ダブルスの悲哀

 バレーボールに熱中していた小学生の頃から、成長期を迎える中学時代のソフトテニス期を除けば、私はずっと163センチ50キロ(正確には、48~50キロ圏内を推移)の体格のままです。46歳になった今でも変わりません。

 といっても「まま」というのは、身長と体重の数値が変わっていないことを表しているだけで、身体の構造が「ずっと同じ」というわけでもありません。その時々に熱中したスポーツや格闘技の種類によって、身体のそれぞれの部位にどれだけの筋量やパワーが求められるのかは決まります。大きな筋肉をより大きくするのか、普通の人なら意識して動かすのも難しい小さなインナーマッスルを自由に動かせるよう鍛えるのか。

 私はもともと、ウェイトを使った筋力トレーニングには縁がありませんでした。通っていた九州・大分の中学校はソフトテニスの強豪校でしたが、監督の考えは「強度の高い自重トレーニング」を続けることで必要な筋量が自然に備わる、というものでした。

 中学3年のときにはキャプテンになったのですが、父の仕事の関係で、静岡の学校へ転勤することになり……当時、中学生の大会はダブルスしかなかったため、全国大会への出場はかないませんでした。

最強のお嬢さま学校

 高校にはソフトテニス部がなかったので、硬式に鞍替えしました。ボールの跳ね方や速度だけじゃなくて、バックハンドの打ち方もまったく違い、戸惑ったことを覚えています。ソフトテニスは、バックハンドでもラケットの同じ面を使いますが、硬式はラケットの両面を使うので、別の競技といってもいいくらいです。

 硬式テニスを始めてなにより驚いたのは、お嬢さま学校の子たちがめちゃくちゃ強かったことです。私たちは週6、週7で必死に練習しているのに、いざ練習試合になると、涼しげな顔のお嬢さまたちにまったく歯が立たない。

 彼女たちは幼い頃から硬式テニスをクラブでやっていて、“高校デビュー”の私たち庶民とはキャリアが違う。それなのに、お嬢さまなので「テスト期間中だから」と言って、大会を平気で欠場するんです。ちなみに、もっと強い“ガチ勢”は(学校外の)クラブでプレーしているので、最初から部活動の世界にはいません。そういう世界があるということを知らなかったので、思春期にけっこう衝撃を受けました。

アンディ・フグに憧れて

 私はといえば県大会に出たり、出られなかったりを行き来する成績で高校を卒業し、駒澤大学に進学しました。上京して、初めてのひとり暮らしです。最初は、大学生らしくテニスサークルに入ってものの、真面目に練習する人がほとんどいなくて、こりゃ、スポーツじゃなく、遊びだなと。

 私、ファッション自体はギャルだったんです。あの頃は、安室ちゃん全盛期ですからね。日サロとかファンデーションとかじゃなくて、テニスの練習で焼けた本物の黒ギャルでいけるはずが、日焼けしないとすぐ戻る体質なので、結局、白ギャル。

 でもスポーツにはいつも本気だったので、サークルで適当に身体動かすのは面白くないなと思って、フルコン空手の正道会館に入門しました。当時はK-1が流行っていて、アンディ・フグさんとか恰好良かったでしょ。

 ちょうど駒澤大学の学生に正道会館の黒帯の人がいて、その先輩は高田馬場の本部道場で練習していたのですが、「せっかく大学いるなら、支部を作れ」と言われたそうで、私にしてみれば抜群のタイミングでした。だから、私は最初から大学支部です。

 体育会のクラブではなくサークルなので、練習場所は空き教室。冒頭で書いたように、私の体格はずっと163センチ、50キロです。この頃の正道会館の女子の試合はぜんぶ無差別級で、大変でした。80キロとかある相手にボコボコにされて、なんかこれ、ちょっとスポーツとしてどうなのかなとも思ったんですけど。

 すぐ、まあでも、しょうがないか。それまでコンタクト・スポーツはやってこなかったので、直接的な痛みの感覚がリアルでいいなと感じるようになりました。

やっぱり、腿肉

 フルコン空手仕様に身体を大きくしたかったけど、プロテインの味は嫌いでした。今でも嫌いだし、そもそも肉より野菜のほうが好きです。でも、居酒屋でバイトしているだけの、学生時代のひとり暮らしの身分でフレッシュな野菜は難しいですよね。サラダを作るとして、トマト買って、きゅうり買って、レタス買って、ってしていたら、あれ? レジで見たら死ぬほど高いじゃんって。

 タンパク質をしっかり摂って、お腹も満たしてとなると、学生ならやっぱり鶏肉。でも、プロテインと同じで、私、ささみの味とか感触も苦手で。ささみを避けたら、次に安いのは胸肉ですけど、胸もパサパサじゃないですか。

 だから、やっぱり鶏腿(もも)ですよ。空手のマッチョな先輩から「市販の焼肉のタレは悪だ!」みたいなことを言われたので––––理由は不明ですけど––––それを信じて、いつも腿肉には塩胡椒オンリー。あと、もやしでかさ増しして。

第2回につづく

高橋里枝

1977年、愛媛県生まれ。駒澤大学在学中に全日本女子プロレスのオーディションに合格。大学卒業後に入寮するも、怪我のためプロデビュー前に引退。その後、KAIENTAI DOJOに入門し、スマックガールでプロデビューするも、ふたたび大怪我を負って退団。以降、フリーの格闘家として、スマックガールに覆面で参戦。10戦以上をおこない2006年に引退。ボクシングジム・JBスポーツでマネジャーを務めながら2012年にOKCのカリキュラムを修了。ケトルベルスポーツ普及のためNPO法人日本ケトルベル連盟を設立。