エムボマ氏にとってPSG入団は「誇らしいことだった」

2歳の頃にカメルーンからフランスに移住し、パリ郊外で育ったエムボマ氏は、PSGのユースチーム時代である1990年から1997年まで在籍していた(途中、3シーズンは他2チームにレンタル移籍)。
現在の10〜20代のサッカーファンは、Jリーグの節目イベントに出てくる映像でエムボマ氏を思い出すかもしれない。1997年4月12日のベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)戦で見せたアクロバティックな動きからのボレーシュートは、今もなお、定期的にSNSやスポーツニュース等で目にする。それくらいインパクトが大きかった。

エムボマ氏にとってPSGとは、地元パリの憧れのチームだった。
「パリの郊外で育ったということもあって、この地域で最高のクラブであるPSGに入団できるというのは誇らしいことでした」

昨年も日本ツアーに訪れたPSGは、既に退団を発表したアルゼンチン代表のリオネル・メッシや、ブラジル代表ネイマール、そしてフランス代表のキリアン・エムバペと、世界中の人々が憧れる選手たちが多数所属しているが、当時のPSGも大スターたちがプレーしていた。

「私がPSGにいた頃は、ジョージ・ウェア、ダビド・ジノラ、ライーといったスター選手たちがいました」

ウェアは現在のリベリアの大統領で、当時世界最高の選手としてヨーロッパで名を轟かせていた。また、ジノラはフランス代表、ライーはブラジル代表と、それぞれ攻撃の名手として有名だった。過去も現在も、PSGには世界トップクラスの選手たちが集まっている。なぜPSGはスター選手たちが常に所属しているのか。エムボマ氏はそのサイクルについてこう説明してくれた。

「スターがいるからビッグチームなのではなく、良いチームだからこそ、そこにスターが集まる。素晴らしいチームに素晴らしい選手が来るのです。PSGというクラブは(現在)非常に成長していて、今まさに最高のポジションに居ると思う。この先も長く続いていって欲しいと思っているし、世界最大、世界でトップのチームになってほしい。この良い流れが続いてほしい」

大阪での思い出はうどん

ガンバ大阪のお膝元である大阪府吹田市出身の筆者は、リアルタイムでエムボマ氏を見ていたが、当時魅せてくれたプレーの数々はとにかくセンセーショナルだった。当時のJリーグで、現役バリバリのアフリカの代表選手がプレーするのはまだ少なく、誰もがエムボマ氏の身体能力やプレーに度肝を抜かれた。それまでのJリーグでは見たことがなかったような想像を超えたプレーの数々を見せつけた。日本人の感覚では遠い距離であっても、迷いなくシュートを打ってゴールを決めたり、ちょっとしたボディフェイントだけで相手DFを翻弄したり、柔らかいループシュートを決めたり、DFが間合いを取って守っているにも関わらず、お構いなしに一瞬の加速でぶっちぎってゴールしたりと、ガンバ大阪時代のエムボマ氏はやりたい放題だった。”浪速の黒豹"というベタなネーミングと合わせて、ファン、サポーターたちを虜にしてくれたガンバ大阪時代だった。

実は、筆者は偶然にもエムボマ氏が来日する1年前の1996年に、エムボマ氏のプレーをテレビで見ていた。その当時、日本のテレビ局では各国のサッカーの試合が放送されており、地上波で気軽に海外のプレーを見られる時代だった。そして、当時のPSGのメインスポンサーであった自動車メーカー「OPEL」による親善大会「OPEL MASTER CUP」が、なぜかNHK衛星第1テレビ(現NHKBS-1)で放送されていた。同じくOPELをスポンサーにしていたイタリアのACミラン、ドイツのバイエルン・ミュンヘンとのプレーシーズン大会を、筆者は偶然視聴し、その大会でのエムボマ氏のゴールを目撃した。ただ、ゴールシーン以上に、ゴール時に映った名前「M'boma」が特徴的で(当時のNHKのカタカナ表記は確かエムボマではなく、ムボーマかンボマだったはず)、ガンバ大阪にエムボマ氏が入団した時には「あの時の選手やん!?」と非常に驚かされた。

