ビキニからはじまったプロレス - いつだって163センチ50キロ、高橋里枝のハチャメチャ格闘技人生〔2/5〕

勝てば、2000円

 練習生の月給は、5万円。寮費はなく、携帯代とおかず代ぐらいだったので、貧乏という意識はなかったです。あと、遠征先では食事代も払ってもらえたし、練習マッチもあったので、意外と貯まりましたね。

 練習マッチは、前座の試合みたいなものです。最初の5分間はお互いに(抑え込んで)決めちゃダメで、動きを見せる。5分経ったら、身体が小さいほうの選手が技をひとつ掛けて、本気で抑え込む。もし解かれちゃったら、今度は相手の技をひとつ受けて跳ね返す。勝ったら、2000円。負けても、1000円はもらえます。女子プロのマニアは、この練習マッチで、応援するレスラーを物色するんですね。

 女子プロのマニアの方々には“過激派”も少なくなかったので、遠征時の洗濯はとくに大変でした。以前、洗濯機からコスチューム(水着)が盗まれたことがあったため、遠征先では、洗濯がすべて終わるまで絶対に洗濯機から離れてはならないというルールがありました。

 50枚近い雑巾とタオル、コスチュームを数回に分けて、洗濯と乾燥。その間は寝られませんし、時間が押したときには、ドライヤーでコスチュームを乾かすことになります。あっという間に明け方です。

 遠征時の手間といえば、リング設営も大変でした。オープン戦(屋外での試合)の場合、スーパーの駐車場といった舗装された場所なら問題ありませんが、空き地の場合は、草むしりや石ころ拾いが欠かせません。そういったものが残っていると、場外乱闘で、不測の事態が起こりかねないからです。

 あと、オープン戦にはなぜか、パンチパーマの怖い人たちが多かったなあ。場外乱闘になると、お客さんには下がってもらわなければならないのですが、「おさがり下さい!」と叫んでも、強面の人たちはなかなか言うことを聞いてくれません。無理やり下がらせていましたけど、いま考えると恐ろしいです。けど、当時は先輩レスラーのほうが怖いですから。

 そんな感じで半年が経ち、練習生の6人でプロテストを受けました。しかし、私も含めて体重の軽い3人は落ちて、デブの3人だけ合格。「もっと身体をデカくしろ」と言われたのですが、練習で強くなっても巧くなっても、大きくはならないんですよ。163センチ50キロで。

 結局、事務局も観念したのか。次のプロテストで合格をもらいました。

豊田さん

 プロテストに合格すれば、ついに練習マッチではなく本物の試合に出られる……わけですが、まずは試合よりも大変な壁が立ちはだかります。先輩レスラーの付き人は、練習生ではなく、プロになった後輩が担当するからです。

 誰がどの先輩の付き人になるのかは、先輩間のドラフトで決まります。あの豊田真奈美さんが、私を指名してくれたと聞いたとき、心の中でガッツポーズしました。大学生のとき、一番最初に名前を覚えたレスラーでしたし、豊田さんはなにより優しい。当時、先輩レスラーの中には、その人の付き人になった者は全員辞める、と言われている先輩もいたので、やったやったと。

 付き人が最初に覚えなければならないのは、控室のグッズ・ディスプレイです。たとえば豊田さんなら、上着を置く場所はここ、ズボンはそこ、その上に決まった畳み方をしたコスチュームをのせて、下着はあそこ。延長コードをつけたドライヤーはこの角度で置いて、化粧道具はここに配置する、と。先輩によって物の種類や置き方が違うので、それぞれ完璧に覚えないと始まりません。

 時代が時代なので、いま話題の防衛大学校みたいなルールは沢山ありましたね。先輩の視界に入っている場面では、絶対に歩いてはいけない。遠征でバスに乗るときには、先輩が「いいよ」と言うまで、座ってはいけないとか。私が入る前には、九州から東京に戻るまで、バスの中でずっと立ちっぱなしだった付き人もいたそうです。

 私の頃は、それほどではなかったですが、たしかに辞める人は多かったです。とりあえず、私は大丈夫でしたが、入門から約1年後に、別の理由でいられなくなってしまいました。

ダリの絵みたいに

 ある日、練習中に技を受けたら、頭の中でパーンと破裂音が響きました。あっ、ヤバいと思ったんですけど、でも、その日は練習を死ぬ気でやって。次の日、自分で軽く受け身を打ったら、そのまま、仰向けでまったく動けなくなって。どうしようと。

 そのとき、たまたま怖い先輩レスラーがお休みで、優しい先輩だけだったので、仰向けのまま「すみません。ちょっと動けないかもしれないです」って、声に出して。マットの端のほうに動かしてもらって休んだんですけど、ぜんぜんやっぱり身体が動かない。

 それで、コーチから「病院に行くぞ」と。「保険証取ってきます」って立ち上がったら、視界がぜんぶグニャグニャって、ダリの絵みたいになって。両手を床につきながら階段を上がって、自分の部屋に行って、グニャグニャのバッグらしきものを触って、なんとなくの感触で財布だな、カードだなと確認して。 

 病院に連れていってもらったら、急性硬膜下血腫。1回でも頭をやると、女子プロってもうダメなんですよ。まだデビューもしてないのに「引退してくれ」って言われて。

第4回につづく

高橋里枝

1977年、愛媛県生まれ。駒澤大学在学中に全日本女子プロレスのオーディションに合格。大学卒業後に入寮するも、怪我のためプロデビュー前に引退。その後、KAIENTAI DOJOに入門し、スマックガールでプロデビューするも、ふたたび大怪我を負って退団。以降、フリーの格闘家として、スマックガールに覆面で参戦。10戦以上をおこない2006年に引退。ボクシングジム・JBスポーツでマネジャーを務めながら2012年にOKCのカリキュラムを修了。ケトルベルスポーツ普及のためNPO法人日本ケトルベル連盟を設立。