トップ直々の激励
さかのぼること半年前。先代師匠(元大関朝潮)時代の墨田区本所から部屋を同区石原に移転したことに伴い、2月2日に部屋開きが開催された。その後、東京・帝国ホテルで催された祝賀会で、あいさつに立ったのは日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)。スピーチの終盤、次のように朝乃山について触れた。「朝乃山が復活することは、部屋にとっても相撲界にとっても待ち望まれることです。皆さん応援してあげてください」。同じ高砂一門に所属する協会トップによる公の場での激励。後援会関係者をはじめ大勢が詰めかけた祝宴は、この日随一の盛り上がりを見せた。
期待を浴び続けるのには訳がある。近大出身の朝乃山は2016年春場所で三段目100枚目格付け出しからのデビュー後、平幕時代の2019年夏場所で初優勝。2020年春場所後に大関に昇進した際には横綱候補に挙がって順風満帆だったものの、波乱が待っていた。新型コロナウイルス禍の最中だった2021年夏場所、協会の指針に反してキャバクラに通っていたことが発覚。しかも事情聴取に当初は「事実無根」と虚偽の報告をしたことも問題視され、6場所出場停止の重い処分を受けた。
心を入れ替え、2022年名古屋場所で三段目から復帰。番付を戻していたが、東前頭12枚目の昨年名古屋場所で左膝前十字靱帯断裂などの重傷を負い、再び長期休場を余儀なくされた。「中途半端に出て再断裂したら取り返しがつかない。落ちるところまで落ちてやるだけ」と悲壮な決意を明かしていた。元大関が2度も三段目に降下しながら必死に土俵を務める姿が、好角家の気持ちをつかんでいる。
4月には八角理事長と食事をともにする機会があった。理事長は「大関に戻るだけじゃ駄目だよ。もう一つ上に行くことが本当の恩返しになるんだ」とエールを込めて説いたという。188㌢、165㌔で、本格的な右四つが武器の朝乃山。復帰後、3場所連続で5勝以上を収めてきたが、膝には大きなサポーターを装着し、まだ本来の状態ではない。それだけに伸びしろは大きい。一門の大先輩による直々の励まし。壮大なカムバックを視野に入れると、再十両が一つの節目になったのは間違いない。
壮大に復活を遂げた寺
6月上旬、高砂親方(元関脇朝赤龍)や朝乃山、朝白龍らは東北地方を訪れた。福島県富岡町に所在し、1490年建立とされる龍台寺。念願だった建て直しが完了し、師弟らは同7日の入仏式、8日の落慶法要式典に参加した。同寺は東日本大震災で被災。本堂などが甚大な損傷を負ったほか、東京電力福島第1原発事故の影響で全町避難を強いられ、修復困難な状態に陥って解体された。それでも檀家をはじめ、再建を臨む声が相次いだ。2016年に着手され、壮大なスケールで復活を遂げた。
高砂親方が現役時代から龍台寺の住職と親交があった関係で、一連の行事に駆けつけた。数百人が参列した中、幕内格呼出しの利樹之丞は記念の甚句をつくって披露。「帰れぬ戻れぬ故郷へ 艱難辛苦の歳月も 忘れぬあれから十五年」「新たな参道 石畳 ここに復興 大本堂」などと美声を響かせ、祝意を表現した。また、力士ら部屋一行は約500人分のちゃんこを振る舞ったり、一緒に写真に納まったり、握手に応じたりと地域の人々や龍台寺関係者らと交流を深めた。
新築された寺社を目の当たりにすること自体、あまり巡って来ることではない。高砂親方は、次のように感謝した。「新しくできた本堂とか、立派ですごかった。式典に力士たちと行かせていただき、大変ありがたかった。そして地元の皆さんとも触れ合うこともでき、いろいろと、こちらの方がパワーをもらった気がする。3人とも上がって本当に最高」と、しみじみと喜びをかみしめた。
東日本大震災に際して相撲協会は、約3カ月後の2011年6月上旬には幕内上位力士らが被災地を巡回慰問。邪気を払い、大地を鎮める意味合いを持つ横綱土俵入りを白鵬が行ったり、記念撮影やちゃんこの炊き出しなどをしたりした。その後も十両以上で構成する力士会として募金を集め、各地に土俵を寄贈するなど角界は復興支援活動を続けてきた。加えて、部屋単位で被災地とつながりを保っていることも見逃せない。高砂親方のコメントにあるように、復興や再生のパワーを現地で感じ取ったことが本場所での見えない力に変わったとしたら、これも一つの縁である。
希望の光と発憤材料
3人同時昇進によって、うれしい誤算もあった。幕内朝紅龍と合わせ、高砂部屋の関取は4人となった。3階建ての新しい部屋には個室が三つある。力士にとって十両に上がることは一人前の証。相撲協会から月給を支払われるようになり、取組に大銀杏姿で臨み、付け人を従えることになる。大部屋で過ごした生活面でも、個室を与えられるのが一般的だ。高砂親方は関取の人数に対して一つ少ない個室についてこう答えた。「ちょっと考えている。まあ、何とかします」。困惑気味ながら笑顔だった。
昇進という点では、秋場所の幕内昇降は通常とは別の意味合いが付随する。10月のロンドン公演に参加できるのが、秋場所の幕内力士だからだ。十両昇進と異なり、こちらは9月1日の番付発表まで公にされないが、4~6人の入れ替わりが見込まれる。〝番付は生き物〟と称されるように、単純な勝敗の数だけでは予想し切れない要素がある。勝負を見守り、内容も吟味する相撲協会審判部の判断に関心が集まる。
同時昇進で部屋でのさらなる切磋琢磨が予想される。朝白龍が「横綱を目指して頑張る」と意気込めば、朝紅龍の弟の朝翠龍は「三役に行って、それ以上に行きたい」。角界屈指の伝統を誇る高砂部屋に新たな息吹が芽生えた中で、31歳の朝乃山はカムバックの道を歩むことになる。展望について、八角理事長は「照ノ富士は序二段まで落ちた後で横綱に上がったからね」と指摘。両膝負傷などで大関から序二段まで降下しながら諦めず、29歳で最高位に就いた第73代横綱の前例は、希望の光だろう。
そんな元大関がよく言及し、発憤材料の一つにしているのが大の里の存在だ。同じ北陸出身で右の相四つ。稽古で手合わせした経験があり、自身がけがに泣いている間に横綱へ駆け上がった。膝の回復とともに番付を戻して顔を合わせれば、手に汗握る四つ相撲が楽しみだ。長期休場中、朝乃山はこう語っていた。「稽古でやったときは強かった。本土俵で闘ってみたい。でも焦らず、できることをやっていくだけです」。龍台寺は東日本大震災という未曾有の災害に遭いながら人々の思いをくみ、一つ一つの工程を経てよみがえった。朝乃山の着実な復活も、多くのファンが待っている。