せっかく本人を前にしたので「実はガンバ大阪入団前のPSG時代のあなたのプレーを見たことあります」と伝えると、エムボマ氏は笑顔で「ACミラン戦でのゴールのことだね」と話し、フランスから遙か彼方の異国・日本に移籍した理由を話してくれた。

「ガンバ大阪に来たのは、もともと自分がこう考えてこうしようと思っていたことじゃなくて、ガンバ大阪から自分にオファーしてくれたことで実現した。その時期(PSGでの1996年・1997年シーズン)は自分にもっとプレーするチャンスを与えてほしいと考えていた時だった。それが実現していなかったところに、ガンバから声をかけてもらった。より自分の能力を出せる、見てもらえる機会が得られるということで、日本に来た」

大阪での生活の思い出を聞いてみると「まず一番は休憩をすることでした。休むことが一番だったし、その時期は子供が小さかった時期で、特に娘は大阪に来て4ヶ月後に生まれたこともあって、子供と家で過ごすことがすごく多かったですね」と振り返ってくれた。

会見に登壇し、2年連続となるジャパンツアーへの意気込みを語るエムボマ氏

ただ、それでも大阪での生活を満喫していたという。

「例えば難波に行ってお買い物に行ったりしましたよ。記者会見で私は『日本食が好き』と言いましたが、特にうどんが好きでして。初めて大阪に来てうどんを食べた時にすごく気に入って、しょっちゅう『うどんが好き』って言っていたら、ファンの人がうどんを送ってくれるようになりました(笑)」

ガンバ大阪で大ブレイクしたエムボマ氏は、その後1998年のワールドカップフランス大会のカメルーン代表にも選ばれて、大会でも活躍した。そして、大会後にイタリア・セリエAのカリアリに移籍した。2000年のシドニーオリンピックでは、オーバーエイジ枠で代表に選ばれ、カメルーン代表は金メダルを獲得している。また、2002年のワールドカップ日韓大会にも代表の一員として来日した。そして2004年に現役を引退した。

今回のジャパンツアーで大阪滞在が長いのはエムボマ氏の影響?

今回のPSGジャパンツアーにおいて、PSGは3試合中2試合を大阪で行う。昨年と比べて、大阪滞在の日数が長くなった。これはもしや、大阪とゆかりのあるエムボマ氏の影響かと妄想したが、「私にはそんな権限はないですよ」(エムボマ氏)と一笑に付された。

「PSGはサッカーをするために来日するので、観光しに来てるわけではありません。さすがに選手たちに観光しましょうとは言いませんけど、私自身はサッカーしに来ているわけではないので、選手たちの分も私は色んなところに行って、写真を撮ってみんなに見せたいですね(笑)」

日本で引退後、フランスに帰国し、その後はドバイに移住した。

「引退した直後の2005年から2008年までの短い期間だけ、エージェントをしていましたが、現在はもうやっていません。今は、若い世代のアフリカ出身のサッカー選手をドバイに連れて行き、育成の手助けをしています。近い将来クラブでプレーできるように、アフリカのサッカー選手が成長できるための手伝いをしています」

残念ながら、ドバイでは日本料理店がまだ少ないようで、「うどんを食べる機会は少ない」という。ただ、エムボマ氏もPSGジャパンツアーとともに来日予定。久々の大阪の街と日本食を楽しむに違いない。もちろん、PSGの試合も。


大塚淳史

スポーツ報知、中国・上海移住後、日本人向け無料誌、中国メディア日本語版、繊維業界紙上海支局に勤務し、帰国後、日刊工業新聞を経てフリーに。スポーツ、芸能、経済など取材。