度重なるけがと向き合いながら、トップ100入りを目指す錦織

 錦織は、2022年1月に左股関節の手術を行ってから、2023年6月中旬に、約1年8カ月ぶりの復帰は果たし、プロテクトランキング(負傷で戦列を離れる前のランキングでエントリーできる救済措置)48位を使用して、同年7月下旬に、ATPアトランタ大会でツアーレベルでの復帰をしたものの、左ひざを痛めてしまいすぐに戦列を離脱した。

 今年3月にマスターズ1000・マイアミ大会で一度プレーに踏み切るが、コンディションは戻っておらず再離脱した。3季ぶりのグランドスラム出場となった全仏では初戦を突破し、グランドスラムで約2年9カ月ぶりの勝利を挙げたが、2回戦では右肩痛で途中棄権。その後、ウィンブルドン前哨戦直前には練習で右足首をねんざして3年ぶりのウィンブルドン出場には間に合ったものの初戦敗退を喫した。

 そして、5度目のオリンピック出場を果たし、ローランギャロスで開催されたパリオリンピックでは、日本テニス選手として初めてシングルス、ダブルス(withダニエル太郎)、ミックスダブルス(with柴原瑛菜)の3種目でプレーをした。

 オリンピック後すぐにツアーへ戻った錦織は、ここでようやく待ち望んでいた勝利を手にする。

 マスターズ1000・カナダ大会で、マスターズ1000では2019年5月以来のベスト8という大きな結果を残した。特に錦織が、ステファノス・チチパス(大会当時ATPランキング11位)を破った2回戦は見事だった。トップ20選手からの勝利は、2021年に開催された東京2020オリンピック1回戦で、アンドレイ・ルブレフ(当時7位)に勝って以来、約3年ぶりとなった。

 とにかく錦織のプレー内容がよかった。錦織の持ち味である俊敏なフットワークで適正なポジションに入ってクリアにボールを打ち、予測も冴えていたように見受けられた。まさに類まれなショットメイカーとしての力が発揮された。そして、武器であるフォアハンドストロークが良く、ラリーの主導権を握って錦織らしさが見られた。

「チチパスに勝つのは簡単じゃない。この相手に2セットで勝てたのは自信になる」

 こう語った錦織のATPランキングは、576位から354位ジャンプアップして222位になった。ただ、プロテクトランキングの使用を終えた錦織は、エントリー時に予選に入るためのランキングが足りず、8月下旬にニューヨークで開幕するUSオープンには出場できない。

 「チャレンジャー大会を主に回って、少しでも世界ランキングを上げていきたい。言い訳はできない」と新たな覚悟を決めた錦織は、イタリアで開催されるツアー下部のチャレンジャー大会に出場して、まずはトップ100入りを第一目標として貪欲にランキングアップを目指す。

大きな結果に恵まれない大坂なおみだが、焦る必要はない

 産休から1年3カ月ぶりの復帰を果たした大坂は、2024年シーズン開幕からプレーを再開した。母親になっても強力なサーブとグランドストロークは健在で、「私は、前よりもっと強くなったと思います。少なくとも以前に見せていた弱気とは違います」とメンタル面での成長を語った。大坂は、WTAスペシャルランキングの制度を利用し、産休に入る前の46位でエントリーして、復帰2戦目となったオーストラリアンオープンでは1回戦敗退に終わった。

 ローランギャロスでは2回戦で姿を消したが、最終的に優勝したイガ・シフィオンテク(大会当時WTAランキング1位)から1セットを奪い、マッチポイントを取るところまで追いつめた。レッドクレーを最も得意とするシフィオンテクに対して、レッドクレーを得意としない大坂が善戦して内容の濃い試合だった。

 その後、ウィンブルドン2回戦敗退、パリオリンピック初戦敗退、大舞台で結果を残せず、さらにWTA1000・シンシナティ大会では予選から出場して2回戦で負け本戦に進出できなかった。大坂にとって、この予選敗退はよほどのショックだったらしく、8月13日に自身のインスタグラムにて長文で現在の心境をつづった。

