その中で最も衝撃的だったのは中村憲剛(川崎フロンターレ)の引退発表だろう。10月31日に40歳の誕生日を迎え、プロサッカー選手としてはベテランの域に達していたが、昨年11月2日に左膝前十字靭帯損傷、左膝外側半月板損傷の重傷を負い、約10カ月のリハビリを経て8月29日の清水エスパルス戦で復帰し、復帰戦でゴールまで奪うドラマチックな復活劇を果たしていたからだ。そこからわずか2カ月後に引退発表するとは誰も予想していなかった。

一方、中村の一学年上の遠藤保仁は出場機会を求めて10月にガンバ大阪からジュビロ磐田へ期限付き移籍。2021年も磐田に残留することが確実視されている。また、Jリーグには遠藤を超える絶対的レジェンド三浦知良(横浜FC)がいる。9月23日の川崎フロンターレ戦では先発出場。さらに12月19日の最終節でJ1最年長出場記録を53歳9カ月23日まで伸ばしている。もはや年齢によって引退のタイミングを決める時代ではない。

プロ野球の世界でも藤川球児(阪神タイガース)、吉見一起(中日ドラゴンズ)、石原慶幸(広島東洋カープ)、五十嵐亮太(東京ヤクルトスワローズ)といった選手たちが引退を発表した。これに対し、石原と五十嵐よりも二学年上の福留孝介(阪神タイガース)と同学年の能見篤史(阪神タイガース)は現役続行を希望。福留は古巣の中日ドラゴンズ、能見はオリックス・バファローズの選手兼一軍投手コーチとして入団が決まった。

プロスポーツ選手が引退を決めるのは結局、本人の意思である。ファンから見れば「まだやれるのに」と思っても、本人がやり切ったのであれば引退を決断するし、チームから戦力外通告を受けても、本人が「まだやれる」と思えば現役続行の道を模索することになる。

プロゴルファーの引退事情

プロゴルファーの場合はチームから戦力外通告を受けることがないので、他のスポーツに比べて引退を決めるタイミングは難しい。賞金シードから陥落したり、QT(クオリファイングトーナメント)で翌年の出場権を得られなかったりしたときが節目になるかもしれないが、QTに出場するということは翌年も試合に出たいのだから、QTに出場せずに引退するというのが自然な流れになるだろう。2019年に引退を発表した佐伯三貴、大江香織、一ノ瀬優希はいずれも賞金シードから陥落し、QTに出場せずに引退の道を選んだ。

プロゴルファーの引退で最も印象的だったのは宮里藍だろう。シーズン途中の2017年5月に引退会見を行い、唐突な発表にも思えたが、本人は前年夏ごろから2017年シーズン限りでの現役引退を決意していたという。国内最終戦を所属先主催の「サントリーレディスオープン」、米女子ツアー最終戦を初優勝の地である「エビアン選手権」にするため、あのタイミングでの発表になった。引退会見が31歳、引退試合が32歳という若さだった。

本人が引退の理由として語ったのは「モチベーションの維持が難しくなった」こと。プロスポーツ選手は華やかな職業に見えるかもしれないが、その裏ではすさまじい努力を積み重ねている。努力が報われればモチベーションが高まるが、努力が報われないとモチベーションの維持が難しくなる。宮里の場合は海外メジャー制覇を目標に掲げていたが、プロゴルファーとして最も調子のいい時期にメジャーを勝てなかったことで、次はどうしたらいいんだろうと悩んでしまったという。

プロゴルファーの引退でもう一人、印象に残っているのが古閑美保。2011年9月に年内での引退を発表し、11月の「大王製紙エリエールレディス」が最終戦となった。本人が引退の理由として語ったのは、2009年5月に痛めた左手首の状態が回復せず、身体的、精神的な限界を感じたから。古閑は2011年も賞金ランキング47位でシード権を獲得したが、権利を返上して引退した。こちらも29歳という若さでの決断だった。

ただ、宮里や古閑は知名度があり、実力が発揮できないからというわけではなくモチベーションが要因で、引退後も著名人としてのセカンドキャリアがそれなりに見込めたからこそ、引退に踏み切れたという見方もある。知名度のない選手は引退後の選択肢があまりないので、決断が難しいかもしれない。

一方、男子プロは40代になっても50代になっても若手と台頭に戦って賞金を獲得できる選手もいて、キャリアを長く続けることができる。藤田寛之は51歳になった今シーズンも賞金ランキング25位につけているし、52歳の谷口徹は2019年に賞金シードは失ったが、50歳で勝利した2018年「日本プロゴルフ選手権」の5年シードを持っている。男子ツアーの最年長優勝記録は尾崎将司の55歳241日(2002年「全日空オープン」)なので、記録更新を目指して戦い続けてほしい。

また、男子プロは50歳以上を対象にしたシニアツアーが充実しているので、レギュラーツアーの出場権を失っても引退という言葉は使わないケースが多い。レギュラーツアーで2勝以上している選手や、公式戦で1勝している選手はシニアツアーの1年間のシード権が認められているので、有資格者が50歳よりも前に引退を発表することはまずない。

丸山茂樹は左手親指のケガで2016年9月の「ANAオープン」以来、レギュラーツアーには出場しておらず、解説者などメディアの仕事が中心になっていたが、50歳になった2019年9月の「コマツオープン」でシニアデビューを果たした。

しかし、シニアツアーの有資格者の一人である合田洋はシード権を行使していない。合田は29歳のときに1994年「日本プロゴルフ選手権」で公式戦勝利を挙げ、10年シードを獲得したが、その後は賞金がなかなか稼げず苦しい思いをした経験がある。そのため43歳を迎える年にツアープロを引退し、レッスンプロに転身している。

プロ野球選手だったら複数年契約はありがたい話だが、プロゴルファーの複数年シードは年俸がもらえるわけではないので、逆に負担になるケースもある。それでも自分が好きなスポーツをプレーすることで一時期、生計を立てることができたというのは幸せな時間なのだろう。


保井友秀

1974年生まれ。出版社勤務、ゴルフ雑誌編集部勤務を経て、2015年にフリーランスとして活動を始める。2015年から2018年までPGAツアー日本語版サイトの原稿執筆および編集を担当。その他、ゴルフ雑誌や経済誌などで連載記事を執筆している。