオールラウンドに力を発揮して前人未到の快挙を成し遂げた。スーパースターとなった五輪後にはテレビタレントなどの声もかかったという。それらを断って医学の道へ進み、整形外科医に転身した。

先人の流れを受け継ぐように、現役ではフィギュアスケート男子のネーサン・チェン(米国)が、将来医師になりたいとの希望を胸に秘めている。中国からの移民を両親に持ち、何種類もの4回転ジャンプを駆使。今年3月には羽生結弦(ANA)らを抑え、世界選手権で2連覇を果たした。20歳のチェンは昨秋、東部の名門エール大に進学。競技と学業との両立に「どちらにも集中して取り組まなければならない」と意欲を示している。

背景の違い

欧米には、スポーツで多大な功績を挙げた選手たちに対しても、学業面の才能や意欲を引き出す社会的背景が備わっている。例えば米国には、大学スポーツを統括する全米大学体育協会(NCAA)が存在し、1100超の学校が加盟している。学生の本分でもある勉強優先の方針が明確化されており、たとえ有力選手でも成績不振だと試合に出場できないというほどだ。

対照的に、日本はとかく一点集中の傾向が強い。特定のスポーツだけにひたすら打ち込んで好結果を収める面はもちろんある。半面、一流選手を目指す過程で勉学を捨て、スポーツだけの世界に漬かってしまう環境になりがちだ。その昔、ある有名なプロスポーツ選手が大学時代、試験で答案用紙に名前を書いただけで単位がもらえたなどという逸話もあるほどで、教育システムがその流れを助長してきた面は否定できない。近年、不祥事が目立つ日本のスポーツ界。コンプライアンス(法令順守)の重要性がこれまで以上に求められており、その際にスポーツだけの世界に閉じこもる弊害が指摘されている。

重なる姿

そうした風潮に一石を投じるような動きがあった。今年3月、NCAAの日本版として「大学スポーツ協会(UNIVAS=ユニバス)」が発足した。ホームページをのぞくと、事業内容のトップ項目で「学びの環境を充実させます」と宣言し、次のように言及している。「学生の皆さんが競技力向上に邁進しながら、学生の本分たる学業にもしっかりと注力できるような環境を整えていきます。入学前からの教育推奨プログラムを導入したり、各競技の大会日程が一覧できるカレンダーの策定や、学業基準の導入可能性を検討するための実証事業などを行っていきます」。文言からは並々ならぬ意欲が伝わってくる。

ユニバスの実効性は未知数だが、令和改元と軌を一にして、これまでの状況を見直す時期に来ているのではないか。そういえば陸上の1㍄(約1600㍍)走で1954年5月、史上初めて4分の壁を打ち破った伝説的な選手、ロジャー・バニスター(英国)はオックスフォード大の医学部生で、その後は医学の世界に生きた。当時は人類が4分を切るのは無理と考えられていただけに、世界的な偉業との称賛を受けた。バニスターの後、4分を切るランナーが次々と出現したように、一人が壁を突破したら心理的にも後進に好影響を与えた。はなから不可能だと諦めず、可能性や夢を追う素晴らしさ―。福岡と朝比奈の姿が少し重なって見える。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事