 「この数時間、自分がどう感じているのかを整理しようとしました。20年以上もテニスをやっていれば、負けはつきものです。負けから学んで、そこから学んだことを試すために、次の機会を待ち望んでいます。でも、私の最大の問題は、負けたことではありません。自分の体が、自分のもののように感じないことなのです。不思議な感覚です。
 ミスしてはいけないボールをミスしたり、以前打っていたボールよりも柔らかいボールを打ったり。『どうなっているの?』。私は自分自身に言い聞かせます。でも精神的には本当に疲れます。この瞬間は、おそらく、これまでのすべての試合からすれば、ほんの小さな局面なのでしょう。
 今の感覚は、いわば産後のような感じ、ということでしょう。それは怖い。というのも、私は3歳からテニスをしていて、テニスラケットは自分の手の延長のように感じるべきものです。なぜすべてが、ほとんど新しいもののように感じなければいけないのか理解できない。呼吸をするのと同じくらい簡単なはずなのに、そうではなくなっている。私は、たった今まで、その事実を自分に認めていなかったのです。
 ずっと私はこの経験から何を得たいのだろうかと考えました。そして、あることに気づきました。私はプロセスを愛しています。毎日仕事に打ち込み、最終的に自分が望むところに到達する機会を得る。人生は保証されたものではない。だから、今ある時間でベストを尽くしたい。
 娘には、努力と忍耐があれば、多くのことを成し遂げられることを教えたい。娘にはスターを目指してほしい。夢が大きすぎるとは思わないでほしい。
 人生には約束されたものなど何もありません。できる限り努力し、最後の最後までベストを尽くすことを自分自身に言い聞かせています」

 実に、物事をまじめに謙虚にとらえる大坂らしい哲学ともいえる捉え方だ。2024年年初、大坂のWTAランキングは831位だったが、現在90位(8月12日付)にまで戻してきている。大坂本人は不満かもしれないが、順調と見るべきではないだろうか。

 ただし、テニスは対人競技であるがゆえに、自己の哲学だけでは解決できないことが当然存在する。

 忘れてはならないのが、ワールドプロテニスは、マクロ的に見れば毎年進化をし続けている、ということだ。これを不文律といったら、少々オーバーに聞こえるかもしれないが、長年プロテニス界に身を置き、現場を見続けてきた選手やコーチやメディアなら理解していることだ。

 ミクロ的な存在である選手が、プロテニス全体の進化を知らずに、自らの進化を怠れば、運が良くて現状維持で、大概はジリジリとランキングを下げていくのが通例だ。だからこそ、選手は厳しい練習を自らに課し、鍛えあげて試合に臨むのだ。聡明な大坂には、この点を見落としてほしくはない。「ニューヨークで会おう」と語った大坂は、USオープンでは本戦のワイルドカードを獲得して2年ぶりに出場する。それまでに、心技体を整えた”新しい大坂なおみ”を見ることができるのか心待ちにしたい。

錦織も大坂も、実質ランキングと向き合わなければいけない

 嬉しいことに錦織は、デビスカップ日本代表メンバーに選ばれた。デビスカップメンバーに名を連ねるのは、2020年3月のエクアドル戦以来、約4年5カ月ぶりだ。日本のテニスファンは、久しぶりに錦織のプレーを目の前で見ることができるかもしれない。錦織は、34歳になりキャリアの終盤にさしかかっているがくれぐれも焦りは禁物だ。体のコンディションを整えることを最優先にしながら、今季終盤や来季にかけて続いていく重要な戦いで勝利をできるだけ積み重ねていけるようプレーしていってほしい。的確な判断を下しながら少しでも長くプレーを続けてほしいし、再びツアーやグランドスラムで活躍する姿を見たい。

 大坂は10月に27歳になるが、選手としての時間はまだまだある。それこそ焦りは禁物で、ワールドプロテニスの進化を大坂が体感できたことだけでも十分に意味のある2024年シーズンなのではないだろうか。

 以前トップレベルにいた錦織と大坂のベースにあるのは、常により良いテニスをしていきたいという思いだろう。ただ、今後2人共に、救済措置がなくなった実質ランキングと真摯に向き合わなければいけないのも事実だ。これは、プロテニスプレーヤーなら誰一人例外はなく、当たり前のことだが、より高いランキングがなければ、ツアーでグレードの高い大会やグランドスラムで戦えない。錦織はまずトップ100に戻ることが必要だし、大坂はトップ10に戻りたいと心のどこかで思っているはずだが、目標達成までにはもう少し時間を要することになりそうだ。

 そして、われわれは、今も錦織と大坂のテニスを見ることができる幸せを改めてかみしめるべきなのではないだろうか。


神仁司

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンマーケティングジャパン)勤務の後、テニス専門誌の記者を経てフリーランスに。テニスの4大メジャーであるグランドスラムをはじめ数々のテニス国際大会を取材している。錦織圭やクルム伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材も行っている。国際テニスの殿堂の審査員でもある。著書に、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」がある。ITWA国際テニスライター協会のメンバー 。