これまでのすべてを切り捨ててでも勝てる仕様に

プロの競輪選手になってから数々の転機はありましたが、大きくは3回の意識改革がありました。その3回目の話は2018年の出来事です。このときの意識改革で、G1でも勝てるという自信を持てるようになりました。
それは2018年に広島記念で優勝するときよりも、ちょっとだけさかのぼります。同年の防府記念に出場したのですが、その決勝で清水裕友選手に離されて3着となり負けてしまいました。そのレースを分析したときに、自分自身の強味と弱味の両面を確認することができたのです。そして、固執やこだわり、固定概念にとらわれすぎていたと思わされました。常にレース後の分析は行っているのですが、大きな意識改革のときは負けたときのショックが大きいときですね。精神的な衝撃が大きくなればなるほど、「このままではダメだから、何かを変えなければならない」と思う振り幅も大きくなるような気がしています。
そのときは、1着だった清水裕友選手を抜くためには、同等以上の脚力がなければならないという結論に達しました。そして、清水裕友選手を抜くことができれば、G1を取れると確信できたのです。それからはセッティングやフォームを見直しました。それまでは、自分の乗り方やセッティングにこだわりがあったのですが、勝つために同等の脚力を身につけるためには、これまでのすべてを切り捨ててでも、勝てる仕様に自分を合わせる必要がありました。他人は変えられませんが、自分自身は変えることができますからね。この頃には、本気でそう思えるようになっており、原因を自分自身に見つけて常に変えられるように努めていました。

逃げ道をなくすことは近道につながる

具体的な施策のひとつとして、前フォークを変更しました。エアロフォークとか楕円フォークとかいろいろな種類があり、それまでは丸フォークを使用していました。それを勝つためにはMAXフォークにしなければならないと思い、変える決心をしたのです。その他にも変更したことはあるのですが、それからはその変更点に自分を合わせるように努めたのが、最も大きな変更点と言えるでしょう。
この頃には多少の結果が出てきていましたが、ただただG1に参加しているだけのような選手でG1を勝てるような選手ではありませんでした。そんなときに見出した勝てる方法だったので、「もう、やるしかない」という一心で取り組みましたね。変化させるには多少の怖さもつきまといますが、2017年の広島記念以降は自分自身が鋭くやってきているという自負がありました。だから、この変化も手段が変わるだけで本質までは変わらないと思い、大丈夫だという自信がわいてきたのです。その後は、思い描いたとおりG1でも勝てるようになっていきました。
これは持論なのですが、何かを変化させるときに逃げ道をつくってはいけないと思っています。「ダメだった場合は元に戻せばいい」という選択肢をつくってからチャレンジすると、変化への恐れは軽減するかもしれません。ですが、選択肢を残しておくと、必ずと言っていいほど元に戻してしまいます。それでは本当に得たいものを得られません。それに選択肢が複数あると、常に複数を比較しながら考えてしまいます。逃げ道をなくしてしまえば、もう突き進むしかないんです。そうすると、選択肢を比較して悩むこともなくなり、一気に突き進めます。それを踏まえると、逃げ道をなくすことは近道につながると言えるかもしれませんね。

松浦悠士(まつうら・ゆうじ)
1990年11月21日生まれ(30歳)、広島県出身。98期生として日本競輪学校(現:日本競輪選手養成所)を卒業し、2010年7月に熊本競輪場でデビュー。G1タイトルは2019年11月小倉競輪祭、2020年8月オールスター競輪、そして今年5月には日本選手権競輪を制して「ダービー王」の称号を手にしている。S級S班は今年2年目で、現在の獲得賞金ランキングでは首位を独走。株式会社チャリ・ロトとは 2017年7月よりスポンサー契約を結ぶ。

(協力)チャリロト パーフェクタナビ編集部
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VictorySportsNews編集部