文=内田暁

マレーの示す強い男女同権意識

 昨年11月、イギリス人として初のATPランキング1位(現行のシステムが導入されて以来)の地位を勝ち取ったアンディ・マレーは、実はそれよりも早く、女性取材陣からの絶大な人気を獲得していた。

 アンディは、女性を決して差別することなく扱っている――。

 それが、彼を称える言葉の主成分だ。

 コート上でのマレーは、勝っていても負けている時も物憂げな陰を顔に落とし、自分自身に向かって罵声や叱咤の言葉をつぶやき続ける。

 試合後の会見などでも無表情を貫き、抑揚を殺した低い声には、感情の起伏が全くない。一見するとその佇まいはぶっきら棒で、人を寄せ付けぬ気配すら漂わせる。ところが、ちょっとしたアイロニーをまとった彼の言葉の数々には、実に味わいある知性と深い愛情が染み込んでいるのだ。

 マレーが成し遂げた偉業は常に、「英国人として何年ぶりの……」といった枕詞と共に報じられる。にも関わらずスコットランド出身の彼は、「勝てばイギリス人、負ければスコットランド人」と言われる複雑な環境に身を置いてきた。そのような生い立や出自の影響もあるのだろうか、彼は社会問題に高い関心を示し、その発言には差別や社会的不平等を指摘するものが多い。また幼少期には母親をコーチとした彼は、自分の母親はもちろん、女性全体に対する蔑視的発言や見解に、露骨な嫌悪感を示しもする。

 例えば2008年にマレーは、対戦相手のファンマルティン・デルポトロが自分と母親の関係を揶揄する発言をしたとして、コート上で怒りを爆発させたことがある。

「自分の悪口を言われるのは、それほど気にはならない。でも自分の友人や家族……特に大切な母親のことをとやかく言われるのは、誰だって良い気はしないはずだ」。

 試合後のこの発言は、一部では「ママっ子」と嘲笑を買ったようだが、女性陣からは概ね好意的に受け入れられた。

©Getty Images

女性コーチと共に、1位奪取の足掛かりを築く

 そんなマレーの“男女同権意識”が最も強く表れたのが、2014年に、女子元世界1位のアメリー・モーレスモをコーチに雇ったことである。当時のマレーは、既に2つのグランドスラムタイトルを誇る世界の5位(それもケガにより一時的にランキングを落としていた時期)。そのような男子トッププレーヤーが、女性をコーチに雇うのは初めてのことだった。

 その件につき多くの質問を受けたマレーは、「僕は男女関係なく、純粋に優れた人材をコーチにしただけ。何がそんなに不思議なんだ?」と、周囲の好奇の目をいぶかしがる。また、自身の結果が振るわずモーレスモに批判が集まった際には、「彼女を攻撃するのはフェアではない。勝てないのは僕の責任だ」とコーチを庇い続けた。そして2015年1月、全豪オープンで決勝に勝ち進んだマレーは、コート上で勝利インタビューのマイクを向けられると、こう切り出した。

「僕がアメリー(モーレスモ)をコーチにした時、多くの人が批判的な意見を述べた。でもこの大会で僕らは、女性でも素晴らしいコーチになれることを証明できたと思う。それが嬉しい」。

 この言葉が、女性陣の喝さいを浴びたのは言うまでもない。ちなみにその翌年の全豪オープンでもマレーは、決勝で敗れた後の表彰式で、英国で試合を見ていただろう身重の妻に向け、「いつも僕を支えてくれてありがとう。今から取れる最速の飛行機で君の下に帰るよ」とスピーチし、人々の涙腺を緩ませたのだった。

 テニス界では、トッププレーヤーの人間性や発言は、ツアーの雰囲気そのものに影響を及ぼすと言われている。例えば2014年から錦織圭のコーチを務めるマイケル・チャンは、久々に会場の選手ラウンジを訪れた時、漂う空気が以前より遥かに開放的になっていること、そしてその中心にロジャー・フェデラーが居ることに気付いた。

「ロジャーが誰にでも気さくに声を掛け、若い選手たちとも談笑する。そんな彼の姿勢が、ラウンジやロッカーロームの空気を和らげていた」。

 かつての世界2位は、自身が感じた変化の理由をそう語った。

 ならばマレーが世界1位に座すテニス界も、彼の姿勢を映していくのかもしれない。選手個々が社会的規範を示し、性差や出身地に基づく固定観念や先入観を否定する――そんなよりモダンな色へ……。


内田暁

6年間の編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスとして活動し始める。2008年頃からテニスを中心に取材。その他にも科学や、アニメ、漫画など幅広いジャンルで執筆する。著書に『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)、『中高生のスポーツハローワーク』(学研プラス)など。