勝利者賞金2000円の果てに見出したダリの絵 - いつだって163センチ50キロ、高橋里枝のハチャメチャ格闘技人生〔3/5〕

プロレスラーからMMAへ

 そんなこんなで、泣きながら親元に帰りました。24歳です。せっかく格闘技で食えるかもしれなかったのに、急性硬膜下血腫の後は、ペンも持てなくなっていました。でも、地道にリハビリに励んだら、だんだん元気になって、そのうちに走ったりすることもできるようになって。だから、またやるぞ。
 
 でも、全女以外の団体を調べても、頭をやっちゃうと入れてもらえないんです。そんなときに、TAKAみちのくさんのKAIENTAI DOJOが日本でもジムを開くことになって、話に行ったら、TAKAさんが入れてくれたんです。このときはまだ、総合格闘家は目指していなくて、あくまでプロレスラーとしてのデビューが目標でした。

 ちょうど、その頃にスマックガールという女子格闘技のイベントが始まりましたTAKAさんが「プロレスラーを出したい」と言い始めて「お前、戦えるだろ」って。私、プロレスラーとしてはデビュー前なんですけどね。KAIENTAI DOJOで半年ぐらい練習しただけだし。

 でも「大丈夫、大丈夫、ちょっと行ってこい」みたいな感じで、無理やり出場させられて、それが2002年ですね。たまたま、相手の選手に恵まれて、そこでは勝ったんですけど。ファイトマネーは、たしか1万円とか。それじゃあ食えないので、キャバクラでバイトして。けっこう稼ぎましたけど、KAIENTAI DOJOも寮生活だったので、すぐにバレて、「キャバクラはやめろ」と怒られました。

コンソメちゃんこ

 KAIENTAI DOJOの寮は、楽しかったです。当番制で、三食ちゃんこ。味噌、塩、醤油味のローテーションだったので、私がコンソメ味を作ったりすると、皆に喜ばれて。でも半年もしないうちに、練習で頭を打って、黄色い鼻血が止まらなくなりました。で、また「やめろ」です。

 レフェリーか売店をやれって言われたんですけど、試合に出たかったので、フリーの格闘家としてパラエストラ松戸で練習させてもらうことにしました。いわゆるMMA系統の寝技をしっかり習ったのは、このときが初めてです。

 全女も1年でダメだし、KAIENTAI DOJOもダメなので、なんか負のイメージ強いなあって悩んで、スマックガールの人に相談したら「じゃあ、覆面レスラーやってよ」となって。

 それからは、覆面でけっこう試合しましたね。弱かったですけどね。名前は、15(いちご)です。べつに苺好きじゃないんですけどね。スマックガールの代表の人が付けました。

 結局、総合でも大した戦績は残せなかったです。でも、空手もプロレスも中途半端だったので、とりあえずやり切りたいと思って、15時代には体重差とかも気にせず、来た試合を受けていました。

 そうしたら、たまたま、ちょっと強い子に勝つことができたんです。その試合を見ていた山田武士さん(ボクシングジム・JBスポーツのチーフトレーナーでありながら、総合格闘家の川尻達也なども指導した)から、合同練習会に誘っていただきました。後のチーム黒船です。そこで練習を積むうちに、ようやく、ちょっとは強くなってきたかな。

あなたを支えます

 スマックガールでの最初の試合が2002年、25歳のときですね。それから約4年間、コンスタントに試合をして、2006年に引退しました。直接の原因は、網膜裂孔(網膜剥離の前段階)でしたが、すっきり決断できたのには私生活の影響もありました。

 当時、格闘家と同棲していて、彼もまた大きな怪我に苦しんでいたんです。その看病だったり、病院の付き添いだったりで、自分の練習よりも彼のケアに気持ちが傾いている自覚はあったので、それじゃあ、格闘技に失礼だな、と。

 そう感じているタイミングでの網膜裂孔で、じゃあ、私はキャバクラ案内のバニーちゃんのアルバイトで暮らしを支えるから、あなたはチャンピオンになってよ。おう、分かった。そんな感じですね。バニーは、時給2800円で、キャバ嬢と違ってお酒も飲まなくて済むし。一応フォローしておくと、彼はかなり強いファイターでした。生活費の面では、ただのヒモですけどね。

 それで、じゃあ、私は引退します。あなたを支えます。
 分かった。おれ、チャンピオンになるわ。
 うん、はい。頑張ろう。
 そしたら、妊娠しました。
 じゃあ、産むね。というか、産む前に入籍だよね。
 うん、分かった。でも、おばあちゃんが来年のほうが運勢がいいって言ってるから、入籍は来年にしよう。
 うん、うん? 

 よく分かんないけど、じゃあ、そうしよっか……もうお分かりですよね。奴(ここからは、奴呼ばわりさせて下さい)は、その間も合コン、飲み会。どこかで彼女ができたみたいで、結局、結婚せずに男の子を産みました。

第5回につづく

高橋里枝

1977年、愛媛県生まれ。駒澤大学在学中に全日本女子プロレスのオーディションに合格。大学卒業後に入寮するも、怪我のためプロデビュー前に引退。その後、KAIENTAI DOJOに入門し、スマックガールでプロデビューするも、ふたたび大怪我を負って退団。以降、フリーの格闘家として、スマックガールに覆面で参戦。10戦以上をおこない2006年に引退。ボクシングジム・JBスポーツでマネジャーを務めながら2012年にOKCのカリキュラムを修了。ケトルベルスポーツ普及のためNPO法人日本ケトルベル連盟を設立。