5キロ+障害物20個のSPRINT(スプリント)、10キロ+障害物25個のSUPER(スーパー)、21キロ+障害物30個のBEAST(ビースト)という3タイプのレースがある。

 日本では年間3~4レースしか開催されていないが、世界では40カ国で170レース以上が開催されている世界最大級の障害物レースだ。

 このレースに2020年からチャレンジし、わずか3年でアジアナンバーワンの座を狙う選手がいる。陣在ほのか(24歳)は2020年12月に静岡県で開催されたスパルタンレースに初出場し、魅力を感じて本格的に始めた。

 それから2カ月後、2021年2月に沖縄県で開催されたレース(SUPER)で2位に入ると、2021年7月には横須賀(神奈川県)で初優勝(SPRINT)。競技人口がまだ少ないということもあるが、日本国内のレースでは必ず1位か2位に入り続けている。

 2021年12月にはアブダビ(アラブ首長国連邦)で開催された世界選手権にBEASTの日本代表として出場。そこで世界との大きな差を感じ、2022年からはアジア圏のレースにも広く目を向けるようになった。

 そして2022年11月にプーケット(タイ)で開催されたアジアパシフィック選手権のSUPERで2位に入り、今年はもう1つ上の順位を目指して鍛錬を積んでいる。

「たぶん昨年とはコースが変わるんですけど、場所は一緒なので、だいたい勝手は分かります。コースは泥だらけで走りづらい感じなんですけど、アップダウンはそんなにないので頑張りたいと思います」

 そもそも陣在は、なぜ泥だらけの中を走り、過酷な障害物を乗り越えるスパルタンレースの世界に飛び込んだのだろうか。

「私は中学から大学まで陸上競技の800メートルをやっていました。でも、大学の4年目に新型コロナウイルスが流行し、レースがすべてなくなって引退レースもできなかったんです」

「何だかやり切れない気持ちがあって『何かないかな?』と探していたときに、知り合いから『スパルタンレースをやってみないか』と誘われ、練習に参加するようになりました」

「スパルタンレースには賞金が出るエリート、年齢別のランキングが出るエイジ、誰でも参加できるオープンという3つのカテゴリーがあります。私が始めたときはコロナの影響でエリートとエイジがなく、オープンだけだったので、最初はオープンに出ました。出てみたら楽しかったので、エリートにも出てみたいと思い、そのまま続けることにしました」

 陸上競技を大学4年間続けることができていれば、日本体育大学児童スポーツ教育学部で学び、小学校教諭一種免許と幼稚園教諭一種免許を取っていたので、子どもたちにスポーツを教える職業に就くのだろうと思っていた。

 しかし大学での競技生活が不完全燃焼に終わったため、「自分はまだ頑張れる」とアスリート魂が再燃した。

 ただ、スパルタンレースを1年間やってみたところ、この競技で日本一になったとしても特に何も起こらないということに気づいたという。

 そこで2年目からはいろんなスポーツに挑戦し、まずは自分自身が有名になってからスパルタンレースや取り組んでいる競技のことを知ってもらおうと、肩書を“スパルタンレーサー”から“マルチアスリート”にシフトチェンジした。

 彼女の名刺にはスパルタンレース日本1位、アジア2位のほかに、VJC(バーティカルランニング=階段垂直マラソン)2位、100キロマラソン9時間53分25秒、トレイルランニング、クロスフィットなど、数々の競技の活動実績が並んでいる。

 それと同時に自らの活動をSNSで毎日投稿することにした。すると注目してくれる人が徐々に増えていった。2023年11月現在、インスタグラムのフォロワー数は9.1万人、ユーチューブチャンネルの登録者数は1.78万人だ。

 この地道な取り組みが功を奏し、彼女の活動を支援するスポンサーも続々と集まってきた。米国カリフォルニア州で設立された自然派・健康関連商品を3万種類以上取り揃えているウェルネスECサイト「iHerb」(アイハーブ)も彼女の海外挑戦を積極的に支援している。

「スパルタンレースは米国発祥の競技なので、米国の企業に支援してもらえるのはうれしいですね」

 さらに2024年からは今まで挑戦したことがない新しい競技を始めようと準備を進めている最中だという。

「まだ準備が整っていないので、具体的なことは言えないのですが、新しい挑戦を始めようと思っています」

 その新しい挑戦も含め、これからも結果を出し続けるにはどんな取り組みが必要だと考えているのだろうか。

「引き続きトレーニングを頑張ることと、あとはレースに出続けることですね。日本だと飛び抜けている選手があまりいないので、海外のレースに出て、すごい選手たちを見て、自分に足りないところを探すことが大事かなと思っています」

 日本では今のところマイナーなスポーツで頑張っている女性アスリートという位置づけかもしれないが、今後の活躍次第では日本人が知らないところで大人気の世界一有名な日本人女性アスリートになる可能性を十分に秘めている。


保井友秀

1974年生まれ。出版社勤務、ゴルフ雑誌編集部勤務を経て、2015年にフリーランスとして活動を始める。2015年から2018年までPGAツアー日本語版サイトの原稿執筆および編集を担当。その他、ゴルフ雑誌や経済誌などで連載記事を執筆している。