ペースメーカーが優勝する珍事も
1月20日に行われた高額賞金レースとして知られるドバイではペースメーカーが1キロを2分55秒前後で引っ張り、30キロ通過時点では世界記録(※2014年ベルリンでデニス・キメット〈ケニア〉がマークした2時間2分57秒)更新の可能性も十分にあった。
ペースメーカーを起用する狙いはずばり記録だ。新記録が誕生すれば、メディア等での露出が増し、大会自体の価値も上がる。翌年以降、出場を志願するランナーが増え、大会のスポンサー獲得にも有利となる。最近では世界記録更新には“ビッグボーナス”をアナウンスする大会も多い。前出のドバイは優勝賞金20万ドルに加え、世界記録誕生にはさらに25万ドルの巨額のボーナスが用意されていた。
そもそも日本でペースメーカーが公認されたのは2003年12月の福岡国際から。それ以前にもペースメーカーは存在していたが、黒子的な存在としてテレビの実況放送等でも触れられることはなかった。最近ではPACEと表記されたゼッケンを付けたり、揃いのユニフォームを着たり、あらかじめ選手名を公表したりするなど、その存在がはっきりと分かるようになった。
ペースメーカー側にもメリットはある。契約どおりに走れば、入賞賞金と遜色のない報酬を得られるため、フルマラソンでの実績が乏しくても実力を秘めたランナーの中には志願する者も多い。また契約次第ではレース続行も可能。実際、2000年ベルリンではペースメーカーを務めたサイモン・ビウォット(ケニア)が最後まで走り抜いて優勝した。
とはいえ、彼らも生身の人間。昨年の福岡国際では当日の悪コンディションの影響もあり、30キロまで引っ張る予定だったペースメーカーが23キロ手前で脱落。レースは波乱を呼び、川内優輝(埼玉県庁)が日本人トップの3位に入って今夏ロンドンで開催される世界陸上のマラソン代表の選考条件をクリアし、代表候補に名乗りを上げた。川内自身、ペースメーカーの早期脱落によるレース展開の混乱に乗じて、早めに仕掛けられたことを好走の要因に挙げている。また、2015年びわ湖毎日では先頭を走っていたペースメーカーがコースを間違え、その後失速。役割を十分に果たせないまま途中リタイアというハプニングもあった。
“二兎”を追う現代マラソンにいかに対応していくのか
©共同通信 近年ではペースメーカーの役割も変化している。以前は無名選手の役回りだったが、2014年ロンドンでは元世界記録保持者で絶大な人気を誇った長距離界の“皇帝”ハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)をペースメーカーに起用。39歳(当時)という年齢ながら持ち前のスピードを生かして序盤、先頭に立ってレースを引っぱり、華やかさの演出にひと役買った。
また、今年の東京マラソンでは日本長距離界を代表する選手の一人であり、マラソンでの2020年東京五輪出場を目指す佐藤悠基(日清食品)をペースメーカーに起用した。佐藤自身、2016年ロンドンでは2時間12分14秒の11位と結果を残せずにいるだけに、次のフルマラソンにつなげる意味でも重要な走りとなったはずだ。
ただし、ペースメーカー頼りの高速レースがマラソン本来の魅力を損なっているとの指摘もある。マラソンの醍醐味はスピードよりもそのときの気象条件や出場選手の顔ぶれなどによるレース中の駆け引きにこそある。ペースメーカーに率いられた単調な走りではそういった勝負の面白さが失われてしまうという見方だ。
実際、ペースメーカーが用意されない五輪や世界陸上では天候もコース条件も万全ではない。そういったレースは速さよりも勝負強さが求められる。日本マラソン界が弱体化したのは、単に高速レースに対応できないスピード不足だけでなく、駆け引きやレース運びといった面での経験不足も影響しているとの声も聞く。高速化への対応だけでも後手に回る日本マラソン界にとって、同時に勝負の経験値をいかに高めていくのか。“お家芸”復活への道は簡単ではない。
「記録と勝負」。ペースメーカーの採用により“二兎”を追うことが必須となった現代のマラソンにいかに対応していくのか。トレーニングや体づくりも含めた変革が求められている。