逸材を襲った経験不足と若さ

 8月29日、ロンドンのO2アリーナで行われた国際ボクシング連盟(IBF)ヘビー級王座決定戦。イタウマはスピード、パワーに秀でて14戦全勝(12KO)のパーフェクトレコードを誇っていた。しかも1回や2回で決着させることが多く、破竹の勢いで勝利を重ねてきた逸材だ。対するフィリプ・フルゴビッチ(クロアチア)は20勝(15KO)1敗の34歳。イタウマ有利の予想が支配的だった。

 試合は立ち上がりからイタウマのペース。2回には早々にダウンを奪った。フルゴビッチが試合後「全てのラウンドを取られていた」と認めたようにイタウマの攻勢が続いた。しかしこれまでと違ったのは、仕留め切れなかったことだ。徐々に大振りが目立ち始めて体力を消耗。9回に入ると脚に力が入らずにパンチを次々と浴び、ふらふらでロープにもたれかかる。相手の追撃を受けたところでレフェリーが割って入り、同時にイタウマ陣営からタオルが投げ込まれた。

 それまでイタウマが闘った最長ラウンド数が6回。長期戦の経験不足が影響したのか。また試合日を前にしたフェイスオフの際、ポーズを取ったフルゴビッチを小突いてステージから落とすなどいつになく好戦的だった。結果を踏まえると、若さがマイナスに作用したと捉えられても仕方ない。試合終了後も立ち上がることができず、医療スタッフの手当を受けたほどだった。フルゴビッチのコメントに勝負のあやが表れていた。「自分のどこからそんなエネルギーが湧いてきたかは分からない。でもご覧のように顎は大事なんだ」と自身の打たれ強さを強調。そして「彼は素晴らしいファイターだがもっと経験が必要。完全なガス欠だね」。リング上では結果が全てだ。

浮き彫りになった元祖のすさまじさ

 イタウマはフルゴビッチ戦の前、タイソンに次ぐ年少記録がかかることに「おまけみたいなもの」と豪語していた。ふたを開ければTKO負け。思わぬつまずきを見るにつけ、〝元祖〟タイソンの快進撃がいかにセンセーショナルだったかが分かる。

 1985年3月にプロデビュー。身長約180cmとヘビー級にしては背が高くない方だが、卓越したヘッドムーブからの爆発的なパンチ、スピードで次々と大きな相手をなぎ倒していった。1986年11月には20歳4カ月で世界ボクシング評議会(WBC)の王座を奪取。ヘビー級史上最年少王者となった。少年院でボクシングを覚え、名トレーナーのカス・ダマト氏の指導を受けて頂点に上り詰めたサクセスストーリーは一世を風靡。87年には世界ボクシング協会(WBA)とIBFのタイトルも獲得した。

 日本との絡みでは1990年2月、東京ドームでジェームズ・ダグラス(米国)によもやのKO負けで初黒星を喫したのが有名。その後暴行問題で実刑判決を受けたり、試合中に相手の耳にかみついたりするなど、次々に問題を起こした。それでも全盛期の強さは圧倒的。全階級を通じた最強ランキング「パウンド・フォー・パウンド(PFP)」でも歴代トップクラスに推される。現役時代の練習風景をユーチューブなどで閲覧できるが、常人離れしたハードさは、すさまじいのひと言に尽きる。

 イタウマはナイジェリア出身の父を持ち、母の出身国であるスロバキアで生まれた。容赦ない人種差別を受け、家族で英国に移住。ボクシングと出会って18歳でプロデビューした。逆境からはい上がる人生もタイソンに通じるところがあった。

王者分散と復活ロードがもたらすもの

 ヘビー級は王者分散の時代に突入した。最近までPFP1位に君臨していた元統一王者、39歳のオレクサンドル・ウシク(ウクライナ)が引退へのカウントダウンに入ってきたからだ。「後進の選手が王座を懸けて闘えるように」と明かし、6月にWBAやWBC、IBFのタイトルを全て返上すると公表した。このためIBFのフルゴビッチをはじめ、WBCのアギト・カバエル(ドイツ)、世界ボクシング機構(WBO)のダニエル・デュボワ(英国)ら主要4団体で異なるチャンピオンが生まれる状況になった。この他、元世界王者同士のタイソン・フューリーとアンソニー・ジョシュア(ともに英国)が対戦するのではとの噂もくすぶり続け、動向が注目される。

 イタウマにはウシクとの新旧対決を熱望する声が上がっていた。また8月29日にフルゴビッチを下してIBF王座に就けば、即座に最重量級をけん引する存在になるはずだったが流れは止まった。ただ、将来を嘱望されていることに変わりはない。思えば、10年以上無敗とヘビー級で一時代を築いたウラジーミル・クリチコ(ウクライナ)の例もある。1996年アトランタ五輪金メダリストのクリチコは、プロでも世界3団体王座を統一したが、初の世界タイトルを得るまでにTKO負けを一つ経験した。イタウマも苦い敗戦をどう糧にするのかが鍵になる。

 イタウマはフルゴビッチ戦の数日後、自身のインスタグラムに動画を投稿し、次のように語った。「自分の夜ではなかった。経験豊富な相手に及ばなかった。望んだ結果には至らなかったが、今後の試合に生かせる経験を積めたと信じている。俺は戻ってくるよ」。復活ロードはそのまま、ヘビー級戦線を占う道しるべとなる。


高村収

著者プロフィール 高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事