知の領域を目指す安青錦
7月の名古屋場所を制した安青錦が1場所で大関に復活した。劇的な優勝劇は記憶に新しい。関脇に転落した場所で左足に故障を抱えながら奮闘。1場所での大関復帰の条件だった2桁勝利をクリアしたのはおろか、12勝3敗で並んだ大関霧島、関脇熱海富士との優勝決定ともえ戦を制し、3度目の賜杯を抱いた。けがの影響もあって不利が予想された決定戦だっただけに、いつも以上の熱気と感動を生んだ。「体が良くない状態で挑んだ場所。勝ち切って優勝できたのでちょっと違うのはあるかもしれない」と自信を深めた様子。そして秋場所では、次なる壁の突破をもくろんでいる。
番付発表日の8月31日に設定された記者会見。次のような発言があった。「本割で決めると、どんな気持ちかを知りたい」。これまでの3度の優勝は全て決定戦で決着させた。ここ一番での勝負強さを証明する一方、例えば名古屋場所でも千秋楽の本割で熱海富士に勝っておけば、すんなり優勝を手にしていた。それだけに、今度こそという意欲が伝わってきた。加えて、1場所での最多勝利数は12。近い将来、最高位昇進を狙う立場としては、未知の領域である13勝以上が待ち望まれている。
名古屋場所後の夏巡業には参加した。一部ネットなどでは、巡業を休んでけがの治療に専念した方がいいなどの声が上がったが、本人は参加を選んだ。関係者によると、師匠の安治川親方(元関脇安美錦)が審判委員として巡業に同行することもあり、名古屋場所終盤には参加の意向を固めていた。治療しながら各地を巡り、ファンを喜ばせた。青森県では師匠の実家を訪れ、食事をしたという。ウクライナ出身の22歳にとっては、巡業に出ていたからこその得がたい体験でリフレッシュ。左足の回復具合は気になるところだが、次なるステージを視野に優勝候補の一角を占める。
熱海富士にみるぶつかりの重要性
9月4日に行われた横綱審議委員会(横審)稽古総見で株を上げたのが、大関昇進を目指す熱海富士だ。5月の夏場所は9勝、名古屋場所は12勝。昇進の目安は直近3場所合計33勝で、秋場所で12勝すれば到達する。総見では横綱、大関陣の申し合いに割って入ったほか、最後のぶつかり稽古では横綱豊昇龍の胸を借りた。何度も転がされながら砂まみれになって向かっていく姿勢には、気力がほとばしっていた。
その光景からは、ぶつかり稽古の重要性に行き当たった。抵抗する人を押すという動作は難しく、それゆえに馬力がつく。疲れがたまって押す力が弱まると、胸を出す方に頭を押さえられたり、引っ張られたりして圧力を受ける厳しい鍛錬。それに耐えていくと足腰が鍛えられ、腰も下りていく。ただ番付が上がるにつれて、なかなか強度の高いぶつかり稽古ができなくなるジレンマがあるのも事実。兄弟子の横綱千代の富士との猛稽古で知られる優勝8回の八角理事長(元横綱北勝海)は実体験を交えてこう語ったことがある。「横綱、大関だと周りが遠慮してしまう面がある。自分も千代の富士さんが辞めた後は馬力が少しずつ落ちていった感じだった」と明かした。
昨年秋場所を最後に優勝から遠ざかっている横綱大の里。昨年11月の九州場所で左肩を脱臼した後は勢いが止まっている。八角理事長は復調の鍵にぶつかり稽古を挙げた。腰高も目立つだけに「(同じ二所ノ関一門のベテラン)高安に頭を押さえてもらってね。普通のぶつかり稽古じゃ駄目。一からやり直すことだ」とハッパを掛けた。故障もあって伸び悩んでいる大関琴桜にも同様の指摘がある。佐渡ケ嶽部屋の属する二所ノ関一門のある親方はこう語った。「稽古を見ていても、ぶつかりで琴桜を引きずってくれる相手がいない。強くなるには結局そこが大きいんだよ」。両雄が長期的に存在感を増していくには、けがの回復もさることながら稽古内容の工夫が必要だろう。
霧島のポイントと力道山の心情
幕内では、1場所15日制が定着した1949年夏場所以降で初の事態が起きている。優勝者の成績が5場所連続で12勝3敗にとどまっていることだ。上位とそれ以外の力が接近した〝戦国時代〟の裏返しで混戦の賜杯レースは面白いが、角界は番付社会。特に横綱、大関陣には久々に13勝以上が期待されるのも無理はない。
その点で霧島は綱とりに挑むだけに、ハイレベルな制覇の可否が力士人生を左右する。先場所を含めて2場所連続で優勝同点の12勝3敗。横審の横綱推薦内規には「品格、力量が抜群」、「2場所連続優勝か、それに準ずる好成績」と条件が示されている。誰が見ても群を抜いていると評価されて最高位に就くことが理想。場所前は精力的に出稽古を重ねて調整した。夢をつかむためには対戦成績で1勝10敗の大の里、1勝5敗の安青錦からいかに白星をつかめるかがポイントになりそうだ。
それぞれが上の番付を目指して必死に汗を流す姿。当事者の心境に関し、このタイミングで有名な先人の言葉が浮かんだ。8月に93歳で亡くなった国際派俳優の岸恵子さんの自伝に、親交のあった力道山の手紙を紹介した箇所がある。言うまでもなく力道山は大相撲の元関脇で、プロレスに転向して戦後の日本を元気づけた英雄。同著にはこう記されていた。「力道山のいい笑顔を見て、もらった手紙の中身を思い出した。『ぼくは、今の自分より、大関を夢見て、土俵の上で一生懸命になっていた自分のほうが好きです』」。違う世界でヒーローになっても、力士として人生を懸けて稽古に打ち込んだ充実感が存分に表れていた。
新関脇に昇進した藤ノ川、新小結の伯乃富士といった若手も、その伝統を受け継いで出世を果たした。看板力士たちを中心に誰が目標にチャレンジして成功するのか。答えが出る9月27日の千秋楽まで、ファン待望の日々がやってくる。